第4話 迷い猫をプロデュース④ 冗談みたいな名前

 *



「タケオ、くん」


「なんだよ」


 薄暗い夜道を手をつないで歩く。

 通い慣れた道とは違う道。

 瑠依は今、少年――タケオの家へと向かっていた。


「ほ、本当にいいの? わ、私みたいなのが突然お邪魔したりして」


「気にしなくていい」


「わ、私、く、臭いんでしょ。嫌じゃないの……?」


「そこまで嫌な匂いじゃない」


 そこまで、ってことは多少は臭うんだなと瑠依は落ち込んだ。

 その様子を見て取ってか、タケオは言葉を付け足す。


「お前のそれは、生活環境からくる体臭だ。物置で寝泊まりなんかしてたら薄汚れるのは当然だ。っていうか虐待だろ普通に……」


 虐待。そうなのか。

 瑠依は引き取ってもらっただけでありがたいと思っていた。


 少しでも迷惑にならないよう、物置でもどこでも、雨風を凌げるならいいと思った。だから別段、気にしたこともなかったのだが――


「あ、ねえねえ――」


「なんだよ、さっきから。質問はあと一つだけだ」


「え、そんな――」


 瑠依にはタケオに聞きたいことが山ほどあった。

 タケオは瑠依と同学年で豊葦原学院中等部の三年生。

 クラスは違うが、思い出してみれば、廊下などですれ違ったりしたことは何度かある。


 その時はなんとなく怖そう、目立たない人だな、などという印象を持っていたが、そんなの当てにならないものだと瑠依は思い知った。


 タケオは命の恩人。

 優しくて思いやりがあって、面倒見がいい。

 さらには手が暖かくて、綺麗だった。


「えっと、あと一つ、あと一つ……!」


 瑠依は一生懸命質問の内容を考える。

 のべつ幕なし質問できるなら、答えて貰っている間に次の質問を考えられるのに。最後の一つと宣言されては慎重に行かざるを得ない。


「あ、タケオくんは、何タケオくん?」


 最後の質問が、よりにもよって名字だった。

 でも名前だけ教えてもらうのも具合が悪い。

 命の恩人のフルネームがちゃんと知りたかった。


「…………」


「タケオくん?」


 なんだろう。急に彼が黙り込んでしまった。

 変なことを聞いただろうか。


「お前……俺の名字知らないのか?」


「え、うん……。あ、私はね、黒森瑠依くろもりるいっていうの。黒森はね、お祖母ちゃんの姓なの。叔母さんは嫁いだ娘さんだから名字が違くて……」


「ああ」


 タケオは生返事だった。

 こちらの話を聞いているのだろうか。


 瑠依はギュっと手を握り返して駆け足。

 彼を少しだけ追い越すと、「ん?」と顔を覗き込んだ。


「いいだろ、名字なんて。知らないなら知らないままでいい」


「そんな訳にいかないよ。それにタケオくんの方からあと一つって言ったんじゃない」


「う」


 たかが名字。されど名字。

 学校の先生は知ってるだろうし、クラスメイトも知ってるはず。

 私は違うクラスで接点がないから知らなかったけど、そんなに言いにくい名字なの?


「俺は……その、ふぉ……ごにょごにょ……」


「え? なに?」


「だから、ふぉま――」


「もっとハッキリ言って」


「このぉ――だから『フォマルハウト』だよ!」


 は? だった。

 何だって?

 ふぉまるはうと?


「タケオ・フォマルハウトだ。文句あるかこの野郎……!」


 タケオは顔を赤くしながらジッと瑠依を見下ろした。

 瑠依は「うわあ」っと内心で悲鳴を上げた。

 なんかタケオくん、可愛い……! と。


「も、もしかしてハーフ、とか? え、タケオくん何人なの?」


「おい、質問はあと一つって言っただろ」


「ターケーオーくーん!」


 まさかこれで終わりはあり得ない。

 瑠依は食い下がるように握った手を引っ張った。


 ウザそうに顔を顰めながらも、絶対に手を振り払ったりはしない。

 瑠依はこの短時間でなんとなくタケオの性格を理解しつつあった。


「フォマルハウトは母親の姓だよ。北欧かどっか、そっちの方らしい。死んでるからそれ以上はわからん」


「そ、そっか。ごめんね。思い出したくないんだね。お母さんのこと、辛いんだ……」


 瑠依も祖母を亡くしたときの、身を裂かれるような悲しみは今でも鮮明に覚えている。タケオもまた名字を呼ばれるたびに死んだ母を思い出すのだろう。


「別に。日本でフォマルハウトなんて名字、殆どギャグだろ。恥ずかしいから名乗りたくないだけだ」


 彼はあっさりしたものだった。

 気にやまないようにそう言ってくれたのかな、と瑠依は思った。


「――たくっ、ほら、ついたぞ」


 タケオが足を止める。

 瑠依は「おお、ここがフォマルハウトさんの家なんだね」と顔を上げる。

 そこには――


「え……ここが、タケオくんのお家? え、なんか、すごく大きいよ?」


 大きいなんてもんじゃない。

 門が聳え立っている。


 会話をしながらだったから気づかなかったが、歩いてきた道を振り返れば、ずーっと高い塀が続いている。え、これ全部一軒の家を囲んでる塀なの……?


「質問はもう受け付けん。さっさと入れ」


「えええー、そんなーっ!」


 ギイイィっと重い音を立てて、門扉が開く。

 敷地の奥には、お城みたいな白い豪邸が建っていて、玄関までの道のりもすごく遠い。


 瑠依はおっかなびっくりしながら、先に行くタケオを追いかけた。

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