第3話 迷い猫をプロデュース③ お持ち帰り

 *



「で、なんで自殺なんてしようとした?」


「別に死のうとしたわけじゃないもん……」


 屋上を後にし、瑠依の教室へと向かうすがら、少年は当然の疑問を聞いてくる。


 瑠依はまさに狐につままれた気分だった。

 自分でもどうしてあんなことをしたのか説明がつかない。


「なんかお前、酷く気持ちが落ち込むようなことがなかったか?」


「え? それは……」


 あった。確かに瑠依はショックな出来事があって、急に祖母に会いたいと思った。そうしたら、何故か屋上のフェンスを乗り越えていたのだ。


「気をつけろ。魔が差すって言葉があるだろう。ほんの小さな切っ掛けでも、心に隙があると悪いのに魅入られて、自分でも気づかないうちに取り返しのつかないことをしちまうんだ……」


 突然信心深い物言いをした少年の顔を、瑠依はマジマジと見た。

 改めて考えると、このヒトは誰なんだろう。


 黒髪を伸ばし放題にしたヘアスタイル。

 でも不思議と不潔さなどは感じない。


 身長は、小柄な瑠依より全然高い。

 180……はないだろうが、それに近い背の高さだ。


 先程までは制服を腕まくりしていたが、今はピッチリ手首までおろしている。

 胸元は第二ボタンまで開けていて、先生に見つかったら絶対怒られそうだ。


「なんだよ……?」


 じーっと、下から見上げるように見つめていると、少年が不意に足を止めた。

 分厚い眼鏡の奥。先程見た瞳の色は赤く妖しいもののように見えた。

 でも今はわからない。夕日が廊下を染め上げているからだ。


「あなたって、そういうのわかるの? 霊感があるとか?」


「ちげーよ」


 少年はわずかに気分を害したようにそっぽを向いた。

 再び歩き出し、慌てて瑠依も追いつく。


「……妹のやつがな、詳しいんだ、そういうの」


「へえ、妹さん霊感あるんだ」


「霊感っていうか。あれは本物だ」


「どういうこと……?」


 瑠依の問いかけに、少年は応えず歩を進める。

 間もなく、目的の教室前に来ると、今度は瑠依が足を止めた。


 みんなに頼まれていたジュース。

 とても直接会って渡す勇気などなく、教室の扉の前に置きっぱなしにしていた。


 それは無くなっていたので、少しだけホッとする。

 もうみんなは帰ってしまったのか。

 おしゃべりが漏れ聞こえていた教室は、今はもう静かになっていた。


「なんだ、どうした?」


「う、ううん。なんでもない。助けてくれてありがとう。私の教室、ここだから……」


「ああ、じゃあ寄り道せずさっさと帰れよな」


「うん……」


 帰る。あの家に。

 瑠依に冷たい叔母の家に帰らなければならない。


 そう思うと、再び瑠依の足取りが重くなる。

 ガララっと扉を開けて教室に入る。


 やっぱり誰もいない。

 さっさと自分の鞄を持って帰ろう。


「うそ……!」


 机の上に瑠依の鞄はあった。

 学校指定の通学鞄。


 紺色でボストンタイプのそれには、油性マジックで落書きがされていた。

『ばーか』『しね』『ブス』と。


 少しだけ、期待をしていた。

 ジュースを置きっぱなしにしたのは抗議の意味があったからだ。


 私はあなた達の話を聞いたんだよ。

 聞かれて困るようなことはもう言わないでね、と。


 でも話を聞かれていても尚、彼女たちは瑠依に心無い言葉を、落書きという形で鞄に書き込んだ。ポケットから取り出したハンカチでこすったところで、まるで消えそうになかった。


「うっ、ううっ、うええ……!」


 叔母の家に瑠依が心安らげる場所はない。

 学校に来てもイジメられる。

 もう居場所がない。


 そう思ったら、瑠依は急激に先程の気持ちを思い出し始めていた。

 お祖母ちゃんに会いたい。優しくて暖かかったお祖母ちゃんのところに――


「何やってんだお前」


 また背後から。

 振り返れば、少年が立っていた。


「お前、それ……」


 少年が瑠依の手元を覗き込む。

 それだけで全てを察したように「はあ」と彼はため息をついた。


「家まで送る。行くぞ」


 瑠依はブンブンと首を振った。


「お、お家、帰りたくない」


「なんで?」


 瑠依は涙を堪えながら説明した。

 両親がいないこと。祖母が親代わりだったこと。


 その祖母が死んで叔母に引き取られたが、冷遇されていること。

 瑠依は庭にある小さな物置で寝起きしていること。ろくにご飯ももらえないことなどなど……。


「物置……? ああ、だからか。おんぶしたとき、なんかお前カビ臭いというか、変な匂いしたもんな」


「えッ――や、やっぱり、そうなんだ……!」


 少年の素直な感想に、瑠依の目から涙が溢れる。

 我慢することなどもう無理だった。


「ううう、やだ、もうやだ……死にたい……」


 多分、明日からは学校でイジメられる。

 今までは使いっぱしり程度だったが、あからさまなイジメ――無視や冷笑、物を隠されたり、暴力――などが始まるかもしれない。


 誰にも相談できない。

 瑠依は一人だ。

 一人で、無力だった。


「……帰るぞ」


 ポン、と、頭に手を置かれる。

 そしてそのまま、くしゃくしゃっと撫でられた。


「で、でも……」


 グスグスっと鼻を啜りながら、瑠依は言葉を濁す。

 少年は再び「はあ」とため息をつきながら、落書きだらけの瑠依の鞄を持った。


「家に帰りたくないんだろう。じゃあ、俺んち来いよ」


「え……?」


「ほら、行くぞ」


 問答無用とばかりに手を引っ張っれる。

 屋上で、瑠依を掴んで離さなかった手。

 細く、しなやかで、綺麗な手だった。


 瑠依は空いた方の手で涙を拭い、鼻をすすり上げた。

 そして少年の背中に向かって問いかける。


「ね、ねえ、あなたの名前、教えて……?」


「……タケオだ」


 瑠依は心の中で何度も、少年の名前を呟くのだった。


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