第12話 Happy New Moon!
パサッ。
聖が軽く肩を揺らすと、白い肌の上を浴衣が滑り落ちる。
あずまや風の脱衣所の床にくしゃっと一山になっている浴衣と下着を几帳面にたたみ、聖はそれを目の前の竹カゴに入れた。
「さむ……」
何も着ていない肌を、突き刺すような冷気が包み込む。
微かに鳥肌を立てながら露天風呂に向かおうとした聖は、ふと隣りに目をやって肩を落とした。
浴衣、下着、帯……ついでに髪をくくるゴム紐。
そこには、さっき聖より先に露天風呂に向かったキッドの着衣が脱いだ順番に重なって、まさに『脱ぎ捨てた』状態で散乱していた。
「あいつは……もう!」
既に体は寒さで震えているのだが、それでもその惨状を見過ごせる性格を、聖は持ち合わせていない。
諦めたようにため息を付き、聖は床にしゃがみ込んでキッドの着衣を折り畳んでいった。
「僕はあいつのお手伝いさんじゃないんだぞ、まったく……」
すのこが敷いてあるとはいえ寒い氷のような床に、これまた律儀に正座なんかして浴衣を折り畳んでいる姿は……結構情けないかも知れない。
聖は再び深いため息を付くと、たたんだそれを竹カゴに入れた。
カッポーン。
間仕切りの竹垣の向こう側から、暖かな湯気の匂いに混じって獅子脅しの音が響いてくる。
もう完全に骨まで冷え切ってしまった体をさすりながら、聖は足早に露天風呂へと向かった。
「聖!早く来いよ!」
まさか自分が聖の入浴を遅らせたなんて思ってもいないキッドは、身を竦ませるようにして入ってきた聖に明るく声をかける。
既にすっかりくつろいで、頬を真っ赤に染めたりなんかして露天風呂の中で大の字になっているキッドに苦笑しながら、聖はそちらへ歩いていった。
「……お湯、熱い?」
言いながら、脇にあった木桶を手に取る。
岩風呂になっている湯船からお湯をすくい取り、軽く体を流した聖は、自分もゆっくりと湯の中に身を沈めていった。
「ハァ――……」
年寄りくさいとは思いながらも、体の芯まで染み通るような温もりに聖は思わずため息を漏らす。
満天の星空と、眩いほどに輝く白金の月を静かに映し、湯気を立てる水面がゆらゆらと揺らめいている。
その向こうには、切り立った岩肌との間に挟まれた小さな空間があって、細い幾本かの竹が植えられ、獅子脅しや苔生した岩などが一見無造作に――しかし深い趣を見せながら置かれていた。
「まさか幻地球にもこんな日本的な国があったなんて――」
温かな湯に身を任せ、湯船の岩壁にもたれながら、聖はそっと呟いた。
――ここは山水画のような高い山々に辺りを取り囲まれた国『常葉(トコノハ)』。
国中の至る所に豊富な温泉源を持ち、神社のような神殿と建ち並ぶ倉屋敷、それに少し山に入ったところでは合掌造りの民家を見ることもできる、見事に日本情緒の漂う国である。
温泉を目当てにした観光客が多く訪れるこの国では、道行く人の殆どがこの国の民族衣装でもある『浴衣』のような服を身につけ、温泉地の定番とも言うべき饅頭や民芸品を売る露店も数多く立ち並んでいる。
あちこちから立ち上る蒸気、通り過ぎる浴衣を着た人々……その光景は一瞬どこかの湯治場にでも来たのかと錯覚してしまうほどだ。
いくら元々が月夜の創りだした世界とは言え、異世界で湯治場……。
思わず目眩を覚えてしまう鈴原一家だったが、それでもやはり懐かしい日本の匂いは、そこにいるだけで体も心も癒してくれるような気がする。
ちょうど今はお祭りが間近で国全体が賑わっていることもあり、月夜達は人混みを避け、この国の神殿で『お正月』を迎えることにしていた。
近くの源泉から引かれたお湯が、四角い木の枠を通って流れ込んでくる。
こぽこぽ、さわさわと耳に心地よい水音を立てて流れ落ちる湯のそばで、岩壁に頭を預けて肩まで温泉に浸かっていたキッドが、満足げに息を吐きながら言った。
「はぁ――っ……。オレ、温泉て初めて入るけど、何かスゲー気持ちいいなぁ」
澄み切って凍り付くような外気が、火照る体をちょうど具合良く冷ましていく。
大神殿ともなれば大抵は広々とした浴場が備え付けられているのが普通だったから、今までも結構な広さの風呂に入っているはずなのだが、それでも何故か露天風呂は雰囲気が違った。
湯気の匂いに混じって薫る、外の空気。
僅かに湿り気を帯びたような草の匂いや岩の感触、時折聞こえてくる風が木の葉を揺らす音。
そんな他愛のない物が、しかしとても贅沢な時間を独り占めにしているような優越感を与えてくれて、聖も同調するように頷いた。
「ほんと、この幻地球で露天風呂に入って、その上お正月まで迎えられるなんて――今年はいい元旦を迎えられそうだよ、うん」
「ガンタン?なんだ、そりゃ?」
と、キッドが不思議そうに言って体を起こした。
「ああ、お正月の、一年の一番最初の日のことだよ。ユリウスさんが言ってたよね、こっちでも明日――正確に言うと今日の真夜中から一年が始まるんだって」
「あん?……あぁ、新月聖夜のことか。まぁ、幻地球にはお前らが使ってるみたいな「ツキ」とか「コヨミ」とかゆー概念はねーからな、その言い方は正確じゃねえけど……とにかく、今日の真夜中の月食と、季節が一巡りすんのがちょうど同じだからな、それも当たってんのかもな」
ただ浸かっているのに飽きたのか、湯でぱしゃぱしゃ遊び始めたキッドが頷く。
聖はふぅん、と言いながら、期待するように空を見上げた。
「新月聖夜、かぁ――。そう言えば、新月聖夜のあとはパーティやるのが普通なんだろ?この神殿でもやるのかな」
「さあ、やるんじゃねーの?幻地球に祭りは数あれど、このニュームーン・パーティだけは世界共通の祭りみてーだしな。そう言や、神殿の連中、酒とか料理とか準備してるみたいだったぜ」
「のぞいてきたの?」
聖がたしなめるように言うと、キッドは深く肩を落とす。
「……偵察って言ってくれ。神殿の警備状況とか内部に不審者がいないかとか調べんのはオレの仕事だからな。さっき一通り見て回ってきたんだ」
「とか何とか言って。本当は外に抜け出せる道探したり、料理のつまみ食いとかしてたんじゃないの?」
「う」
図星だったりする。
キッドはヤケになったように言い返した。
「な、なんだよ!いーじゃねぇかよ、どうせヒマなんだからよ!……そ、それよかオレ、いいとこ見つけてきたんだ」
「いいとこ?」
「ああ」
キッドは楽しそうに頷いて、体を反転させる。
「ここからちょっと奥に入ったトコなんだけどよ、ちょうど月食を見るにゃぁベストな場所なんだ。神殿の奴等にもそれとなく聞いてみたんだけど、知ってる奴等いなかったみたいだしよ。……なあ、聖」
岩に両腕を乗せ、その上に乗せていた頭を聖の方に巡らして、キッドが言う。
「ん?」
「月食さ、そこで見ねぇか?新月聖夜の行事が終わったら、二人で抜けだしてさ」
「え……それは別にいいけど……みんなにも教えて上げようよ、キッド」
聖が言うと、キッドは途端に不服そうな声を上げる。
「えー、なんでだよ、折角オレが見つけてきたんだぜ?それを……」
「だって、みんな一緒に見た方が楽しいじゃないか。第一、ここは月夜姉さんが創った世界なんだろう?だったら、やっぱり月夜姉さんに一番見て欲しいしさ」
いかにも聖らしい答えに、キッドは肩を落とす。
そうだよ、そういう奴なんだよ、コイツはよ……。
諦めたようにため息を付きながら、キッドは起きあがる。
「まったく、ほんっとにお前ぇってやつはよぉ……もー、いいよ、わかったよっ。その代わり!そん代わり、月夜達だけだぞ!他の神殿の連中なんかにゃ教えねーからな。そんなに大勢入れるような広い場所じゃねーんだからよ」
「わかってる。みんなでって言ったって、この国の人たちまで一緒にいたんじゃ、姉さんも他のみんなも安心できないだろうしね。……さて、そろそろ上がろうか、キッド」
「え~っ」
キッドがむくれた表情を浮かべる。
「もう上がんのかよぉ。……ここ、気分いーし、もう少しゆっくりしていこうぜ」
暖かい温泉の中とは言え、外の空気が体を冷やしてくれるので、長時間浸かっていてものぼせる、という感覚は全然ない。
むしろ少しぬるめの湯がまるで体が溶け出すような感覚さえ覚えさせて、聖にもキッドのその気持ちはよく理解できた。
「そりゃあ、僕だって、もう少しいたいけど……でもほら、もう30分くらいここにいるんだよ?そろそろ帰って支度しないと」
新月聖夜の行事は、今日の真夜中である。
それまで未だ少し時間があるから、と二人で露天風呂に入りに来たのだが、いい加減そろそろ準備を始めないといけない時間だった。
「チェ――」
本当につまらなそうな顔をしながら、キッドが上がってくる。
聖は苦笑して言った。
「そんな顔するなよ、キッド。どうせこの国には暫く滞在するって決めたんだし、明日もまた入りに来ればいいじゃないか。な?」
途端にキッドの顔がにぱあっ、と輝く。
この笑顔を見たいが為についつい彼を甘やかしてしまう自分に呆れながら、聖はキッドと連れだってあずまやに帰っていった。
☆
「ぎゃははははっ!!」
あずまやにキッドの笑い声がこだました。
「ひゃはははっ……ちょ、やめっ……く、くすぐってぇよ聖っ!!」
「こら、暴れるなよキッド!上手く出来ないだろ!」
「そ、そんなこと言ったっ……ひゃはははっ!……手、手が脇腹……きゃははははっ!!……オ、オレそこダ……ひゃははははっ……よ、よえーんだって!」
本当にくすぐったそうに、目に涙さえ浮かべて笑い続けるキッドに、聖はハァッとため息を付く。
「仕方ないだろ、僕だって上手くできないんだから。……大体、お前が母さんじゃやだ、僕にやれなんて言うから悪いんだぞ?着れないんなら、露天風呂にまで着てこないで、あとで母さんに着せて貰えばいいのに……」
その声の中に僅かにこもった苛立ちの色に、キッドはぴたっと笑いを止めた。
「そ、そんなこと言ったって……」
しゅん、と俯くキッド。
「だって、仕方ねーじゃんかよ。ママさん、すげぇ忙しそうだったし」
「え……」
「桜華とお前はさ、自分で着れるし。ユリウスは桜華が着せてやってんだろ?でも、それでもママさん、月夜と陽南海とパパさんの他に、ウィンとシオンの分まで着せてやらなくちゃなんねーんだぜ?大変じゃないかよ」
「キッド……」
驚いた。
いや、察してやるべきだったのだ。
目の前にいる照れくさげなこの少年は、本当はとてもとても優しい心根の持ち主なのだから。
「……そっか」
聖はふ、と微笑んだ。
「悪かったな、お前を責めたりして。……よし、じゃあもう一回だ。袖に手ぇ通して」
「ん、と……ここだっけ?」
「そう……違う、そこで止めない、そう……そう、完全に通して……よし、そしたら真っ直ぐこっち向いて立って。……あぁ、そんなに脇をきっちり締めるなよ、布が動かないだろ。え、と、丈は……って、こら、お前まで一緒に背伸びしてどーすんだよ。ちゃんと立って。よし、こんなもんかな。じゃあキッド、ここ押さえてて。帯回すから」
「あ、ああ」
「えーと、帯の真ん中は……ここか。で、お前の背骨がここだから……ここら辺かな、真ん中は」
「……ひぁっ!」
キッドの前に両膝を付き、前からその腰に手を回して帯の両端を持ってきた瞬間、キッドがぴくんっ、とはねた。
「あ、また触った?」
不安そうな聖の言葉に、くすぐったさを辛うじてせき止めてキッドは首を振る。
「いや、大丈夫。……なあ、聖。なんか首が苦しい」
「ん?あぁ、大丈夫だよ、それはあとで調節出来るから。えーと……ここで結んで、と……腰、きつくないか?」
「ああ。もうちょっと締めてもいいぜ。ちょっと緩い感じがする」
「OK。……よし、出来た。手ぇ放してもいいよキッド。あとは襟か。ちょっと顎上げて」
「ん」
キッドがほんのわずか顎を持ち上げると、聖は首の付け根で重なりあっていた襟をぐいっと緩めてやる。
本当なら、それは締めすぎというほどの合わせ方ではなかったが、浴衣など初めて着るのだろうキッドには、確かに少し窮屈かも知れなかった。
「……これでどう?」
「ん~……あ、大丈夫だ」
「よし」
聖はそう言って、はぁっと肩を落とした。
「やっと終わった~……じゃ、あとは僕が着れば終わりだな。やれやれ……これをお前が温泉に入るたびにやらなくちゃなんないんだな、僕は。――温泉、入るんなら声かけろよ。母屋まで半裸で戻るハメになっても知らないからな」
「わかってるよ。もっとも、それでも他人に見られる可能性はゼロに等しいけどな。……ったく、いくら習慣だからって、たかが数泊するだけのオレたちにまでこんなの着せるなっつーの。――面倒くせーったらありゃしねぇ」
「……それはこっちの言う台詞。まさか、こっちの世界にまで浴衣があるなんて思わなかったよ。まぁ、元が月夜姉さんの創りだした世界なんだから、そう変なことでもないんだろうけどさ。しかも、その当人が着れないんだから全く……。ま、もっとも」
と、聖はにっこり微笑む。
「その代わり、僕たちこんな立派なとこに泊まれるんだから、贅沢は言ってられないけどさ」
――今回、月夜達が泊まっているのは、この国の神殿から少し離れた、山の奥の方にある宿泊施設だった。
元々、この神殿は独自にいくつかの温泉源を持っている。
その為、参拝というよりこの温泉を目当てに訪れる参拝客も少なくないので、神殿は周囲に十数戸の宿泊施設を備えていた。
その中で月夜達に貸し与えられたのは、一般的な民家と同じくらい広さのある母屋と2DKくらいの離れ数軒が建つ最高級施設。
本来ならばそれは長期滞在の団体客、しかもVIP用に作られている特別施設なのだが、ちょうどお祭りで一般客が神殿の他の宿泊施設に泊まっていることもあり、さすがに一般客と巡礼中のガーディアンを同じ施設に泊めるわけには行かないと言うことで、特別にこの施設丸ごとを貸し与えられていた。
今まで聖達が入っていた露天風呂もこの施設固有のもので、母屋から続く道はちょうど山の景色を楽しみながら来れるように計算されて作られている。
施設への入り口は母屋や離れから結構遠く、しかも周囲を切り立った岩肌と崖に囲まれているということもあって、それは安全面でも申し分のない施設と言えた。
「そう言や、久しぶりに一人一部屋ずつもらえたもんなぁ。……オレ、寝る時って静かじゃねぇと眠れないタチだからよ、たまに一人部屋もらえると本当にほっとすんだよ」
ちょっと神経質気味かもしんねーけどよ。
そう言って照れくさそうに笑うキッド。
しかし、それは単に『神経質』で済ませられることではないのかもしれない。
外敵に備え、常に神経のどこかを張りつめさせていなければならない『戦士』の彼にとって、たとえそれが仲間の立てた些細な音だったとしても、どうしても神経に触れてしまうのだろう。
熟睡、したことあるのかな。
そんなことを考えると、自分までちょっぴり悲しくなってしまう優しい聖であった。
☆
「ただいま……って、あれ?もう料理の準備してるの?」
湯冷めしないように足早に露天風呂から母屋に戻ってくると、浴衣を着て動きづらそうにした陽南海と月夜が、炉端にせっせと膳を運んでいた。
何十畳もありそうな広い畳敷きの部屋のど真ん中には、どこかひなびた温泉宿にでもありそうな大きな囲炉裏が据え付けられ、鈎爪にかけられた黒い鉄鍋の中では、美味しそうなけんちん汁がくつくつと音を立てている。
炉端に刺さる串に刺した川魚は、炭火の朱色の炎にあぶられて香ばしそうな匂いを漂わせていた。
「あ、おかえり、ひぃくん」
黒い漆塗りの膳を抱えた月夜が、聖達に気づいて顔を上げる。
「ほら、そこに半纏、置いておいたから。湯冷めしないうちに着て、囲炉裏のそばに座ってて」
「あ、うん。――桜華姉さんは?」
「お母さんと一緒にお料理作ってる。……ちょっとキッド!つまみ食いしないでよ!」
膳が重いわけではないのだろうが、歩きづらそうによたよたしながら料理を運んでいた陽南海がめざとく叫んだ。
「……ちぇっ」
正に今、膳の上の料理に手を伸ばそうとしていたキッドは、スネたように口をとがらせ、それでも大人しく手を引っ込める。
しかしお腹の虫はおさまりがつかないようで、彼は次に囲炉裏にかかる鉄鍋の方へ目を向けた。
「うひゃ~……んだよコレ。食えんのかぁ?」
黒い――正確には醤油の色だが――汁の中に無造作に投げ込まれた沢山の野菜。
『けんちん汁』を知っている聖達には何でもないような料理も、しかしキッドにはどうやら不気味に映ったようだ。
しかし更に鉄鍋に顔を近づけたキッドは、くんくん、と匂いをかいで顔を輝かせた。
「おっ?……なんかうまそーな匂いだなぁ。な、コレなんてゆーんだ?」
「けんちん汁よ。ずっと前からずーっと煮込んでるから、絶対美味しいわよ」
「へ~。……なぁ、ちょっとだけ、食べちゃダメか?」
キッドが期待するような目で月夜を見る。
……こういうおねだりをする場合、誰に許可を求めればいいか、キッドは良くわかっているのだ。
おねだりするなら聖か月夜。
聖は月夜に甘いから、とりあえず月夜からだな。
そんなキッドの作戦など最初からわかっているのに、月夜も聖も逆らえないのだから困ったものである。
「なぁ、ちょっとくらい、食べてもいいよな?」
二度目のおねだり。
その手にはしっかり、木のお椀と木杓子が握られていたりする。
「それは……えと……」
月夜が困ったように聖を見た。
咄嗟に、キッドはおねだりの相手を変更する。
「聖~」
ちょうだいちょうだい。
キッドの瞳が、ひたすら訴えかけるように輝いている。
聖ははぁっと肩を落とした。
この目に弱いんだよなぁ……僕も月夜姉さんも。
そして、聖が頷こうとした時だった。
「ただいま!」
さっきから出かけていたウィンとユリウスが、手に手に小ぶりの樽を抱えて帰ってきた。
その後ろには、ジュースやカクテルの入ったカゴを持ったシオンの姿も見える。
三人は、新月聖夜に神殿で参拝客に振る舞われる『聖酒』を受け取りに行っていたのだ。
本来、この『聖酒』は予め神殿で清められ、参拝に来た客にグラス一杯ずつ振る舞われる物なのだが、さすが同じガーディアン。扱いが違う。
小ぶりとは言え二つの樽に入った『聖酒』は、全て飲み終えるには少なくとも二~三日はかかりそうだった。
月夜と陽南海が顔を輝かせる。
「あ、お帰りなさいウィン!」
「お帰りシオン!」
――既に、その頭からはキッドのおねだりのことなど綺麗サッパリ消えている。
キッドはがっくりと肩を落とした。
シオンはともかく、ウィンとユリウスが帰ってきたのでは、つまみ食いの許可など降りるわけがない。
……くっすん。
思わずいじけてしまうキッドであった。
「あら、お帰りなさいユリウス」
料理を全て作り終わったのか、桜華が戻ってきた。
髪をゆるくアップにして浴衣を着た桜華は、いつにも増して艶っぽく見える。
ユリウスは恋人の美しい姿に満足そうに微笑んだ。
「ただいま帰りました。神殿の方に聞いてきたのですが、そろそろ行事が始まるようです。皆さん準備をよろしくお願いしますね」
「あ、ユリウスさん」
「はい?」
聖の声に、ユリウスが振り返る。
「えっと、あの……新月聖夜なんですけど。行事が終わったら、他に何かしなくちゃいけないこと、あるんですか?」
「いえ、別に……特にはありませんが。どうかしましたか?」
怪訝そうに問い返すユリウスに、キッドが答える。
「新月聖夜を見るベストポイント見つけてきたんだ。あとで行事が終わったらみんなで行こーぜ」
「ベストポイント?危険はないのですか?」
ユリウスの問いに、キッドは肩を竦める。
「……さあな。とりあえず、簡単に侵入できるような場所じゃねーし、待ち伏せとかするようなとこもなかったぜ。オレが調べた限りじゃな」
何とも頼りない言葉ではあるが、ガーディアンとしての実力は確かにあるキッドである。
その彼が大丈夫だと判断したのなら心配はいらないだろう。
ユリウスは頷いた。
「わかりました。では、行事が終わったら案内して下さい」
と、浴衣の袖を押さえていた紐をほどき、手早く準備したらしい桜華が、料理を見ながら不安そうに言った。
「ユリウス、みんな準備は出来てるわよ。料理も全部作り終わったし……でも、冷めちゃうかしら」
確かに囲炉裏の鍋と魚は大丈夫だろうが、膳に乗った料理の方はいくら部屋が暖かくても戻ってくる頃には冷めているだろう。
ユリウスは微笑んだ。
「大丈夫ですよ、桜華。――シオン、お願いしますね」
と、ユリウスが振り返ると、シオンが頷いて前に進み出た。
「?ねえねえ、何するの?」
陽南海がとてとてとそばへ近寄ってきて、シオンを見上げる。
シオンは膳の前に座り、その一つ一つに手を翳してぶつぶつと呟きながら、その合間に言った。
「料理の周りに空気の層を作って、断熱する。永久にというわけにはいかんが、暫くの間は保つだろう」
「へえ……」
陽南海が感心したように頷いた。
「わたし、魔法って攻撃と防御と回復、とか、そんな風に使うのしか知らなかったし、考えても見なかったけど……こんな風に道具の代わりに使うことも有るんだね」
そう、それも月夜の想像の中にあっただけの世界と、現実にこうして存在する幻地球との明らかな差。
攻撃や回復といった、限られた中でしか使われなかった魔法が、現実ではこうして生活の一つの手段として存在する。
小さな、他愛ないことだけれど。
それでも、そんなことがこれは夢じゃない、現実の世界なのだということを思い知らせるような気がして、積み重なって、重くなって……
ずっと前に。
本当はそんなに昔ではないけれど、感覚的には遥かな昔のような、前に。
そんな重みに潰れてしまいかけたこともあった。
でも今は……
「……」
月夜はふっと微笑みながら、彼を見上げた。
今は、支えてくれる彼の温もりを、そばに感じているから。
だから、大丈夫。
「……?」
そんな彼女の思いを知っているのかどうか、ウィンが戸惑ったように、それでも嬉しそうに微笑みを返してくる。
そんな二人の姿をちらっと横目で見やり、桜華と二人微笑みあうと、ユリウスは言った。
「――では、行きましょうか」
☆
――頬を刺すような凍てつく冷気が身を包む。
「さむ……」
綿入りの半纏を着ているとは言え、足下から忍び上がってくるような冷気はどうしようもなくて、月夜達は頬を真っ赤にしながら身を寄せ合っていた。
「シオン」
ユリウスの呼びかけに小さく頷き、シオンが口の中で呪文を唱える。
と、月夜達の足下の切り株に置かれていたバレーボール大の水晶がボッと炎に包まれた。
山の奥の更に分け入った奥、白金の月と満天の星明かり以外は何の光源も持たない闇の中に、新たな光が加わる。
紅とオレンジと、時折緑や黄色の光が揺らめく魔法の炎。
「わぁ……あったかーい」
焼けるような熱さではなく、じんわりと体を中から暖めてくれるようなその熱源に、月夜達は嬉しそうに近寄った。
聖もその輪の中に入っていたが、ふとキッドの姿が見えないことに気が付き、周囲を見回す。
「キッド?そんなところにいたら風邪引くよ」
一人離れた岩壁にもたれて空を見上げているキッドに近づき、聖が声をかけると、キッドは突然空の一点を指さし、言った。
「……月食が始まったぜ」
その言葉に、その場にいた全員が空を見上げた。
「すご……」
いつにも増してその目をまん丸く見開きながら、月夜が言う。
頷いて、桜華も呟いた。
「何だかビデオの早回しを見てるみたいね……」
どんどんと――
そう、まるで栓を抜かれた水桶から水が抜けていくように、見る間に光が闇に蝕まれていく。
月の女神ルナーが司る力は誕生と――死。
その力を示すかのように光を喰らう闇の姿に、月夜達は声も出なかった。
恐ろしかった――のでは、ない。
光を喰らう闇の姿は、その言葉から受ける印象とは全然違って、忌まわしくもおぞましくもなく、ただ――どこか不可思議なほど神聖な印象を与えている。
「元々――」
ふと、シオンが呟いた。
「元々、ルナーが司るのは『誕生』と『死』だ。しかし、その『死』は決して、我々の使う『死』と同義のものではない」
その言葉に、ユリウスも静かに頷く。
「ルナーの司る『死』。それはすべてのものに必ず訪れる、いわば『輪』の一部です。万物の最終であり、そして始まりでもある――『誕生』の礎となるためのもの。『無』から『有』が生まれ、そして再び『無』へと還っていく……ルナーの司る『死』とは、そんな『輪』の最後に位置する物なのです」
そう、だからこそ人々は新しい生命を授かるときも、安らかな旅路へと逝く者を見送るときも、ルナーの名を呼び、その力の加護を祈る。
願わくば、この者の行くべき道を照らし、善き方向へと導き賜え、と。
どんな生命にも必ず訪れるものであるからこそ、人々のルナーへの思いは神々の頂点に位置する月夜への畏怖よりも遥かに強く、切実なものなのだろう。
「見てろよ、聖」
と、いつの間にやら聖のそばに来ていたキッドが、月から目を離さないまま、呟く。
「あの月食が終わったとき――そこから、新月聖夜は始まるんだぜ」
その言葉に、聖は再び月に目を戻した。
月が、欠けていく。
――どんどん。
――どんどん。
しかし、その周囲に揺らめく炎のような金色の揺らめきだけは、決して無くならない。
やがて月の光が全て闇に覆われ、あるのはただ周囲の金色輪だけになると……。
「……」
月夜達は、何が起こるのかと固唾をのんで見守っている。
「……!?」
ふと、聖が目をこすった。
あまりに月をじっと見つめていたせいで焦点がぼやけたのか、一瞬、月が二重に見えたのだ。
「……どうした?」
キッドが、何故か面白そうな口調で言う。
「いや、ちょっと月が二重に見えて……」
そう言った瞬間、月夜達が驚いたように聖を見た。
「ひぃくんにもそう見えたの?」
「……?」
どうやら、月が二重に見えたのは聖だけではないらしい。
「姉さんたちにもそう見えたの?」
と、言うことは――
一人だけではないということはつまり、それは気のせいではない……?
驚いて再び月に目を戻した瞬間、キッドが言った。
「……新月聖夜が、始まったぜ」
「これは……!!」
既に、それは誰の目にも明らかなほどの変化を遂げていた。
月が二重に見えている。
いや、それはそんなレベルを遥かに通り越し――紛れもなく、二つの月が天空に輝いていた。
真っ黒になった月を縁取る金色輪の背後から、もう一つの金色輪が現れる。
まるで写りの悪いテレビ画像がブレるように、ゆっくりと金色輪が二つに分裂していった。
どこをどう見比べても、違いなど見つけられない二つの月。
しかし。
次の瞬間、違いが生まれた。
二つの月が同じ高さで完全に並んだ時。
その金色輪がまるで互いを求め合うように炎を絡ませ、溶け合ったのだ。
そして、元からあった月の金色輪が、ゆっくりとその光を失っていく。
反して新しく生まれた月の金色輪はその輝きを増し、そして――とうとう、古い方の月は金色輪の輝きさえ失い、完全に闇に溶けてしまった。
「新しい月の誕生――これが、新月聖夜だよ」
声も出ないまま、口元に手を押しあてて月を見つめている月夜に、ウィンは優しげな瞳でそっと呟く。
「月食によって光を失った月が二つに別れ、古き月から新しき月へ、その力が引き継がれる。やがて力を全て託した古き月はその輝きを失い、役目を終えて闇へ――『無』へと還って行くんだ。暫くの休息を得て、再び――『有』となる為に」
そうやって、女神の化身である月は何十年も、何百年も気の遠くなるような果てしない時の輪の中で幾度も輪廻し、輝きを受け継いできたのだろう。
恐らくはこの世界に人が生まれ、新月聖夜の名が付くよりずっと前――誰も見守る者がいない、遥か昔から。
やがて、新しい月に光が満ちていく。
古い月が光を失っていったのと同じくらい――いや、それ以上のスピードで満ちていく光。
それは正に新しい生命の誕生を司るルナーの新生らしく力に満ちた、厳かな光景であった。
完全に月に光が満ち、再びその光が周囲を煌々と照らすようになると、『新月聖夜』は終わりを告げる。
神聖にして厳かな余韻と心地よい沈黙の中、月夜達は暫くそのまま佇んでいたが、やがてウィンがそっと月夜に告げた。
「ハッピーニュームーン、月夜」
「え?」
聞き返すと、キッドが言う。
「決まり文句ってやつだよ。新月聖夜が終わったら、ルナーの新生を祝して詔を唱えるんだ。そのハッピーニュームーンてのが、ルナー神聖を祝う詔なんだよ」
要するに「あけましておめでとう」のようなものか。
聖が頷いた。
「そっか。じゃあ僕も……ハッピーニュームーン、キッド」
別に他意があったわけではない。
ただ何となく、一番近くにいたのがキッドだから言っただけなのだが、キッドの方は一番初めに言って貰ったことが嬉しかったようだ。
彼は照れくさそうにしながら……けれど嬉しそうに頬を紅潮させ、言った。
「ハッピーニュームーン!聖!」
新しき月と古き月。
誕生と――死。
神聖にして厳かな年明けを迎えた月夜達の姿を、一層輝きを増した月が静かに優しく、照らし出している……。
〈FIN〉
「――ちょっと待て!」
と、キッドがその静寂を破るように声をあげ――って……あれ?
あの、キッドくん。
お話はコレでおしまい……
「ふざけんな!ここで終わったらパーティーが出来ねーじゃねぇか!」
いえ、そう言われても……
するとキッドは子供のように地団駄踏みながら叫ぶ。
「るさい!いーか、話は未だ続くぞ!続くったら、続くんだからな!」
そ、そんな……
「っつーわけで、次はこの後のパーティの話だ。じゃあな!」
そう言い捨てると、キッドは足早に月夜達を追って……
あ~、行ってしまった。
――と、いうわけで。
このお話はこれで終わりですが、この後に「お酒は20才になってから。」という続編があります。
よろしければ皆様、こちらも引き続きお楽しみ下さい。
それにしてもわがままなキャラクターを持つ私って、何て不幸……
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「お酒は20才になってから。」
「ふうっ。ただいま~!」
新月聖夜を終え、母屋に帰ってきた月夜達。
入ってすぐの土間を上がり、奥の広間へ入ると、囲炉裏では出るときと同じように赤々と燃える炭火の上でけんちん汁が湯気を上げ、川魚が香ばしい匂いを漂わせている。
「は~っ、腹へった~っ。メシだメシ!早く食べよ~ぜ、聖っ!」
そう叫ぶやいなや早速炉端に座り込んでキッドが川魚にかぶりくと、それを合図に料理と酒を囲んで宴会が始まった。
「月夜、こっちの料理美味しいよ」
「あ、ありがとうウィン」
「陽南海、もっと食べなくていいのか?」
「大丈夫、ちゃんと食べてる☆」
「ユリウス、お酒はもう良いの?」
「あ、いただきます。……桜華はどうします?」
「もちろん飲むに決まってるじゃない。……あ、そっちのじゃなくてロゼくれる?」
「ふむ、この聖酒というのは日本酒に似ているな。熱燗にしてくれるかい?」
「はい、あなた」
「……あれ?」
聖は、きょろきょろと周囲を見回した。
「キッドは?」
さっき帰ってきたときは真っ先に料理に飛びついたのに、そう言えばさっきからキッドの声が聞こえない。
聖が見回すと、キッドは部屋の隅に積んであった座布団の山にしなだれかかるように座りながら、囲炉裏に背を向け、じ~っと窓から空を見上げていた。
「キッド?どうかしたのか?」
そう言いながら、聖が近寄っていく。
と。
「……ふにゃぁ?」
キッドは目をとろ~んとさせ、真っ赤な顔をして振り向いた。
「キッドっ!?――うわっ、くっさ……」
その口から、ぷはぁっ、とアルコールの匂いが吐き出される。
聖は慌ててキッドの手元に転がる数本の瓶を手に取った。
「!キッドっ!これっ、これカクテルじゃないか!それも――うわ、キツ……こ、こんなの飲んでたのか、キッド!!」
聖の驚いた、僅かに非難めいた口調に、キッドはきょとん、と――いや、とろん、とした目を向け、無邪気に首を傾げる。
「へにゃ?らって、甘かったしぃ~……ジュースじゃねーの、それぇ?ん~……おかわり!」
……すっかり出来上がっている。
まだ数本転がる、栓の開けていない瓶に手を伸ばそうとしたキッドの手を払い、聖はめっ、と睨んだ。
「だめ!これお酒だよキッド。あぁもぉ、そんなに酔っぱらって――ほら、少し部屋で休も?な?」
そう言いながら、聖はキッドに肩を貸して立ち上がらせる。
と。
いきなり、キッドがけたけたと笑い始めた。
「キッ……キッド?」
「ふふふ……ふふ……ふはっ……ははは……だぁっはっはっ!!」
「っ!!」
笑い転げながら聖の肩やら背中やらをばんばんと叩きまくるキッド。
「いっ……いたっ……ちょ、痛いってキッド!そんなに叩くなよ!」
力の加減てものを知らず、容赦なく叩きまくるキッドに聖は悲鳴を上げる。
このままでは体中に青あざを作られてしまいそうだった。
と、キッドはそんな聖の困った顔がおかしいのか、更に笑い転げる。
たまりかねて、聖はキッドを押さえようと手を伸ばした。
しかしキッドは素早く身をかわす。
「こらっ、キッド!」
聖の声もどこ吹く風で、きょときょと周囲を見回すキッド。
その仕草はまるで次なるいたずらを探す赤ん坊のようだ。
その彼の瞳に、ウィンと月夜の姿が入ってきた。
炉端に仲良く並んで座り、キッドには背を向けるようにしながら、何やら楽しそうに話し込んでいる二人。
――ちゃあ~んす。
にま~っと、キッドの顔が緩んだ。
「あっ……こら、止めろキッド!」
彼の意図するところに気づいた聖が叫ぶも、時すでに遅く。
キッドはまっしぐらに、ウィンの方へ歩いていった。
「へけけっ……二人で世界作ってんじゃねーよっ!!」
アターック!
キッドは月夜と談笑しているウィンを、真横から思いっきり突き飛ばす。
「どわっ!?」
「きゃぁっ!?」
突然のことに身構えるヒマもなく、月夜に覆い被さる形で転げるウィン。
結果的に月夜を『押し倒し』てしまったウィンは、自分の体の下で何が起きたのかわからず呆然としている月夜と目が合うと、ゆでダコにさらに赤い絵の具でボディペインティングしたんじゃないかと言うくらい真っ赤に染まった。
「ご、ごめん……」
「あ、うん――」
それを見て、キッドは更に笑い転げる。
「へけけけけっ……ざまぁ見ろ。けけけけけっ!!」
……見事なまでに酒乱だった。
その行動に思わず呆気に取られたものの、ユリウスとシオンが慌てて取り押さえようと駆け寄る。
が。
不幸なことに、キッドはダルス隊一の敏捷さを誇るガーディアン。
ユリウスとシオン、二人の手を難なくすり抜け、かいくぐったキッドは、懐から笛を取り出す。
「ちょ、何する気――」
制止する聖の言葉を遮り、笛から高音が迸る。
人間の耳には辛うじて聞き取れるほどの音が響きわたった瞬間、部屋の窓からもの凄い数のツタが飛び込んできた。
意志ある生き物のようにうごめくツタは、一目散にユリウスとシオンめがけて蔓を伸ばし、あっと言う間に二人の体を縛り上げてしまう。
「!」
流石のユリウスとシオンもいきなりのことに反撃の手を失い、慌てた。
「こ……こら、ちょ……や、やめなさいキッド!」
「ふきゃきゃきゃきゃっ……いー気味じゃねーか。しばらくそーしてろよな!」
「キッド!」
どんなに怖い顔をして怒ってみても、酔っぱらって正気を失っているキッドには何を言っても馬の耳に念仏、のれんに腕押し。
まるで効果はない。
「ちょっとキッド!」
と、ユリウスはともかくシオンまでもが被害に遭っているのに憤慨した陽南海が、ずかずかと歩み寄ってきた。
「!よせ、陽南海!」
シオンが制止の声を上げる。
しかし陽南海は憤然とキッドに詰め寄った。
「ちょっとキッド!いー加減にしなさいよね!」
「あ~?」
くるうり、と陽南海を振り返ったキッドは、ふと真面目な顔になる。
「……陽南海」
「!な……なによ」
そのあまりに真剣な表情に、思わずどぎまぎしてしまう陽南海。
キッドは僅かに照れたような表情を浮かべ、言いにくそうに口を開いた。
「オレ……その、ずっと前から言おうと思ってたんだけどさ」
「え……」
周囲を漂う妙に気恥ずかしい「間」に、陽南海は何事かと身構える。
と。
キッドは恥ずかしそうに、一気に言った。
「お前って、よく見るとその……可愛い顔、してるよな」
「☆○△!?」
思いもかけない言葉に、言われた当人はおろか、その場にいた全ての人間の頭が一瞬でショートした。
可愛い?可愛い?
他の誰かならともかく、事もあろうにキッドが私を、可愛い?
シオンに言われたのなら天にも昇るほど嬉しかったのだろうその台詞も、キッドの口から聞かされたのでは、さては天変地異の前触れかとでも疑ってしまいたくなるほど、混乱と恐怖しか呼ばない。
「な、な、何言って……」
それでも必死に体勢を立て直し、言葉を紡ごうとした陽南海に、キッドはにっこり笑った。
「!?」
「う・そ☆」
ピキーン。
その一瞬、その場にいた全員に、キッドと陽南海の間にあった空気が凍り付いたのがはっきり見えたという。
「~~~~っ!!」
ふるふるふると身を震わせ、怒りに耐えるような陽南海の体から、見紛う事なき怒りのオーラが立ち上る。
月夜を助け起こして起きあがったウィンと。
なんとか辛うじて脱出したユリウス、シオンと。
そして陽南海が、キッドを取り囲んだ。
「キ~……ッ、ドぉ~……」
地の底から響くような声に、キッドは無邪気に彼らを見回す。
「てへ」
「可愛い子ぶるな、気色悪い!」
「なぁんだよぅ、いーじゃんかよぅ。ちょっとしたヨキョーだって、余興。ほらぁ、みんな怖い顔してねーで、もっと楽しもーぜっ。なっ?」
そう言った直後。
その本人が、いきなり倒れた。
「キッ……」
「キッド!?」
慌てて、全員が駆け寄る。
床にぱったりと倒れ込んでしまったキッド。
その体を助け起こし、心配しながら様子をうかがうと……。
「ぐーっ……」
新月聖夜を終えた朝。
新しい年が始まる、記念すべき朝。
かくして、その日の朝、二日酔いで頭を抱え、前夜の騒ぎなどまるで記憶にないキッドの周囲で、盛大などんちゃん騒ぎが行われたという……。
Mystic Moon~月夜の国の物語~ 樹 星亜 @Rildear
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