アルダン事件についての回想その3

 さて、アルダン事件のことを語ってばかりで、わたし自身についてなにも言っていないと思われる方もいるだろうが、それというのも、そのころのわたしは別のスパイをおっていたのである。

 それは帝国大学の大スキャンダルという形で現れた。当時の帝国大学は、何十年もの間、特権階級の砦だった。金持ちエリートたちが大学パブリックスクールから官庁パブリックオフィスへと進んでいく踏み石だった。だが、この時期に、新しい信条を身に着けた新しい種族がこの浮世離れした学園から巣立ち始めた。皇国のスーパースパイたちである。いままでスパイと言えば、カネのために国を売る卑しい連中だったのが、信念のために裏切るエリートが登場したのだ。

「上のヤツラはそんなに腐敗してんのか。ヤツラが帝国をダメにしてる」

と、非難が巻き起こり、スパイ事件が階級闘争にまで発展した。

 かれらは『5人組』と呼ばれた。

 かれらの中心となったのは、サニーとという猫で、大学で歴史と経済学を学んだ。

 父は高名な冒険家の海軍中佐で、当時は外交官として活躍していた。ただし、かれはいわゆるゲイで、すれちがいが原因で離婚したのちも恋人たちに息子をまかせた。この境遇はサニーに重要な影響を与えた。つまり、性の面ではかれはプレボーイとして知られ、また海外、とくに皇国に興味をもった。

 サニーと仲間たちは政治家の秘書や大使館員となって、そこから得た情報を、皇国に流していた。しかし、結局かれらは皇国に亡命することになる。こうして事件は終わったように思われた。

 わたしにある人物の調査が命じられたのは、この事件で帝国中が大騒ぎであったときのことだった。

「なぜこの人物を調査するのです?」

 わたしの質問に、上司のミルナーはこう答えた。

「例の5人組の件でね」

「サニーとかいうヤツの亡命で終わったのでは?」

「実はかれといっしょに亡命したのは2人なんだ。あと2人自由ってことだ」

「ということは、この人物がその自由なほうの1人ですか?」

と、わたしが訊くと、ミルナーはうなずいた。

 その写真の人物の名前はプラントといった。

 他のメンバーが外交官や通信員、秘書といったスパイでも不思議ではなかったが、かれは帝室に信任厚い美術史家であった。父は普通の教師だったが、母方の親戚に帝がいるという氏素性であった。

 帝国大学に在学中に、5人組の1人であるバージェスとを結び、今は帝室に絵画鑑定員として仕える。

 写真とともに与えられた書類にはそう書かれていた。

(編注:プラントとバージェスのは、ほかの資料を読む限りでは、同姓での精神的、肉体的接触のことと思われる)

「なあに、シッポを出すまで監視して、それを報告してくれればいい」

 あとは同僚が捕まえて取り調べるのを見て、証言をまとめて、調査報告書を作成。

「頼んだよ」

「わかりました」

と、そんなわけでわたしはプラントを監視することになった。やることは尾行と盗聴。

 すると、いちおうスパイリンクのメンバーのわりに、プラントはスキだらけで、アッサリスパイ行為の証拠がそろってしまった。ついでに私生活での男女両方に対するプレイボーイぶりも余禄としてついてきた。

 こうして、プラントはあっさりと逮捕され、尋問にかけられた。

 プラントは訊かれてもいない自分の年収まで言いそうな勢いで自白していた。

 ほとんどプラントの独演会となっている取調室に見知らぬ男がいる。かれは隅に目だだぬようにイスに座っていて、取り調べが終わると調査報告書の写しをもらって何処かへ去った。興味を持ったらしいプラントが

「どなたです?」

と、訊くとかれは

「連合警察の、保科秀之といいます」

と、穏やかに返す。

 その座敷童のような男がきてすぐ、調査は終了し、プラントは釈放された。

「どういうことです?」

と、難詰するわたしに、ミルナーは、辛そうにこう返した。

「もうこの件はわれわれの手を離れたのだよ。……きみはアルダン事件のことを知っているかね」

「ええ、まさか……」

「そう、アルダンの情報と引き換えに上が皇国と交渉したのだよ、連合警察が仲介してね」

 それだけ言うと、ミルナーは深い息を吐いた。それ以来この回想を書くまでわたしは意図して忘れ、資料もホコリをかぶっていた。


編注:アルダン事件の15年ほどのち、帝国宰相ラベール夫人によって、プラントがスパイであることが公表された。かれは地位と名誉を奪われ、その5年後没した。

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