アルダン事件についての回想その2

 さて、帝国の諜報機関において、アルダンの評価は高く、当時その長であった郁乃いくの氏はこう証言している。

『とくにアルダンが新聞社の特派員や、上司への私信として本国に送る情報の有益さは保証済みであり、欺瞞などありえないと考えられていたので、わたしはそのとき安心した。アルダンの情報は、われわれにますます重要性を持ってきた。彼女は、秋月国と帝国の関係性は盤石なものではなく、皇国や共和国になびく可能性があることを、結論として示した』

 帝国との情報交換について、アルダンは皇国からの了解を受けていると、以下の証言をした。

『わたしは、帝国に1時帰国したときに皇国側の上官に、わたしの諜報活動を統制し、且つ得た情報の1部を少し分与することを了解してもらいました。どのような情報を分与するかわわたしに一任されていたのですが、そのさい分与はできる限り最小限にせよと約束されていたので、わたしは自分勝手にやったわけではありません』

 正確に言えば、アルダンが疑われていなかったわけではない。しかし『たとえ、アルダンが皇国のスパイであっても、われわれは帝国の利益を守るために。彼女の豊かな知識を役立てねばならぬ』『アルダンについて、帝国側からの攻撃については郁乃が責任をもつが、それは、アルダンの皇国、秋月国についての報告のうちに、機密材料が含まれることを条件としてである』『アルダンを厳重な監視下におくこと、かれの情報は正常なルートを通さず、特別な検討を経なければならない、という留保で、賛成』(以上帝国側資料からの引用)ということであった。

 事件後、本国から保科秀之が派遣された。かれの母は秋月国出身だったので、秋月国の事情に明るく、本件にうってつけであった。その調査によって、バンブー大使は『まったく軽率』とはいえ、アルダンを助力し、しかも親しい要人であることが明瞭となった。バンブー大使は『好ましかざる者』認定されてしまった。以下郁乃氏の回想。

『上官とのあまり愉快ではない話し合いで、わたしはアルダンの件で弁明しなければならなかった。上官がどう決着をつけるかわからなかった。帝と上官との間でかわされた秘密の談話で、帝はこの件に対することに対してわれわれが避難される理由がないことを認められた。しかし、バンブー大使が、極秘の政治情勢を漏らすほどに、信頼や友情に対して許してはならぬと申された。帝がこの件で客観的見解をもっていたことは幸運であった。バンブー大使は召喚された。保科はさらに調査を進めたが、なにも発見されず、それ以上の処置はとされなかった』

 調査後、バンブーは大使の地位を失った。本国に帰ることなく、ミドルマーチに移り住んだのである。


 アルダン事件に対する皇国側の反応は、その数日後の皇国の報道機関がアルダン検挙を報じたにとどまる。

「到底なにかいえた筋合いではなかろう」

とは、当時捜査に関わった人物の証言である。


 アルダンは検挙されたのち、取り調べに応じるまで、激しい興奮状態であったという。吉川藤友はなぜアルダンが自白したかについて」4つの原因を述べている。

1:検挙と同時に多数の証拠が発見されたこと

2:関係者全員の検挙

3:アルダン以外の関係者全員の自白

4:任務が達成したことによる安堵感

 4については、アルダンが

「最近秋月国民たちとの連絡が切れたように思う。その理由を知りたい。われわれが秋月国でしようとした諜報活動はちょうど立派に完成したところだ。秋月国がどのような行動をとるかわれわれは知った。あとは帝国本土で活動したい」

という話をしていたということだ。

 アルダンは吉川藤友に

「できるだけはやく取り調べを終えて、決着をつけてほしい」

と、申し出ていた。おそらく当時皇国の外務次官であり、知人であったクリークがなんらかの手を打ってくれると信じていたようだった。それは結局、空しい希望に終わった。


 この事件はこうして秋月国内でのスパイ疑獄として終わるとおもわれたが、事件発生から数年後に1時的に再燃することになる。それについて秋月国大使館付の帝国武人であったヤエノはこう述べていた。

『3年も待ったあげくに、本国は事件のほんの少しだけ発表した。それは1夜にしてジャーナリズムのセンセーションとなった。新聞は大使館によってのみ可能である詳細の発表を待っていた。突如として、本国はその発表を拒否したことを、大使館はしったが、容易には信じがたいことであった』

 これは、当時帝国でスパイ疑惑にあった人物の容疑が、アルダンに関わっていということだったことによる。帝国の無線通信曰く

『本国は告発を立証する証拠を持たない。報告は秋月国側の情報にもとづくもので、その旨を公表せねばならない。主張を立証する証拠が存在するにしても、それはわれわれの手中にないのである』

 件の人物の弁護士はこう言ったという。

「まずわれわれは大使館がこの報告にたいして責任を負うかどうか知りたいと思う。それによってかれらを告発するかどうか決めたい」

 ヤエノはそれにたいして、

「わたしは責任を負います。もちろん証拠も公表されます」

と、返答した。

 一連の動きによって、秋月国内でのアルダン事件の評価も

「豊崎正樹氏とその同志たちは、公僕の横暴の犠牲者である」

「これは陰謀ではなく、そうしようとして、そうしたのである」

という、同情的なものが消え、評価を回避する空気に代わっていった。

 つまるところ、帝国内部の内輪もめに関わりたくないということである。

 そして、それは帝国というメカニズムが伝統的なものから、自由な民主主義と病的な城壁国家に揺れ動いていく過程の1コマであることが、観察されるのである。

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