第24話 里子の想い


 見矢園さんを先頭に、二人でカフェを出た。強まる風にあおられる雪もさらに強くなりつつある。トラムの停車場まで向かう中央通りでしばらく二人は無言だった。


「私ね。これで踏ん切りがついたかも」


 さらさらと雪が降る中、私の方を振り向きもせず見矢園さんは言った。


「え」


「今まで辛い思いをさせてごめんね。もう、もう、あなたは自由、だから」


 見矢園さんの声は、優しさと悲しさと苛立ちが混じったような声だった。


「うっ、ううっ」


 私は囁くような声で嗚咽していた。見矢園さんも泣いていたと思う。

 私はまたこれまでの見矢園さんとの記憶を回想していた。

 手を握ってくれたこと、ずぶ濡れで凍えていたこと、保健室で弱々しく微笑んでくれたこと、自分の部屋で毛布をかぶって怯えていたこと、キスをしてくれたこと。これでその思い出のすべては、痛みと苦みをともなうものに変わってしまうということだ。苦しい。冷たい涙が舗装された路面の雪にこぼれる。


 私のすぐ横をトラムが走り過ぎる。そこで私ははたと気づいた。

 そうだ。私は五年前の十二月、トラムの座席で穏やかな夕明かりに照らされながらした決意を思い出した。見矢園さんのためにありたい自分を決意したことを。見矢園さんを信じ、私の気持ちも信じること。

 簡単なことなのに。そう、簡単なんだ。簡単なはずなんだ。あの日私の胸に湧き上がってきた決意を動力源に、私は一歩前へと震える足を踏み出した。


 そのまま後ろから見矢園さんにしがみ付いた。見矢園さんのすべてを信じ、私の醜さも含めすべてを預ける。


「ひゃ!」


「見矢園さん。私、私、わっ……」


 また涙と鼻水が溢れ出す。見矢園さんは何も言わず棒立ちのままだった。通り過ぎる人たちが不思議そうに私たちを眺め、通り過ぎていく。


「わっ、わだっしっ、ずっとずっと見矢園さんの召使や下僕でいいって、いやそっちの方がいいって思ってました。私はただの崇拝者だったから。でもっ、でもそうじゃなくて、ほんとはそうじゃなくてっ、でもそんな気持ちを私よこしまだって切り捨ててっ。だって、だってわだしみにぐいからっ、私ゴミみたいに醜いからっ、そんな資格なんてないんだ、って」


 見矢園さんは身体を硬直させたままだ。


「だから、私見矢園さんの気持ちを知ったら怖くなってしまって。だって私のような底辺の人間には許されないような方だから見矢園さんはっ。あってはならないことだからっ!」


 こんな私を本当に受け入れてくれるのか、今でも私は信じられない。だからこれはもう賭けのようなものだった。まるで赤か黒かのルーレット。それに私は自分の心の全てを賭けた。自分の本当の想いを告げることに。そしてルーレットは回り始めた。


「でも見矢園さんの苦しみまで私心が向かなくて、ごめんなさいっ! うわあぁぁ、好きですっ、好きですっ、大好きなんですっ、ごめんなさい、ごめんなさいっ、こんな汚くて醜い私でごめんなさいいっ、うわああ!」


 見矢園さんにすがりつきながら私は号泣して崩れ落ちてしまう。


「里子っ、里子っ!」


 見矢園さんは振り返ってへたりこんでいる私をきつく抱擁してくれた。クリスマスイブも近い中央通り、私たちは二人して往来でわあわあとみっともなく大泣きしながら抱きあっていた。私は人生最大の賭けに勝ったのだ。当たりは分かっていたはずなのにどうしても賭けられなかった賭けに。

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