最終話 春の桜が満開の下

「いってらっしゃい。頑張ってきてくださいね」


 私が声をかけると、ストレッチャーに乗り緊張で引きつった顔の見矢園さんが頷く。


 大学卒業後見矢園さんは親を説得して本来の姿に戻る手術を極秘裏に受ける事にした。親御さん、特にお母さんは気も狂わんばかりに反対したが見矢園さんの粘り強い説得でついに首を縦に振った。この手術はどれほどの効果があるのか全く分からないだけでなく、本来の姿そのものとは違い、「本来はこのような姿だったのかも知れない」といった程度の姿形や能力を再現する効果しかないそうだ。それでも見矢園さんの意思は固かった。


 手術も終わり退院して六カ月。正直なところ私にも何がどう変わったのか全く分からない。見矢園さんは相変わらず美しいままで、相変わらず聡明なままだった。体も弱い。でもたった一つだけ変わったことがある。

 これまで以上に生き生きとした笑顔を、私に向けてくれるようになったことだ。


 私たちは今、六街区の小さな安アパートで暮らしている。

 バイオリンをいじるのに飽きたのか見矢園さんが唐突に提案する。


「ねえ公園に行かない?」


「公園、ですか?」


「今からおにぎり握って」


「いいですね! じゃ、私準備してきます」


 公園に行く時は私がおにぎりを握り、見矢園さんがそのおにぎりをお弁当箱に詰める役割だった。見矢園さんは何故か丸いはずのおにぎりが台形になり、三角に握ったはずのおにぎりが平行四辺形になり、俵おにぎりは五角錘になる稀有な才能の持ち主だった。

 その見矢園さんは念願かなって音大のバイオリン科を卒業したものの、常勤として雇ってくれるオーケストラも見つからない状態でなかなか仕事に恵まれなかった。せめて音楽教室のアルバイト教師の仕事でも見つかればいいのだけれど。私は中堅のウェブビジネス誌出版社の事務職として勤め、ささやかながら二人の生活には苦労しないだけの収入を得ていた。



「ふうっ、満員御礼札止めね」


「ですね」


 半ば予想していたことだが公園は大混雑で座って食事をする隙間などなかった。見矢園さんは下を見るのをあきらめて、その美しい顔を上に向けた。私も一緒に上を向く。


「でもこんなにきれいな桜久しぶりに見た」


「戦勝祝いなんでしょうかね」


「ほんと」


 二人でくすくすと笑う。今年の頭、惑星ローワンへの第十次降下部隊と重軌道兵器の砲列の攻撃でアンドロイド連合はほぼ駆逐され外惑星へ逃走したのだ。


「これで私たちの惑星行きも現実味を帯びて来たわねえ」


「ええ、楽しみです」


「行く時は一緒よ」


「もちろんです」


 話しながらあたりに目を配っていた見矢園さんが目ざとく小さな空間を発見した。


「あ、里子ここ座れるんじゃない」


「ほんとですね、ついてましたね」


 私は今だって自分の外見に自信が持てるはずもなかったが、それをほんの少しだけ気にせずに生きられるようになった。みんな見矢園さんのおかげだ。そして隣にはその見矢園さんが、亜優香がいる。そう思うとなんだか嬉しくて、春の桜が満開の公園で亜優香の手を強く握った。それに応えるように亜優香も手を握り返して、お日様のような微笑みを私に投げかけてくれた。


                                ―― 了 ――

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