第19話 ミューズの微笑み
見矢園さんの受験勉強はおおむね順調だった。ソルフェージュ(楽典、聴音、新曲視唱)力が非常に高いことが判り、コールユーブンゲンの暗記自体も早々にめどが立った。問題の実技は…… 相当苦労しているようだけど。
私は私の学力で何とかなりそうな近場の(そして音大からもなるべく近い)三流大学に絞って受験をすることにした。こちらは早い内からB判定が出たので胸をなで下ろしている。
結局私たちは別々の道を目指すことになった。それでも結局週に二日以上図書館やクラシック喫茶の「リンダーホーフ」で会った。見矢園さんはこれを「逢瀬を重ねる」などと実に艶っぽい表現で表すものだから私はどぎまぎしっ放しだった。
そして二月。
私は見矢園さんの部屋にいた。見矢園さんが第一志望で受験した音大の結果発表がある日だ。緊張と不安で真っ青の見矢園さんが、部屋の隅っこの丸椅子にちょこんと座る。私は畏れ多くも見矢園さんの勉強机に座り、3Dタブレット端末を操作しながら見矢園さんに声をかける。
「見矢園さん」
部屋の隅っこで丸椅子に乗って膝を抱え怯えている見矢園さん。そんな姿ですら美しい。なぜか頭から毛布を被って不安げに訊ねてくる。
「どう?」
私は生まれて初めて見矢園さんをからかってしまいました。見矢園さんごめんなさい。
「どっちだと思います?」
「もう! 意地悪言わないで!」
「ふふっ」
「もう…… ねえねえそれで?」
「そんなに気になるならご自分でご覧になったらいかがです」
端末画面を見矢園さんに見せようとする。
「あっいやっやめて! 見せないでっ! 自分で見るのは怖いの! ねえ早く教えて、意地悪。そんなSだなんて知らなかった……」
「ふふふ、『ミューズは笑う』だそうです」
この時の私はまるで自分が受かったかのように満面の笑みを浮かべていたと思う。
「えっ? なにそれ?」
「ミューズは笑う。合格です。おめでとうございます、見矢園さん!」
「きゃーっ!」
私たちは歓声をあげて抱きあった。私はもみくちゃにされた挙句またおでこにキスをされた気がするが、今回は、まあ、よし。
見矢園さんはその後わざわざ通話サービスを使って何度も合格確認をしていた。
私の方もまあ無事に合格。この時は私が見矢園さんをその、こう、もみくちゃに、なんてできようはずもありません。でもまた見矢園さんに全力でハグされて固まった。
これで二人とも進学が決まり、一安心。
お互いの入学式が別の日だったので、それぞれのキャンパスに行ってみた。出入りは相当自由なので、私たちが行き来するのも難しくはなさそう。
でも学業の内容が全く違うしやっぱり高校の時と距離感が全く違う。
それと、私はもう見矢園さんにとっては不要な人間になったのかもと思うと何とも寂しかった。インカレサークルに入ればいいのかも知れないけれど、本質的には社交的ではない私のこと、掲示板やサークル案内の酔って盛り上がってるところを撮った集合写真を見ると、サークルってストレスがたまりそうで憂鬱だった。特に私のように醜い女にとっては。きっと楽しそうにいじり倒してくる奴とか出てくるはず。それを思うと憂鬱を通り越して絶望だった。
結局私はごくごく地味に、見矢園さんはバイオリン一筋に大学生活を送ることになる。
2021年3月5日 加筆修正しました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます