第3話 継承者   ~群雄割拠の時代~

 アルドがよく観察すると、クスターが開けようとしている書類鞄は昨夜見た時と較べて随分と印象が違っていた。夜目には真黒な牛革張りのように思えたのだが、明るい陽の光の下でみると外張りの皮は単純なものではなく、竜の鱗のような起伏があって、光の加減によっていろいろな色を含んで乱反射をした。

――いったいどんな動物の皮で、どこの国でこのようなものを作ったのだろうか?  その皮に近いもので見覚えがあるとしたら、BC20000年の古代に飛ばされたときに見た、空を滑空する翼竜の皮膚だ。ひょっとしてあの時代に作られたものか?

――まさか……


 やがて「カチリ!」と2つ目のロックが外れる音がした。1つ目と合わせて計12桁の暗証番号が揃ったのだ。クスターは鞄の上部を開くと、更にその中からやや小ぶりな箱を取り出した。内箱の方は油紙でくるんであるだけで、ロックはかかってはいなかった。

「こういうものを見たことはありますか?」

 クスターが内箱から1枚の紙を取り出してアルドに差し出した。それはコシのあるやや厚手の紙で、表面には精緻な印刷が施されていた。紙に描かれていたのは王冠をかぶった人物の肖像と、見たこともない文字。そして数字。裏返すとドラゴンの姿が描かれていた。

「これは?」とアルド。

「債券ですよ」とクスターは答えた。

 アルドは債権の意味が分からなかったが、クスターが「簡単に言うと、借金の証文みたいなものです」と教えてくれた。クスター曰く、予め債券に印刷されている金額を債権者(お金を貸す側)が支払い、債務者(お金を借りる側)は借りた証として債券を債務者に渡す。5年とか10年とか予め決められた期限が来ると、債務者は借りた金額に利子をつけて返済する――、ということのようだった。

「普通の場合借金は、面識のある者同士の1対1で行われるものですが、債券は1対不特定多数で行われます。そして借金の場合は”借りた・貸した”と表現しますが、債券は”売った・買った”と表現をします」

「つまり債券を誰かに売ったということは、誰かからお金を借りたことを意味するんですね?」

「そういうことです。借主はほとんどの場合が国です。債券は国家が大きな金額を素早く調達するために使われる手法なのです。手元にある債券に印刷された数字を見てみてください」

 アルドが手に持った債券に目を落とすと、”10,000,000GLD”と書いてあった。

「この数字が借金の額ですか?」

「そうです。ただ通貨の単位が今とは違います。今の時代の通貨は"Git"ですが、”GLD”はずっと昔のものです。比較すると”GLD”の方が、"Git"の10倍くらいの価値がありました」

「ということは、この紙切れ1枚が1億Gitということ?!」

 アルドはあまりの金額に驚き、両目を大きく見開いた。と同時に債券を持つ手がプルプルと小さく震えた。

「こんなことで驚かないでください」

 クスターはアルドの目の前で、先ほどまで債券の入っていた内箱の蓋を大きく開いた。そこには同じ債券がぎっしり詰まっていた。

「千枚入っています」

 そのクスターの言葉に、アルドは気を失いそうになった。となると債券の価値は合計で1千億Git。つまりクスターは、大金を抱えてヌアル平原を歩いていたのと同じことだ。それを知れば山賊の方が、トロールよりも色めき立つに違いない。

「しかも――」とクスター。「ドラーク島にはこの箱を10個収めたマザーボックスがあります。私が持ってきているのはその内の1つなのです」

「とんでもないお金持ち!」

 ずっと黙っていたフィーネが、堪らず声を上げた。

 クスターは「世が世ならの話です」と言って苦笑いをした。そして一拍置いて「実はこの債券は、今では紙くずなのです」と言った。

「紙くずって?……」

 意外な言葉にフィーネは言葉を失った。


「もうちょっとかみ砕いて説明してもらえませんか?」

 アルドは頭が混乱していた。「誰がこんな巨額な債券を発行したのですか? 何のために? そして誰がこの債券を引き受けたのですか? 分からないことだらけだ」

クスターの語った内容は、あまりに予期せぬ話の連続だった。

「理解が出来ないのは無理のない話です。順を追ってお話しましょう」

 そう前置きをして、クスターは語り始めた。

「ミグレイナ大陸にミグランス王国が建国されたのは300年前。そこから2000年ほど遡ったところから話は始まります。暦で言うとBC1700年の辺りでしょう。その当時この地は群雄割拠の時代。豪族たちはちょっとした丘や高台に山城を築いて領地を治め、他の豪族と戦を繰り返しては支配する領土を拡大していました。その領土をあえて国と呼ぶならば、その時代は何百もの小国がこの大陸に存在していたのです。

 やがてその豪族たちも淘汰が進んでいき、とりわけ大きな2つの国が生まれました。エグノーリアという国と、チザルナという国です。そしてその2つの国は、自然の成り行きとしてお互いを敵視するようになりました。

 そして遂には、チザルナがエグノーリアを攻撃し始めたのです。争いは圧倒的にチザルナが優勢でした。なぜならチザルナは魔獣族と契約を結んだからです。

 エグノーリアは起死回生の手段として、同盟国であったドラークに助けを求めました。――私の故郷のドラーク島です。その時のドラークはまだ大陸でした。そして同時に国の名前でもありました。ドラークはワイバーンの繁殖で名を成した国で、ワイバーンの力で国を守り繁栄をしていました。当時のドラークには100体を超えるワイバーンが棲んでいたのです。

 エグノーリアは、ドラークにいるワイバーンの戦闘能力を使って、チザルナに対抗しようとしました」


 クスターはそこで一旦話を区切り、「ここまでの話は理解できましたか?」とアルドとフィーネに訊ねた。

「概ねは分かりました」

 とアルドは答えたが、疑問が1つだけあった。「ワイバーンは精霊の1つで、生き物とは違う。命も永遠だし、人間よりもずっと強く、言い方は悪いがとても凶暴だ。繁殖なんてできるのですか? 産んだり、増やしたり、育てたり、ましてや人間と共存するなんて――」

「当然の疑問ですね」

 クスターはアルドの疑問に答え始めた。「ワイバーンの繁殖と言っても、家畜のように人間が生殖させるわけではありません。そもそもワイバーンには雄も雌もないのですから。

 ドラークは大陸でしたが、同時に巨大な火山島群でもありました。大陸内には100を超える活火山があって、常にその幾つかは噴火をしていました。空はいつも煙っていたのです。その火山の噴火の度にワイバーンは生まれてきました。ご存じのようにドラゴン族というのは四元素の中の”火”が司るものです。つまりワイバーンの誕生は、火山噴火の中で起きる自然現象1つと言ってもいいものなのです。

 そして生まれたばかりのワイバーンは、人と心を通わすことができました。狂暴という評価は人と触れ合わずに育ったワイバーンに対するものです。そもそも火山と共に暮らす民でなければ、生まれたてのワイバーンに会う機会はありません。

 普通の人間は、凶暴なワイバーンに手を焼くことしかできません。それに対してドラークの人々は、大昔から続く噴火の数と同じだけのワイバーンと、常に共生をしていたのです」


 クスターの回答でアルドの疑問は解けた「つまりこの債券は、エグノーリアがドラークからの軍事的な支援を得るために発行し、ドラークがそれを引き受けたということですね?」

「そうです」とクスター。

 しかしそうなると、もう一つ疑問が湧いてくる。「ドラークは債券と引き換えに、ワイバーンを売ったということですか? 大切な守り神のような存在なのに――」

「表面的には売り買いですが、実際は違うのです。戦が終わればワイバーンは帰ってきて、エグノーリアは債券の利子分をドラークに払う約束になっていました。要するに戦の間だけ、ワイバーンを貸したのと同じことですね。エグノーリアの王は感謝の印しとして、一国が買えるほどの――下手をすればエグノーリアだって買えるほどの――債券を差し出し、ドラークの王つまり私の祖先は、その心意気に心を動かされ、国内にいる全てのワイバーンをエグノーリアに向かわせたのです」


「なるほど」

 とアルドは頷いた。「それで戦の勝敗はどうなったのですか? そこまでしたのですから、もちろん勝ったのですよね?」

 それは最も気になることだった。

「結果的には勝ちました。ですが、楽な戦いではありませんでした。いかにワイバーンが強力だとはいえ、エグノーリアの兵士が簡単に扱えるものではありません。戦の前半では言う事をきいてくれないワイバーンに手を焼き、エグノーリアは緒戦で敗北と撤退を繰り返すばかりでした。

 しかし敵軍が城に迫り万事休すと思われたときに、『伝説の旅人』が現れたのです。『伝説の旅人』は未来から来たのだと語り、ワイバーンを巧みに操って、チザルナがさし向けた魔獣族の軍団を一掃しました。その勢いに乗って、エグノーリアの兵が大挙してチザルナに攻め込み、とうとう城を落としたのです」


 またここで『伝説の旅人』の名が現れた――

 アルドはその意味を考えた。伝説の旅人が自分とフィーネのことを指すのならば、自分たちはこれから過去の――つまりAD1700年――の時代に飛んで行って、エグノーリアの戦いに加勢するということなのだろうか? ――と。

 アルドはその件を問う前に、もう一つの疑問をクスターにぶつけた。

「戦に勝ったということは、とてつもない繁栄がエグノーリアとドラークにもたらされたはずですね。エグノーリアはミグレイナ大陸をほぼ手中にできたわけですし、ドラークにはそのエグノーリアが丸ごと買えるほどの債券の利子を受け取ることができたはず。しかし実際はどうなったか?――」

 フィーネが口を開いた。「今のミグレイナ大陸はミグランス王国が治めていて、私たちは過去に繁栄したはずのエグノーリアの国名さえ知らない。ドラーク大陸もまた、今や誰も名も知らぬほどの小さな島になっている……」

「一体、何が起きたのですか?」

 アルドが訊ねた。


「あなたたちの言う通りなのです――」

 クスターは悔しそうな表情を浮かべながら、光の射し込む窓に顔を向けた。「実はその戦の勝利こそが、エグノーリアとドラークの繁栄ではなく、崩壊の始まりだったのです。ここからはそのお話をしましょう。そして私がこの地まで赴いてきた真の理由も――」

 アルドとフィーナは、クスターを見つめながら次の言葉を待った。

 窓を見やるクスターの視線の先には、先ほどまでの真っ青だった空に、くっきりと筋雲が浮かんでいた。

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