第2話 旅の理由  ~ワイバーンの棲む大陸~

 翌朝――

 アルドが目覚ますと、隣のベッドに寝ていたはずのフィーネはもういなかった。

カーテンの隙間からは一筋の陽射がさし込み、鳥のさえずりが聞こえてた。アルドはベッドから出ると、厚手のカーテンを一杯に開け、その瞬間まぶしい日の光に目を細めた。

 昨夜の雷雨は嘘のように上がっていて、窓の向こうには雲一つない真っ青な秋空が広がっていた。

「昨日のことが、雨で洗い流されたみたいだな」

 アルドはぽつりと独りごちた。


    ※


 窓枠に手をつきながら、アルドは昨夜のことを思い出した――

 慣れ親しんだ家に着くと、村長は既に就寝しており、その枕元にはパニーラという若い女性が付き添っていた。そのパニーラが手紙を書いてくれた人物だった。事情を聞けばパニーラは、3か月ほど前に放浪の末、バルオキー村にたどり着いた女性だった。アルドとフィーネが冒険の旅に出てからのことだ。パニーラには身寄りがなく、哀れに思った村長が「うちにおいで」と言ってくれたそうだ。村人たちはよそ者を訝ったようだが、村長が反対意見を制した。

『気にせんでいい、困ったときはお互い様だ』

 村長はパニーラに飄々と語ったそうだが、それはまるで16年前に、自分とフィーネを救ってくれた時のようだった。

「お爺ちゃんらしいわ」フィーネも当時を思った。

 パニーラは村長への恩義から、村長が伏して以来、片時もそばを離れず付きっ切りで看病をしているのだと語った。アルドがヌアル平原で摘んだばかりの薬草を渡すと、パニーラは「ありがとう、これできっと村長も良くなります」と頭を下げた。


 パニーラの献身的な看護のお陰だろう。村長は安心しきった寝顔だった。

「起こしましょうか?」

 とパニーラは言ってくれたが、眠っている病人を自分たちの都合で起こすわけにはいかない。アルドは「爺ちゃんには明日の朝、ただいまの挨拶をするよ」とパニーラ伝え、フィーネと共には2階の自分たちの部屋に上がった。

 その後すぐのこと――、部屋をノックする音が聞こえた。

 扉を開けるとそこに立っていたのはパニーラだった。何事かと思えば、風呂を入れて、暖かい食事を作ってくれたのだという。頼んでもいないのに――

 優しくて、笑うとエクボが浮かぶ気立ての良い娘。それがアルドがパニーラに抱いた第一印象だった。

「お兄ちゃん、パニーラさんを好きになっちゃうんじゃないの?」

 すぐ脇にいたフィーネがアルドの耳元でささやいた。目の前に当のパニーラがいるというのにだ。アルドはそのささやきをパニーラに聞かれまいと、わざと大きく咳ばらいをした。


 次にアルドは、ヌアル平原で救った男のことを思った。

 見たところ男は、強力な武器を持ってはいないようだった。モンスターたちが跋扈ばっこする平原を丸腰で旅するなど正気とは思えない。頭がおかしいのか、それとも何かやむに已まれぬ事情でもあったのか?

 そして――、男が大事に抱えていたあの黒い書類鞄は何だったのだろう? あんなに重い荷物を持っていたら、いざというときに走り出すこともできない。足の遅いトロールが相手でも、やすやすと追い付いてくるだろう。わざわざやつらの餌食になるために平原に入ったわけでもなかろうに……


    ※


「お兄ちゃん、朝ごはんができたよ!」

 アルドの思考を遮るように、階下からフィーネの声が聞こえてきた。アルドが階段を降りると、フィーネとパニーラが村長の寝ているベッドの脇で、楽しそうに談笑をしていた。村長はその2人の会話を目を細めて聞いていた。

「アルド、目が覚めたか」

 村長がアルドに声を掛けた。「昨夜は大立ち回りだったそうじゃないか。トロールを何十匹も仕留めたんだってな」

「本当はあんな大騒ぎはしたくなかったんだけど、行き倒れの人を見つけてしまって仕方なく……」

 アルドは昨日起きた騒動の経緯を村長に話し、「そのせいで帰りが遅くなってしまった」と詫びた。

「謝ることはない」と村長はすぐにアルドに言った。「人助けは何よりも大切なことだ。わしの教え通りにお前たちが育ってくれて本当に嬉しいよ」

 村長は笑った。それは昔から変わらない優しい笑顔だった。

――そうだこの笑顔に育まれて、俺もフィーネも大きくなったのだ。

「ただいま、爺ちゃん」

 アルドは昨夜できなかった帰宅の挨拶をした。

「お帰り、アルド、フィーネ」村長がまた優しく微笑んだ。


「ところで、アルド……」

 と村長が切り出した。「お前たちがヌアル平原で助けたという男は、その後どうなったんだ?」

――そう昨夜は、警備隊に男を預け、その後の手当てを任せたのだった。

 相当に衰弱はしていたが、村には入院できるような病院はない。恐らくはたった一軒だけある宿屋に泊まらせて、医師の往診を頼んでくれたに違いない。

「警備隊に任せたからもう大丈夫だよ」とアルドは答えたが、村長は「気にならないのか?」と心配顔だった。

「そんなことよりも、今日はじいちゃんのために摘んできた薬草を煎じないといけないからね。早く良くなってもらいたいんだ」

 そのために村に戻ってきたのだからと、アルドは思った。

「気になるんだろう、アルド?」

 まるで村長には、アルドの心中が手に取るようにわかるようだった。「本当はとても心配だと顔に書いてあるよ。会ってきて事情を聞いてみたらどうだ?」

 アルドは村長の言葉に、しばし考え込んだ――

「後でちょっだけ会ってきてもいいかな?」

「もちろんだ、アルド。人助けをしたのならば、最後まで見届けてやらなければな。わしのことを気遣ってくれるのはありがたいが、わしもお前にそうして欲しい。だってそんな風にお前とフィーネを育ててきたのだから」

 村長は優しくアルドを諭し、アルドは黙って村長の言葉に頷いた。


 朝食をすませてから、アルドとフィーネは宿屋に向かった。村長のことは任せてくれとパニーラも言ってくれた。

 宿屋に着くと丁度玄関から、あの警備隊の隊長が出てきたところだった。

「アルド、彼の様子を見に来てくれたのか? 俺は今まで付き添っていて、今帰るところだよ」

 隊長によれば、男は低体温症の危険な状態は脱して、今朝になって意識も戻ってきたとのことだった。医師の診立てでは、もしもあと30分も対処が遅れていたらきっと絶命していただろうとのことだ。「助かったのはお前のおかげだな」と隊長は言った。

「話はできますか?」とアルドが訊ねると、「短い時間ならば問題はないだろう」と許してくれた。

「ただ――」と隊長が続けた。

「どうしたのですか?」

「まだ少々意識障害が残っているかもしれない――」

 隊長によれば男の意識の中に、時折ワイバーンの姿が映像のようにフラッシュバックするのだという。

「彼の意識の中では、鱗の1つ1つまで詳細に見えているみたいなんだ。まるで家で飼っている犬や猫みたいに。あれは何なのだろう?」

 隊長は男が、ただの幻影を見ているとは思えないと言いながら、首を傾げた。


 アルドとフィーネは宿屋の主人に声をかけて、男が休んでいる部屋を訪ねた。隊長が言っていたように、男の体調は随分と回復しており、蒼白だった顔には血が通い、紫の唇も正常に戻っていた。

「少しお話をして良いですか?」

 アルドが自分の名を名のると、男は「昨日、助けてくださった方ですね」と言って笑顔を見せた。アルドのことは既に隊長から聞かされていたようだった。

「私の名はクスター。ミグレイナ大陸の遥か南にあるドラークという島から来ました。これからはクスターと呼んでいただいて結構です」

「よろしくクスター。ドラーク島……、ですか……」

 それはアルドが初めて耳にした島の名だった。

「ご存じないのは当たり前です。地図にも乗らない小さな島です。しかしかつてはミグレイナの半分ほどもある大陸だったそうです。ある出来事が原因で一夜にして海の底に沈んでしまったのですが」

「一夜で沈んだですって? そんな馬鹿な」

「島の言い伝えですよ。話せば長くなるので、そのうちにお話します」

 クスターは寂しそうに言った。

「分かりましたクスター。それでは本題に入りましょう。昨日はなぜヌアル平原にいたのですか?」

 それはアルドが、最も疑問に思っていたことだ。

「ここバルキーオ村を目指していたのです。この村には時間の旅ができる若者がいると聞き、私はじっとしていられませんでした。なにしろ先祖の代から島に語り継がれている『伝説の旅人』が、遂に現れたのですからね。どうしても会ってみたいと思ったのです」

「時間の旅ができる若者――」

 アルドはそれが自分とフィーネのことを言っているのだと直感した。アルドたちはすでにAD1100年とBC20000年とを行き来しているし、バルキーオの村人もそのことを知っている。噂話は駆け巡るのが早いものだ。

 しかし――、とアルドは思った。地図にも乗らないような遠方の島にまで、どうやって噂が広まっていったのだろうか? またアルドは、クスターが口にした『伝説の旅人』という言葉も気にかかった。

 意外な話の数々――、どうやら容易に理解できることではなさそうに思えた。順を追って少しずつ解きほぐしていかなければならないと感じた。


「あなたには、命をかけてまで旅をしなければならない理由があるのですか?」

 アルドは次の質問をした。文字通り命がけの旅だ――。実際に昨夜クスターは命を失ってしまうところだった。

「ドラーク島の存亡が懸かっているのですよ。それに比べれば私の命など安いものです」クスターはさらりと言ってのけた。朝に意識を取り戻したばかりとは思えぬほど、決意のこもった目をしていた。

「存亡とは随分と大げさですね」それがアルドの正直な感想だった。

「実際に存亡の危機なのですよ。或いは存在価値の危機と言っても良いかもしれない」クスターが真剣な顔で答えた。「島はかつて大陸だったころから守り続けた、唯一の誇りを失いつつあるのです。そしてそれと共に、僅かに残された島の地形も日に日に狭まってきています」

「あなたの命がけの旅が、島を救うかもしれないと?」

「そうです。それが最後の頼みの綱なのです。実は私の先祖はドラーク大陸を治める王でした。私はその末裔として、島にワイバーンを復活させなければならない」

「ワイバーン……」

 それはドラゴンの1種族。4本脚に加えて背中に翼を持ったドラゴンに対して、前脚2本が翼となっている。そして種族の中では最高に戦闘能力が高い。狂暴といえるほどに――

 アルドが持つワイバーンについての知識はその程度のものだった。ドラゴンの中でもとりわけ人間との関わりのない孤高の存在だ。

「どういうことなのか説明してください」

 アルドは更にクスターに訊ねた。隊長からは『短い時間ならば』ということで面会の許可をもらったのだが、こればかりは質問しないわけにはいかなかった。それはアルドとフィーネにも関わることのようだったからだ。


「あなたは恩人だ、お話ししましょう」

 クスターは枕元に置いてあった、あの黒い書類鞄を手元に引き寄せた。やはりあの鞄の中身に何か秘密があるようだった。

 クスターは「この話は、この3人だけの秘密にしてください」と声を潜めた。部屋には他に誰もいないのに、何かに怯えているような仕草だった。「ワイバーンの復活は、ドラーク島存続の鍵であるとともに、もしかすると、過去に海に沈んだ大陸までも呼び戻すことができるかもしれないのです」

「大陸を呼び戻せるですって?!」

 驚くアルドの目の前で、クスターは鞄についている留め具に手をかけて、そこについている6つのダイアルを慎重に回していった。アルドが覗き込むとそのダイヤルには数字だけでなく図形も描かれており、膨大な組み合わせがあるようだった。やがて「カチリ!」と、ロックが外れる短い音が聞こえてきた。


「もう一つ」

 鞄には、留め具がもう1か所あった。

 アルドとフィーネは息を飲みながら、クスターの指先を見つめた。

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