012 交友関係

 俺の記憶力は…普通だと思っている。

 英単語を覚えるのも、平凡なスピードだと思っている。


―――しかし…。


 方向感覚については、難ありな自覚がある。


―――いや、大丈夫。さすがに大丈夫。


 5分もない道のりだったはずだ。

 とりあえず深呼吸。

 エリさんがいる方向…じゃないな、逆だ…こっち。

 不安がいっぱい…。


 俺が帰れるかどうかはさておいて…当然の話なのだが、エリさんとは、今日初めて会った。

 それにしてはずいぶんと距離が縮まった気がする。

 気をつかってもらっただけだと重々承知しているが、仲良くなれることは素直にうれしい。


―――現実世界ではアニメつながりの交友関係しかなかったからな…。


 それが悲しいなんて全く思っていないのだが、異世界でアニメの話をしてもどうしようもない。

 テレビらしきものはあったので、おそらくアニメも存在しているだろうとは思う。

 アニメは世界共通言語だと勝手に思っているのだが、異世界ではさすがに都合が違うだろう。


―――アニメみたいに魔法が使えればな…なんて鉄板トークもできないし…。


 そんなことを考えながら、ゆっくりと歩を進める。

 その途中、冒険者の一行いっこうとすれ違った。

 俺が右手で持っている杖に気づいたらしく、なんだか嘲笑ちょうしょうしたような声が聞こえてきた。


―――なるほど…こういうことね…。


 俺の異世界ライフ、やっぱりアニメのようにはいかないらしい。


 チートがうらやましい。

 というかなぜ異世界転移だけ単品販売されてしまったのか。

 チートとのセット販売じゃないと困る。





「よしと…到着。」


 たどり着けた安心感…それに伴う緊張からの解放で、さっきまでは感じなかった疲れを感じた。


―――そうだよな…突然が多すぎたもんな…。


 せめてチートがあれば、もう少し気分も楽だっただろうに…。

 そんなことをうだうだと引きずりつつ、宿のドアを開いた。


 宿のチェックイン手続きは、現実世界とそんなに変わらなかった。

 サインは必要だったが、ギルドの冒険者証の提示でほぼすべての手続きが終了した。


「では…お部屋は3階になります。ごゆっくり、おくつろぎください。」

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」


 俺は鍵を受け取って、階段の方向へと歩を進めた。


 ちなみに冒険者証の提示をもって、住所などの記載を省略できたのは…大変にありがたかった。


―――さすがに多少の身の上は考えとかないとまずいよな…。


 明日いきなり履歴書を…なんてことはないと思うが、困った質問というのはいつも突然やってくるものだ。

 これも異世界転移系ファンタジーの常識。

 時間があればだいたい見ていた異世界アニメ…その知識を存分に活用しよう。





 鍵に少してこずったものの、なんとか部屋に入ることができた。


―――すご…。


 想像の5倍くらい豪華だった。

 部屋がいくつもあるのは当たり前、当然ながらお風呂とトイレは別。

 なぜか設置されているピアノ…らしき楽器。

 現実世界ならスイートルームに分類される…いやそれ以上か。


 この世界、意外とお金持ちが多いのかもしれない。

 俺が特殊すぎただけで、冒険者になることはそんなに難しくなさそうだ。

 冒険者になれば依頼を受け、お金を稼ぐことができる。


―――思ったより…暮らしやすいんだな。


 異世界転移系の話を読むとき、いつもこういう生活的なところが気になっていた。

 洗濯機はあるのだろうか、電子レンジはあるのだろうか、シャンプーはあるのだろうか…。

 妙に細かいところが気になっていた俺。

 ちなみに現在のところ、洗濯機と電子レンジは見かけていない。


―――科学が発展しているとはいえ…もとの世界と比べると…。


 やや物足りない気がする。


―――そういえば、テレビも見当たらないし…。


 別に文句を言いたいわけではなく、そんな違いに新鮮な驚きを感じている俺。

 ちなみに疲れたので、そのままお風呂に入ってみたが…使い方は感覚的にわかった。

 身体にも特段の異常はない。

 昔のやけどあともしっかりとある。


―――しっかし…俺が研究者になるなんて。


 湯舟ゆぶねにつかり、濃すぎた今日一日を振り返る。

 正直、現実世界では考えもしなかった進路だ。

 両親と同じく商社に勤めるか、消防関係の仕事に就きたいと思っていた。

 それがまさか、異世界で研究者とは。

 しかも魔法の。


「人生、何があるかわからんねー。クマクマー。」


 なぜかお風呂には、クマのおもちゃが浮かべられていた。

 この宿にはかなり長い間お世話になるつもり…このクマのおもちゃとになるまで、そう時間はかからない気がする。


 ベッドは反発が少ないタイプで、寝心地も良かった。これで一泊金貨2枚ということなので、これを基準にしようと思う。





 翌朝、珍しく早起きをした俺。


「ふわぁぁぁん…。」


 太陽に向かって、大きく口を開いた。

 特に何かを狙ったわけではないが、普通にあくびをするよりかは生産的だろう。


 体調は可もなく不可もなくといった感じ。

 異世界転移したばかりで混乱するのかと思ったが、そんなこともなかった。

 多分、衣食住を確保できたことが大きいのだと思う。


 ちなみに食事は宿屋内にレストランがあり、なんと24時間営業してくれている。

 宿泊客ならば、割引までしてくれるそうだ。

 朝はカレーライスを食べた。

 現実世界基準にしてしまうと少し物足りなさはあるものの、普通においしい。

 お会計は銀貨1枚。金貨で払ったところ、銀貨9枚がおつりとなった。


 どうやら「金貨1枚は銀貨10枚」という公式があるようだ。


「ごちそうさまでした。おいしかったです。」

「ありがとねー。いってらっしゃーい!」


 厨房のおばちゃんにお礼を言って、宿を後にする。

 部屋の鍵はカードタイプだったが、失くしたら一大事。

 念には念を入れて、フロントに預けることにした。


―――まあ、盗られるような物なんてないんだけど。


 ちなみに昨日もらった金貨は肌身離さず持っている。

 寝るときも、枕の下に置いておいた。

 いくら物価がわからないとはいえ、これが大金だということはわかっている。

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