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冬晴れの空の下、僕は久々に、例の雑居ビルにやってきた。
撮影場所として先輩が指定してきたのが、そこだったのだ。ここの契約は2月末まで残っているらしい。
2階に上がり入り口のインターフォンを鳴らすと、すぐに鍵の開く、ガチャという音がする。
「おじゃまします……」
中に入る。あの神殿があった部屋には、誰もいない。予め先輩から伝えられた通り、僕は奥のドアを開ける。そこは廊下になっていて、いくつか小さな部屋が並んでいるようだった。その一番奥が、彼女がここにいたときに暮らしていた部屋だという。そこを撮影場所にしたい、と。
ドアをノックする。
「どうぞ」
先輩の声。ドアを開けると、いきなり暖かい空気が流れだしてきた。そこは六畳くらいの広さの、いかにもパーティションらしいベージュの壁で区切られた、殺風景な部屋。ドアの向かいにあるアルミサッシの窓は白いカーテンで塞がれ、その上にあるエアコンが小さな音を立てて温風を吐き出している。
床にはグレイのカーペットが敷き詰められていて、一組のフォールディングテーブルとパイプ椅子が、折り畳まれて壁に立てかけられていた。その向かいには、やはりフォールディングベッドが折り畳まれた状態で置かれている。こんな部屋で、しばらく令佳先輩は暮らしていたんだ……
そして……
「……!」
その部屋の真ん中に立っていたのは、まさに女神……ヴィーナスだった。
生まれたままの姿の、令佳先輩。
ミロの大理石彫像のように白く……きめ細やかな素肌。
豊かな二つの胸の膨らみの頂点にある……ピンク色の突起。
ふくよかな腰回りの中心、両足の付け根の……薄い茂み。
やはりどうしても、そういう部分に視線が行ってしまう。
「あ、あの……言っとくけど、私、変態じゃないからね!」先輩が焦り顔になる。「インナー着てたら脱いでも体に線が残る、って話、Webに書いてあったから……だから、何にも着ないでずっと待っていただけだからね!」
その先輩の口調がおかしくて、ヤバくなりかけていた雰囲気が一気に弛緩する。僕は一つ深呼吸をして、笑顔を浮かべた。
「それじゃ、早速撮影を始めましょう」
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今回メインで使うのは、ミノルタ AF 50mm F1.4。僕が持っているレンズの中では最も明るい。フルサイズでは標準レンズと言われる焦点距離だが、僕のα350ではポートレート撮影にちょうどいい中望遠レンズになる。
フラッシュも持ってきたが、部屋は南向きで、絞りを開放にすれば窓からの自然光でも十分速いシャッターが切れる。むしろ肌の陰影やそれに伴う体の立体感は、自然光の方が美しく表現できるのだ。絞りF1.4なら前景も背景も綺麗にボケてくれるし。
最初は硬かった先輩の表情も、僕が色々指示をしたり、「あ、その表情いいですね!」なんて声をかけながら撮影していくと、だんだんほぐれてきて柔らかくなってきた。
ポーズもやはり、ポッティチェリの絵画を初めとする、過去のヴィーナスをモチーフとした様々な芸術作品に準じたものにした。女神さまなのだから……そこは譲れないところだ。
いつしか夕暮れがせまりつつあった。夕日の色が先輩を神々しく染め上げる。だが……その時間はあまりにも短かった。とうとう日が暮れてしまう。もう自然光での撮影は無理だ。それに……持ってきたメモリーカードも、満杯になってしまった。
「これで撮影は終わりです。お疲れさまでした」
僕が言うと、先輩は、
「……ありがとう」
呟くようにそう言って、僕の前に近づいてきた。もちろん、裸のままで。
「ねえ、ハマちゃん」
「は、はい……」
心臓が高鳴る。まずい。今まで抑えに抑えてきた、煩悩が……
「私ね、来月、ロシアに行くの」
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