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 そして、健人さんから「準備が整った」という旨の連絡が僕らに届いたのが、昨日のことだった。一昨日おととい、健人さんは久々に実家に帰ってナターシャさんと一緒に過ごしたらしい。彼女もいろいろ協力してくれたのだそうだ。そして今日、僕らは健人さんを含め、前回のリベンジをすべく第二次突撃隊を編成し、ファミレスで昼食を摂りながら軽く打ち合わせブリーフィングをして、今に至る。


「なんで……兄さんが……」


 呆然とした顔で、令佳先輩が呟くように言う。


「妹尾君だったかな? お前の元カレの。彼が僕の知り合いを通じて連絡を取ってきてね。それで僕は一昨日帰ってきて、ここにいる皆から話を聞いたんだ。大体のことは分かってる」


「貴史が……?」と、先輩。


「ああ。彼も心配してたぞ」


 そこで健人さんは、亜礼久さんに向き直る。


「相変わらずだな、親父。あんたは自分の家族を、自分の都合のいいように動かせる道具としか考えてない。反吐が出るよ」


「何を言うか!」亜礼久さんが険しい顔で言い放つ。「私には崇高な目的がある。それを達成するために、家族も皆協力すべきなのだ。ひいてはそれが家族の幸せにつながる。お前はなぜそれが分からない?」


「ふん」健人さんが鼻を鳴らす。「分かりたくもないね、そんな話は。崇高な目的だと? 聞いて呆れるよ。あんたは令佳を操り人形にして、ノヴィ・スヴェトを好きなように牛耳りたいだけなんだろ?」


「それの何が悪い? 私は神に選ばれた人間だ。私の意志は神の意志だ。だから私の意志を反映するのが、ノヴィ・スヴェトに与えられた使命なのだ」


「それはどうかな」健人さんが不敵な笑みを浮かべる。「果たしてノヴィ・スヴェトの方では、本当にそんなことを望んでいるのかな。ヴィタリーに電話してみなよ」


「ヴィタリーに……だと?」


「ああ」


 亜礼久さんは胸ポケットからスマホを取り出して操作すると、右耳に当てる。そして、流暢なロシア語で話し出した。しかし、みるみるその目が丸くなっていく。


 いきなり大声で何かまくし立て始めたが、僕らには何を言っているのか全く分からない。だが、ニヤニヤしている健人さんには、全て分かっているようだった。


 やがて亜礼久さんは電話を切った。そしてまた、別な人に電話をかけたようだ。だが、それも結局同じように彼を激高させるだけだった。3回ほどそれを繰り返し、彼は愕然とした表情で健人さんを見つめる。


「お前……何をやったんだ……」


「べっつにぃ」少しおどけた調子で、でもニコリともせずに健人さんが応える。「ただ、ちょっとヴィタリーをけしかけてやっただけさ。あんたには積もり積もった不満があったようだからな」


「そんな……私は彼の能力を十分認めていた……だから私に次ぐ地位につけたというのに……それで何が不満だった、というのか……」


 亜礼久さんが、がっくりと肩を落とす。


「そうだな。大司教って言えば、ナンバー3だもんな。でも、あんたはあくまで彼をそのポジションに縛り付けておきたかった。彼がただ自分に忠実な部下でありさえすればそれでよくて、必要以上に権力を持つことは決して望んじゃいなかった。だからあんたは……僕とリディアを別れさせたんだろ?」


「!」


 亜礼久さんが目をむいた。


「ヴィタリーは、僕と彼女が付き合うことには賛成だったんだ。彼は、彼女が僕と一緒にいて幸せそうにしていたのを見ていたからな。普通、父親だったら何よりも娘の……自分の子供の幸せを望むもんだろう? だけどあんたは違った。教祖直系の子孫の僕とリディアが付き合い、結婚でもすることになれば、教団内でのヴィタリーの発言力が高まる。そうなると、教団の分裂につながりかねない。なんたって、僕とリディアの間に女の子が生まれれば、その子には総主教の継承権があるわけだからな」


「……」亜礼久さんは、黙り込んでしまった。


「だからあんたは、リディアが浮気している写真をでっち上げ、僕に見せて、こんな女はやめておけ、って言ったんだ。当時の僕はまだガキだったから、それをすっかり真に受けてリディアに酷いことを言ってしまった……そして本当に別れちまったんだ。だけど、リディアは根気よく僕にコンタクトを取ってきた。それで、とうとう僕は彼女に会って……真実を知ったんだ。全てはあんたの仕業だった、ってことをね。ふざけんな、って思ったよ。家族と宗教と、どっちが大切なんだ。あんな奴、父親でもなんでもない。もうこっちから絶縁してやる。そう思って、あんたとの連絡を一切絶った」


「……」


 相変わらず亜礼久さんは沈黙したままだった。それに構わず、健人さんは続ける。


「まあでも、当時はヴィタリーもあんたに心酔してたみたいだから、リディアの件もやむなし、と思っていたようだ。それでもその時にほんの少し、彼の心の中にあんたに対する不信感が芽生えたらしい。そして、それが彼の中でどんどん大きくなっていったんだ。オクサナが引退したら、あんたが事実上教団内トップの権力を得る。それを見越して、最近のあんたはかなり独善的になっているらしいじゃないか。今回の令佳の件だって、オクサナにも何も断らずに、あんたが勝手に動いてることだろう? 教団内には、そんなあんたの行動を快く思っていない人間も多かったんだ。もちろんヴィタリーもその一人だ」

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