67

 家と家の間の細い路地をすり抜け、僕らは例のビルの裏側にたどり着く。そこからさらに、ビルの東側の壁伝いにゆっくりと正面に向かっていく。


「すみませ~ん」良く通る、茉奈の声。「実は私たち、ここのお寺に行こうと思ってたんですけどぉ、道が分からなくなっちゃってぇ……」


「そうなんですぅ~」と、アヤちゃん。「よかったら、道教えてもらえませんかぁ~」


 二人とも、いつもよりも一オクターブくらい高い、鼻にかかった声だ。それに対応する見張りの男たちの声は、低くて聞こえにくい。


 壁の際から恐る恐る正面の様子をうかがうと、見張りの男たちは二人の女子に囲まれ、ズルズルと階段の入り口から引き離されていた。


 すごい。くノ一部隊、大活躍じゃないか。あの格好が功を奏したのか……


 僕は由之と良太を振り返り、親指を立てて階段の方に向ける。二人がうなずいたのを確認し、正面に出てそろりそろりと階段を上がっていく。僕の後に由之、そして良太が続く。


 しかし。


「……Нетニエット!」


 男の大声が響く。どうやら、良太が彼らに見つかってしまったようだ。


「まずい!」


 僕らは一気に階段を駆け上がる。そして2階の入り口のドアにたどり着いた僕は、鍵がかかっていないように念じながらノブを捻って引く。


 ラッキー! ドアはあっけなく開いた! 僕らはそのままその中に突入する。


 手前に受付のようなカウンターがあるが、誰もいない。学校の教室くらいの、がらんとした空間。だが、奥には金色をした十字架が壁に貼り付けられていて、その下にろうそく立てが並ぶ祭壇のようなものがあり、その前に二人の人物が立っていた。その二人が同時に振り向く。


「……!」


 僕は息を飲んだ。


 向かって右側にいたのは、中年の男性だった。明らかに日本人離れした顔立ちの、かなりイケメンだ。キリスト教の神父さんが着ているような服を着ている。


 そして……


 左側にいたのは……令佳先輩……なのだと思うの、だが……


 僕の知る令佳先輩とは、まるで雰囲気が違っていた。


 それはまさに、女神のようだった。


 彼女が身に着けているのは、白いレースの、ふわりとした感じのロングドレス。頭にも白いヴェールを被り、首にかけられたネックレスに付いたシルバーの十字架が胸元で光っている。


 しばらく、僕ら三人は言葉を失ったまま、その場に立ち尽くしていた。


「なんだ、君たちは!?」


「浜田君……」


 男性と令佳先輩が、驚いた顔で同時に口を開く。男性が僕らから令佳先輩に視線を移す。


「……令佳、知りあいか?」


「ええ……高校の……同じ部活の……」無表情になった先輩が応える。


 その時だった。


 背後でドタドタと音がして、振り返ると、例の見張りの二人組が怒りの表情で入ってきた。近づいてくる彼らの前に、良太が立ちふさがる。


СТОПストップ!」


 男性が叫ぶと、二人の見張りの動きがぴたりと止まる。そしてその後ろから、茉奈とアヤちゃんも入ってきた。


「「……令佳先輩!」」


 二人の声が揃う。だが、彼女たちの姿を見ても、先輩が表情を変えることはなかった。


「そうか……」男性は再び僕らに向き直る。「もしかして、君たちは令佳を心配して、来てくれたのかな? だとしたら、何も心配は要らない。この通り、彼女は元気だからね」


「で、でも……」思わず僕は口を開く。「先輩はほとんど学校に来てないし、たまたま会えたとしても、僕らは誰一人話もできない状態なんです。とても大丈夫とは思えません」


「彼女ももう卒業間近なんだから、別に学校に行かなくても卒業はできるだろう?」と、男性。「テストもちゃんと受けているし、問題はないよ」


「それだけじゃありません。ナターシャさんも……すごく心配しています」


「母に会ったのか?」男性が眉をひそめる。「まあ、今さら母には何も口出しする権利はないよ。本来彼女が教祖になるはずだったのを、投げ出してしまったんだからな。代わって令佳がそれを引き受けた、というわけだ」


「それは分かってます! 僕は令佳先輩に聞きたいんです。お祖母さんに心配かけたままで、いいのか、って……」


「いずれお祖母ちゃんにもちゃんとお話しするわ」令佳先輩は全く動じる様子もなく言った。「だから心配しないで、って浜田君からも伝えてもらえると嬉しい。一緒に故郷に帰ることになるから、って」


「え……ちょっと待って、故郷って……」


「ああ」男性が後を引き取った。「彼女はね、卒業したらロシアに渡ることになっているんだ。もちろん私の母も、私も一緒にね」

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