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作戦は期待以上の大成功だった。まさか運転手の人が車を降りる、とまでは思っていなかった。おかげで由之は余裕でスマホを車に貼り付けることができた。
だが、僕の心は晴れなかった。別れ際の先輩の言葉が、トゲとなって心に突き刺さったままだった。
"私はもう、あなたたちが知っている佐藤 令佳ではないの。だから……私のことは、もう忘れて。お願いだから"
……。
この言葉からすると、先輩は全て納得済みでこのような行動を取っている、としか考えられない。そんな彼女をうまく説得できるのか。取り戻すことができるのか。
そんな自信は、僕にはなかった。そしてそれは、先輩をこよなく尊敬している茉奈も同じ気持ちのようだった。
先輩のセリフは、僕だけじゃなく茉奈に対しても向けられたものだ。だから僕と同じように、茉奈の心にもそれが刺さっていた。さらに彼女は、軽くとは言え、先輩に拳を入れられてしまったのだ。かなりショックだったに違いない。
"先輩、戻って来てくれるのかな……"
茉奈との別れ際、今にも泣きそうな顔で、ぽつりと漏らした彼女の一言に、思わず僕は即答した。
"大丈夫。きっと戻って来てくれるよ"
それは茉奈に対してだけじゃなく、僕自身にも言い聞かせるつもりで発した言葉だった。
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その日の内に由之から、「場所が特定できた」というLINEが入った。
送られてきたマップURLのリンクをたどる。どうやら市街の中心から6キロ近く離れた郊外にある、小さなビルのようだ。ストリートビューで確かめてみると、3階建ての雑居ビルだった。各フロアは2部屋くらいしかないようだ。1階には駐車スペースと喫茶店が並んでいて、3階には司法書士事務所とIT関係の小さな会社が入っているようだ。そして、2階の窓に……明らかに「ヨシュアの福音 本部」の文字が……
しかし、ネットで調べてみると、「ヨシュアの福音」の本部は最近その場所から移動している。ストリートビューの写真が撮影されたのは、2年前。ということは、この2階は、今は空いている……?
しかし……
これは偶然だろうか?
「ヨシュアの福音」と言えば、令佳先輩の父、亜礼久さんがかつて信仰していた宗教団体だ。ひょっとして、亜礼久さんはそのビルの2階に通っていたのか? だから、よく知っている場所ってことで、そこを選んだのか……?
いずれにしても、そうなるとこの2階が令佳先輩の居場所である可能性は高い。しかも、ここは僕の家からもそれほど遠くない。自転車で十分行ける距離だ。
かといって、いきなり突撃するわけにもいかない。相手の情報が少なすぎる。そもそも、本当にそこに令佳先輩がいるのかどうかも分からないのだ。確かめようにも、あからさまに周りをうろついて偵察してたら、不審者扱いされるのがオチだろう。
さて、どうしたものか。
だけど、実はすでに僕には一つのアイデアがあった。それも僕の持つスキルと装備を十二分に活かした形の、だ。
ミノルタ APO TELE ZOOM 100-300mm F4.5-5.6 。
こいつの最大望遠 300mm は、APS-Cサイズのα350では35mm換算で460mmの望遠レンズになる。そして……実はつい最近、1.4xのテレコンバーターを格安のジャンクで入手したのだ。後玉にカビが生えていたが、表面だけだったので拭き取るだけで綺麗になった。こいつを装着すれば、640mm の超望遠レンズになるのだ。ただしその分開放F値も1.4倍の7.8になってしまうが、暗くても見えればどうということは無い。
そう。こいつを使って例のビルを偵察しよう、というのが僕の作戦なのだ。これだけの超望遠レンズなら、かなり離れた場所からでも大きく写せるはずだ。もちろんスターライト・スコープのようなものはないので、暗くなってきたらさすがに難しいが、日が落ちても街燈周辺なら何とか見えるだろう。
ここんとこ、三崎先輩や由之、茉奈には世話になりっぱなしだ。だけど、ぶっちゃけこれは僕と先輩の二人の問題だ。本来なら僕が率先して行動するべきなのだ。なのに……これまで僕自身はすっかりこの三人に頼りっきりになっている気がする。この辺りで僕も、得意分野を生かして何か役に立たないと……
でも、一つ大きな問題がある。
僕のα350では、動画が撮影できない、ということだ。
さすがにカメラを構えてずっとその場にいるわけにもいかない。例のビルから遠く離れていたところにいたとしても、人に見つかったら怪しすぎる。だから、できれば動画を撮影するモードにして、カメラを置きっぱなしにしておきたいのだ。
もちろん動画を撮るなら FDR-AX700 というハンディカムもあるわけだが……こいつは結構かさばるし、僕の手持ちのαレンズもテレコンも使えない。しかもこいつのレンズは最大望遠でも35mm換算で400mm相当にしかならない。今回は相手に気づかれないように遠くから撮影するため、出来るだけ望遠が効くレンズで撮影したいのだ。
僕のレンズとテレコンが使えて、動画が撮影出来るαマウントのボディがあればいいんだが……そんなの買う金なんか無いしなぁ……
と、途方に暮れていたのだが……
思わぬ方向から、助け船がやってきたのだった。
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