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中本は崇拝される自分に酔っていた。彼が何か一言話すだけで、感動のあまり泣き出すような信者もいる。女性信者にもずいぶん手を付けていたようだ。
そして、黙っていても信者たちは競い合うようにして莫大な寄付をしてくれる。宗教法人は税制上も優遇されている。
富と異性、そして権力。おおよその人間が手に入れたいと思っているそれらを、彼は思うがままに独占していた。
だから彼は分派ができるのを極端に恐れていた。彼以上に霊的な能力があり、なおかつカリスマ性に優れた人間が教団内に出現すれば、それは彼に対する脅威となる。「神の声が聞こえた」と報告した亜礼久に対してとった彼の態度の裏側には、そのような野卑な考えがあったのだ。
すっかり失望した亜礼久は、「ヨシュアの福音」を離れ、考えた。
中本のような下品な人間よりも、高潔な自分の方がもっとたくさんの人を正しく導き、救うことができるのではないか。自分の方がよっぽど教祖として
もちろん、たった一人で宗教団体など興せるわけがない。しかし彼は思い出したのだ。
彼の母が、かつてノヴィ・スヴェトの次期教組であったことを。
元々彼は日露ハーフであったため、ロシア語には堪能であった。大学院生時代にモスクワに短期留学していたこともある。
こうして彼は日本での仕事を辞め、ロシアに渡りノヴィ・スヴェトの幹部となった。元々の教祖の直系の子孫と言うこともあり、彼はすぐに実質ナンバー2の地位にまで上り詰めた。だが彼は男なので、直接教祖となるわけにはいかない。
そして同時期、総主教――現教組であるオクサナが、高齢のため引退の意向を口にした。すぐにでも次期教祖を探さなくてはならない。あいにく、オクサナは結婚しても子供が出来なかったため、後継者がいない。ナターシャさんにも声がかかったようだが、彼女も似たような年齢であり、また彼女の心の中にはもうノヴィ・スヴェトに関わる気持ちは残っていなかったのだ。
そこで、亜礼久は次期教祖として、自分の娘である令佳に白羽の矢を立てた。
元々父子の仲は良く、令佳は研究者である父親を尊敬していた。彼がロシアに渡るときも、別れ際に空港で大泣きしたくらいだ。そんな彼女なら自分の言うことを聞いて、教祖になってくれるだろう。亜礼久はそう考え、令佳にそれを伝えた。
だが、さすがに令佳もすぐには了承しなかった。それはそうだろう。いきなり教祖になれ、と言われても、まだ十五、六の女の子には想像もつかないに違いない。そんなことよりも、もっと青春を楽しみたい年代だ。
やがて令佳にも恋人が出来た。それが妹尾さんだ。しばらくは彼女も楽しい日々を送っていたが、いきなり別れを告げられてしまった。それを慰めて彼女の新しい恋人になったのが、僕だ。しかし彼女はある日妹尾さんと再会し、彼の元に彼女が中年の男とホテルに入ろうとしている写真が送られてきたことを知る。そこでようやく彼女は、自分の周りで何者かが暗躍しているのを悟った。
それが父親の手の者であることは、彼女の想像に難くなかった。彼女がうかつに恋愛などをして日本に未練を残すようになってしまったら、彼らにとっては非常に都合の悪いことになる。だから彼らは常に彼女の行動を監視し、恋路を邪魔しようとしていたのだ。
そして……そんな時、僕にも例の写真が送られてきた。それを知った彼女は、心を決めた。
もう私は彼らから逃れられない。ロシアに行き総主教になろう。それが私の運命なのだ、と。
もちろん亜礼久のやったことに対して、彼女も憤りを感じなかったわけではない。だが、彼は彼女のたった一人の親なのだ。彼を慕う気持ちの方が彼女は強かった。それに、かなり歪んではいるが、そのような彼の行動も彼女に対する一つの愛情の形ではないか。そう考えた彼女は彼に従うことに決めたのだった。
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