38
「……!」
ギクリとした。自分でも顔の血の気が引くのを感じる。
「本当にたまたまだったんだ。でもね」
茉奈は僕から目をそらしたまま続ける。
「あたしも気になっちゃってさ、隠れて店の外からずっと見てたんだけど……なんか、二人とも深刻そうな顔だった。全然楽しそうな雰囲気じゃなかった。その内、令佳先輩が一人だけで店を出てきてさ。なんか、すごく辛そうな顔してた。別に君を安心させようとして言うわけじゃないんだけど、あたしの勘では、どうも浮気じゃないような感じがするのよね」
「……」
浮気じゃない、にしても……先輩が元彼と会うなんて、いったいどういうことなんだろう。
僕がそう言うと、茉奈は首を横に振って応えた。
「ごめん。それ以上のことはあたしにもわからない。だけど、一応君は知っといた方がいいような気がしてさ。それだけ。じゃあ、ね」
そう言って、茉奈は手を振ってミーティングルームを出て行った。
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帰宅した僕は、部屋で一人、ぼうっと天井を眺めていた。
言い知れない不安が、僕の心の中を、雨が降り出す直前の黒雲のように覆っていた。
いや、大丈夫だ。僕は自分に言い聞かせる。
僕は令佳先輩の心をしっかり掴んでいる。二日前だって、僕と彼女は一緒に映画を見に行って、その後カフェで時間を忘れておしゃべりしていた。とても楽しかった。それは彼女も同じ気持ちだったはずだ。でも……
僕と彼女は、そういった「健全なお付き合い」から、未だに一歩も踏み出せていない。せいぜいキスやハグ止まりだ。いや、別に焦ってるわけじゃないんだけど……
僕だって男だから、それ以上に進みたいという気持ちだってもちろんある。ただ……僕は未経験だから、元彼と比較されたら、たぶん何もかも叶わない……
そう思ってしまうと、やっぱり何もできない。
だけど……
そういう関係にならないと不安なのも確かだ。本当に恋人同士なんだ、っていう手応えが欲しい。でないと……こんなふうに、いつか彼女が心変わりしてしまうんじゃないか、という悪い予感にさいなまれてしまう。
いったい、どうしたらいいんだろう……
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そして、悪い予感というものは、得てして的中してしまうものだ。
土曜日。令佳先輩との、週一のデートの日。一緒にお昼を食べるために、僕らはサイゼで待ち合わせていた。食事の後は、オーケストラのコンサートに行くことになっていた。
だけど……
その日の先輩は、明らかに元気がなかった。あまり会話が弾まない。
「どうしたの、先輩」
とうとう、僕は言ってしまった。
「……え?」
彼女が顔を上げる。
「なんか、先輩……元気ないけど、心配事でもあるの?」
「……!」
先輩は少し驚いたようだった。だけどすぐに笑顔を作ってみせる。
「ううん。別に、何も心配事なんかないよ」
「そう……だったらいいけど」
---
それでも、先輩と僕は翌週もデートを続けていた。そんな日常が、ずっと続くと思っていた。
だけど。
それは、突然終わりを告げた。
僕が使っているフリーのメールアドレス。そこに届いた、一通のメールによって。
そのメールは、送信者もメールアドレスのみ。それも、ランダムな長い文字列に続いてアットマークとよくあるフリーメールのドメインが付いたもの。件名もなし。
そして、その本文にも……文章は何も書かれていない。ただ、写真が添付されていただけだ。しかし……その写真は、僕を激しく打ちのめした。
それには、いかがわしいホテルに見知らぬ中年男と入ろうとしている令佳先輩が写っていたのだ。
……。
これはいったい、どういうことなのか。どこの誰が、どういう意図でこの写真を撮って僕に送ってきたのか。
全く分からない。
もしかして、最近令佳先輩が元気がなかった理由が、これに関係しているのだろうか……
いずれにせよ、僕はいったいどうしたらいいんだろうか……
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そうこうしているうちに、令佳先輩とデートする土曜日がやってきた。いつものように、カフェで待ち合わせる。だけど……
僕はもう、先輩の顔をまともに見られなくなっていた。
当然だが、彼女もそれに気づく。
「ねえ、ハマちゃん」
向かい合わせに座ったテーブル席。先輩が首をかしげながら言う。
「なんですか?」
「何か、あったの?」
「え?」
「なんか、今日は全然私の方を見ようとしないじゃない」
「え、いや……そんなことは……」
「応えて」
先輩が、食い気味に言った。真剣な顔で。
「な、何を……ですか?」
「何があったのか、話して欲しい」
「え……」
そんなこと言われても……話せるわけがない。
「……そう。話せないのね」
そう言って、先輩はうつむく。
「ね、ハマちゃん」
「はい」
「私達、別れましょう」
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