35

 令佳先輩の部屋は、思ったより簡素だった。


 6畳程度のフローリングの空間。パイプベッドとスチール本棚、スチールの勉強机、その隣にはパソコンデスク。全体的にモノトーンでシックな感じにまとめられている。ゲーム機はなかった。そもそも先輩はゲームはあまりやらない人だ。ゲームよりも本を読んだり音楽を聴いていたりする方が好きらしい。

 それにしても……なんか、あんまり女の子の部屋って感じがしない。まあ、僕も女の子の部屋に入ったのはこれが初めてだけど……ぬいぐるみとか、ファンシーグッズがあったりするのかと思ってた。


 だけど考えてみたら、先輩って割とクールビューティだし趣味もハイブローだから、ファンシーグッズに囲まれてる、っていうのも……あんまりイメージに合わないような気もするな……


 で、問題のパソコンだが、日本の有名なメーカー製なんだけど、結構古そうだ。黒い筐体の、いわゆるスモールデスクトップという形式で、それほど大きくはない。ディスプレイは21インチくらいの普通のテレビだ。HDMIで接続しているらしい。OSも買った当初は古い製品がインストールされていたが、一応最新にアップグレードしたのだという。


「これ、何が問題なんですか?」僕が問いかけると、


「OSが起動しないの」顔をしかめて、先輩が応える。


「そうですか。電源は入るんですか?」


「一応ね」


 うーむ。ということは……ストレージ関係のトラブルかな? とりあえず電源を入れてみるか。


 僕が電源ボタンを押すと、ランプが点いてファンが回る音が聞こえてくる。ディスプレイにBIOSの画面が表示され……


 ……そこで止まってしまった。


 なるほど。これはやはりストレージっぽいな。


 僕はもう一度電源を入れなおし、F2キーを押してBIOSの設定画面を表示させる。


 一応ストレージデバイスは認識されている。てっきりHDDかと思ったら、SSDだ。へぇ。このパソコンの時代にはまだ珍しかったと思うが……


「ああ、実はそれ、兄さんが交換したのよね」と、先輩。「こうすれば起動するのが速くなるから、って。確かにすごく速くはなったんだけど……壊れちゃったらどうにもならないよね……」


「その、SSDに交換したの、いつ頃ですか?」


「そうねぇ、もう3年くらい経つかな」


「てか、先輩のお兄さんは直してくれないんですか?」


「だって彼は今県外にいるのよ。しかも滅多に帰ってこないし」


「あ……そうでしたね」


 なるほど。それにしても……


 うーん。


 それくらいの時間で、SSDが故障するかなぁ……


 スマホでSSDの型番をネット検索してみたが、特にこの型番が地雷だという情報もない。何が問題なんだろう。


 とりあえず、データを救出サルベージできるかどうか試してみるか。


「先輩、僕、ちょっと家に帰って機材を持ってきます」


「え、わざわざ城山団地まで行ってくるの? それはちょっと……悪いよ」


「いえ、別に僕にとっては慣れたもんですからね。じゃ、少しだけ待っててください」


 と、僕が腰を浮かせかけた時だった。


 コンコン、とノックの音。


「はぁい」先輩が応えると、ドアが開いて彼女のお祖母ちゃんが入ってくる。


「お茶ですよ」


 お祖母ちゃんは陶器製のティーポットと二組のティーカップ、二つの小皿とティースプーン、そしてオレンジの絵が描かれた直径十センチくらいのジャム瓶のような謎の容器とクッキーが数枚乗った皿が乗ったお盆を持ってきて、先輩の勉強机の上に置く。


「あ、ありがとうございます」


 僕が小さく頭を下げると、お祖母ちゃんはニコニコして、


「それじゃ、ごゆっくり」


 と言い、部屋を後にする。


「これ飲んでからにしましょう。お祖母ちゃんお得意の、ロシアンティーよ。本場の味なんだから」


 先輩が立ち上がり、謎の容器を手に取る。


「そうなんですか」


 それはちょっと楽しみだ。


「ん……しょっ、と」


 先輩が瓶の蓋を右手で掴んで捻る。パカン、と乾いた音がして、それはあっけなく口を開けた。


「それ、マーマレードですか?」


「ええ。ジャムなら何でもいいんだけど、私はこれが一番好き。ハマちゃん、マーマレード苦手?」


「いえ、むしろ好きな方です」


「よかった」


 先輩は瓶からマーマレードをスプーンですくい、二つの小皿に取り分け、そしてティーカップにポットからお茶を注ぐ。


 ああ、思い出した。ロシアンティーって、確か紅茶にジャムを入れるんだっけ。だけど……直接ティーカップに入れたりしないんだな。


「はい、どうぞ。キーボードにこぼしたらまずいから、こっちに来て飲んでくれる?」


「あ、はい」


 僕は椅子のキャスターを動かして、先輩の勉強机に向ける。カップの中で揺れる琥珀色の液体から、湯気と共に紅茶の香りが漂ってくる。


「これ、カップに入れるんですよね」


 僕がそう言ってスプーンで小皿のマーマレードをすくうと、先輩は首を横に振った。


「ううん」


「……え!?」


 意外だった。


「これはね、こうやって……まずマーマレードを舐めてから、紅茶を飲むの」


 マーマレードを小皿から少しだけすくったスプーンを、先輩は口に含んで舐め取ってから、ティーカップを口に付けた。


「これがね、正式なロシアンティーの飲み方。紅茶に直接入れるのは、ロシアじゃなくて他の地方のやり方よ。もちろんそっちの方が好きならそうやってもいいけどね」


 ちょっとだけ、先輩はドヤ顔になる。


 へぇ……知らなかった。


「いや、それじゃ僕もロシア式で飲んでみます」


 僕も先輩と同じようにやってみる。


 ……うん。口の中に広がる甘苦いマーマレードの味を、砂糖なし、少し濃いめの紅茶が喉の奥へとさらっていく感じ。マーマレードと紅茶の香りが相まって、すごく豊かな味わいだ。


「美味しいです!」


「でしょ?」笑顔になった先輩が、もう一度マーマレードをすくったスプーンを口に含む。


 ……。


 いかん。


 なんかちょっと、エロさを感じてしまった……


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