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とりあえず、僕は令佳先輩と週一でデートすることになった。彼女も受験生だが、志望校には学校の推薦枠で受けられるらしい。それでも万一落ちたときのことも考えて、一般試験を受けるために勉強もするんだそうだ。とは言え、週一くらいならデート出来る余裕はあるのだという。
まあでも、令佳先輩も学校の成績順位は常に一ケタ以内だというし(ちなみに三崎先輩は3位以内から下がったことはないらしい)、生徒会の副会長で新体操部の部長、となれば内申点も文句なしだろう。国立大学でも十分推薦で合格出来るんじゃないだろうか。
というわけで、僕と先輩は、だいたい土曜にデートをすることが多かった。買物や食事を一緒にしたり、映画やコンサート、美術館に一緒に行ったり……
とは言え、先輩からクラシックのコンサートに誘われたときは、正直僕も最初は腰が引けていた。普段クラシック音楽を聴く機会なんかほとんどない。音楽の時間に学んだような曲は、なんだかどれもそれほど心に響かなかった。なので、コンサートに行っても途中で寝てしまうんじゃないか、と、それだけが気がかりだったのだ。
ところが。
その日の演目は、リムスキー・コルサコフの「シェへラザード」。全然知らない曲だったが、僕としては、はっきり言ってもう全くもって眠気を感じるどころではなかった。
まず、全編を通じて繰り返し流れるバイオリンとハープによる「シェヘラザードのテーマ」が、とにかくかわいらしくて切ない。
そして、第三楽章。
冒頭のストリングスのメロディを聴いた瞬間、僕の脳裏に電撃が走った。
この曲だ……!
中学二年の頃に何かで聴いて「ああ、すごく綺麗な曲だな」と思ったのだが、曲名までは分からなかった。そうか……「シェヘラザード」の第三楽章だったのか……
「どうだった?」
コンサートが終わった後、帰り道を歩きながら、令佳先輩は僕に問いかけた。
「良かったです!」僕は即答する。「僕、あの第三楽章のメロディ、かなり前に聴いてて、すごく好きだったんですよ。だけど曲名分からなくて……長年の疑問が解決出来て、めちゃ嬉しかったっす!」
「それは良かった」先輩は満面の笑みになる。「私、別にロシアの血を引いてるから、ってワケじゃないとは思うんだけど、ロシアの作曲家の作品が結構好きなのよね。チャイコフスキーとかリムスキー・コルサコフとかラフマニノフとか……だから、ハマちゃんにも気に入ってもらえて、私もとても嬉しいよ」
「先輩……」
この人の笑顔がこれだけ間近に見られる。たったそれだけの事が、僕の心を喜びでいっぱいに満たすのだった。
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とにかく、それ以来僕はクラシック音楽に目覚めてしまったようだ。令佳先輩のおすすめは、なぜかどれも僕の好みと言ってよかった。面白かったのはムソルグスキーの「展覧会の絵」だ。ラヴェルが編曲したオーケストラバージョンは教科書にも載るくらいの名曲だが、オリジナルのピアノ曲は、はっきり言ってめっちゃ地味だった。先輩に言われて僕も初めて知ったのだが。
そして、先輩は本の知識も豊富だった。特に彼女はSF小説が好きらしい。女の子にしては意外だな、と思うのだが、実はこれは彼女の母親の影響だった。
先輩の母親が子供の頃はSFがちょっとしたブームで、少女マンガでもSFものがたくさんあったらしい。彼女の母親はそういうマンガを沢山持っていて、彼女もそれを読んですごく影響を受けたのだそうだ。それでSF小説を読むのが好きになった、と。ただ、そう話した時の先輩の顔が、なぜか一瞬暗く沈んだように見えたのは、気のせいなんだろうか……
以前僕が借りて読んだ「夏への扉」も面白かったけど、先輩が一番好きなのは、ポーランドの作家、スタニスワフ・レムの「ソラリス」なのだという。彼女との図書館デートで、僕もそれを借りて読んだ。と言っても新訳版の「ソラリス」じゃなく、旧訳版の「ソラリスの陽のもとに」だけど。
なんというか……こんなことが僕の身に起こったら、どうなってしまうんだろう、と思わせる話だった。切ないけど、読後感はとても暖かい。先輩が好きだというのもうなずける。ほんと、この人色んな事よく知ってるなあ……
しかし、なんつーか、どれも随分文化系な趣味だなあ、と思う。今までずっと体育会系の部活をやってきている先輩にしては。だけど、イメージ的にはとても先輩らしいと言えばらしいとも言える。カラオケとか遊園地とかゲーセンとかで遊んだりするのは、それほど彼女は好きじゃないらしい。まあ、僕も別にそういうのは嫌いじゃないけど、ものすごくやりたい、ということでもない。それよりも、先輩と一緒にいるといろんな発見がある。そちらの方が僕にとってはよっぽど魅力的だ。
それに、僕と先輩は写真展に行くこともあるのだが、これはもう僕の方が圧倒的に専門家なので、作品を見ながらウンチクを披露しまくってしまう。だけど先輩はいつもそれをニコニコしながら聞いてくれるのだ。そして、とうとう
「私も写真撮ってみようかな」
などと言い出した。
これはもう、僕としては願ったり叶ったりだ。今までは僕がずっと先輩の色に染められてきた感があるが、たまには先輩を僕の色に染めてもいいだろう。というわけで、近いうちに一緒に先輩のカメラを買いに行く、という約束までしてしまった。
まあでも、いずれにしても、いわゆる「健全なお付き合い」なのは間違いない。それでも僕は十分満足だった。令佳先輩と一緒にいられるだけで……彼女がそばで笑ってくれているだけで……僕にとっては何物にも代えがたい事だったのだ。
そんなある日、令佳先輩からいきなり LINE が飛び込んできた。
<[ちょっとお願いがあるんだけど、放課後付き合ってもらえないかな?]
今日は水曜日。体育館の練習はないから、僕は別に新体操部に行く必要はない。ちょっとイレギュラーだが、たまにはいいだろう。
[いいですよ。で、どこに行くんですか?]>
<[私の家]
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