18

 さらに時は過ぎ、夏休み。


 とうとう令佳先輩と三崎先輩にとって、最後の舞台となる地区大会の日がやってきてしまった。この日を限りに二人は新体操部を(原則的に)引退する。僕としても、二人の最後の晴れ姿を美しく記録できるように、気合いを入れて撮影するつもりだった。


 会場は市の体育館。我が部がいつも練習で使っている、ホームグラウンドと言ってもいい。マットが敷かれたアリーナの一階は冷房が効いていて、肌寒さを感じるほどだった。選手でもコーチでもなく、そして男子である僕はフロアに居づらいので、二階観覧席に上がる階段に向かう。その時だった。


「あ、ハマちゃーん!」


 背後から声が掛けられる。振り向くと、令佳先輩が駆け寄ってきた。演技用のメイクを済ませ、コスチュームの上にジャージの上だけを羽織っている。


 いつ頃からか、彼女は僕のことを「ハマちゃん」と呼ぶようになった。なんだか随分なれなれしくなったなあ、と思うが、僕としては素直に嬉しいことだった。そして彼女は僕の目の前、30センチくらい離れた場所で歩みを止める。距離……近っ……


「いよいよこの日が来ちゃったね」先輩がニッコリと笑う。「ハマちゃん、私の最後の晴れ姿、上手く撮影してね」


「最後じゃないかもですよ。県大会に出場が決まれば」


「まさかぁ! 私が県大会なんて、無理無理」苦笑いしながら、先輩が首を横に振る。


「いや、分かりませんよ。僕、期待してますから」


「そうね。いずれにしても、ベストを尽くすだけよね」先輩の顔がキリリと引き締まる。こういう顔の先輩は、凛々しくてとても綺麗だ。


「ええ。先輩……頑張って下さい」


「分かったわ。それじゃ、ね」


 先輩は再びニッコリと僕に笑いかけ、踵を返して部員たちがいる我が校のベンチに向かって走り出した。


---


 二階席で、僕はアポテレ100-300mm F4.5-5.6を装着した愛機α350に一脚を取り付ける。撮影準備完了。僕以外の部員は全員フロアのベンチにいるので、関係者で二階席にいるのは僕一人だけ。寂しいと言えば寂しいが、撮影に集中していればそんなことは気にならない。


 今回はFDR-AX700ムービーカメラは堺さん……改め「アヤちゃん」(本人がそう呼べとうるさいので……)に任せてある。なんでも、彼女はカメラに興味があるみたいで、しきりに僕に使い方を聞いてくるので、一通り使い方を教えてみたのだ。だけど……彼女は教わるときに随分体が近くて、時々彼女の胸の先端が僕の体に当たったりしてドキドキさせられた。あれ……当たってるの、彼女自身でも分かってるよな……


 それはともかく。


 一通りカメラの使い方をマスターしたようなので、試しにアヤちゃんに撮影させてみたところ、そこそこ上手く撮れていた。なので、今回フロアに降りられない僕に代わって、マットに近い位置から撮影を担当してくれている。というわけで、今回僕はスチルに集中することになった。やはり僕はスチルの方がしっくりくる。令佳先輩と三崎先輩の晴れ姿を、写真として残しておきたかったし。


 今回1年生メンバーは練習がまだ不十分ということで誰も出場できず、ベンチで見学するだけになった。そうなると部としての団体種目への出場も無理で、3年と2年のメンバーが全員個人種目に出場するだけになる。僕はその全員の演技を撮影した。2年生のメンバーは緊張してミスったりする子もいたが、令佳先輩と三崎先輩はさすが、と言える演技だった。だけど……


 強豪校で県代表常連の北高のメンバーの演技は、やはりずば抜けていた。うちのメンバーはおそらく誰もがかなわないと思う。そんな中で、いよいよ令佳先輩の個人戦最後の種目、クラブの演技の時間となった。クラブは彼女の得意種目だ。


 α350の光学式ファインダー越しに先輩と目が合う。今日もか。最近気づいたのだが、彼女は演技の直前にいつも僕を見ているのだ。その理由は良く分からない。「これから演技をするよ!」というメッセージなのかもしれない。


 音楽が始まった。ラヴェル作曲のバレエ音楽「ダフニスとクロエ」第2組曲。と言ってもトータルで15分以上の楽曲なので、1分半の演技時間に合わせるようにかなり編集してある。終盤の「全員の踊り」の部分がそのまま彼女の演技のクライマックスに来るように構成されている。


 音楽に合わせてマットの中を縦横無尽に駆け回り、令佳先輩は規定演技のバランス、ピボットターン、ジャンプを次々にこなしていく。ダンスステップコンビネーションに続き、いよいよADとダイナミック要素を狙う演技だ。先輩の両手から放たれた二つのクラブが、シンクロして回転しながら宙を舞う。それを先輩は後ろ手で二つともキャッチ! 決まった!


 こんな風に先輩は高難度の技を次々と決めていった。拍手が起こるたびに彼女の表情も冴え渡る。思わず僕はシャッターを切りまくっていた。


 そしてラスト。先輩がポーズを決めると共に音楽が止まる。万雷の拍手!


 僕が見た限り、ミスは一つも無かった。これまで見た中でも、おそらく彼女の最高の演技だ。いつの間にか僕は、自分が涙ぐんでいることに気づいた。


---

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る