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 僕が令佳先輩に連れていかれたのは、体操練習場への渡り廊下だった。そこにいたのは新体操クラブの会長でもある山崎やまざき 奈美恵なみえコーチ、中学2年メンバーの後藤 ごとう美羽みうちゃんとその兄、良太りょうただった。実は良太は同じ高校の、仲のいい同級生(ただしクラスは違う)。僕や由之とは中学時代からの腐れ縁だ。


 良太は中学の頃から柔道部だった。スポーツ刈りの髪に、いかにもスポーツマンらしい精悍な顔立ちと引き締まった体付き。つるむようになったきっかけは、好きなゲームや音楽が同じ、ということだった。それで意気投合した僕らは、互いの家によく遊びに行ってゲームをしたり音楽を聴いたりしているので、美羽ちゃんとも僕は大分前から顔なじみだった。いつも明るくて元気のいい女の子。だけど、今はその顔を少し悲し気な表情が覆っていた。


「実はね、浜田君……」


 令佳先輩の話はこうだった。


 演技会では毎年、美羽ちゃんの家族全員が来て彼女の応援をすることになっているのだが、今年は家族の中でも演技会を一番楽しみにしていた彼女のお祖母ちゃんが三日前に転んで骨折してしまい、今は入院して治療を受けているのだという。


 彼女のお母さんはその付き添いで病院にいるらしく、お父さんは出張でどうしても来られなくて、結局兄の良太だけが会場に来る事になったのだが、出来ればお祖母ちゃんにもお母さんにも彼女の演技を見せてあげたい、とのことだった。そこで令佳先輩が、「浜田君が YouTube チャンネルを開設してくれたから、生中継できるんじゃない? そしたら病室のテレビに映して二人も見られるんじゃないかしら」と提案したのだそうだ。それで僕が呼ばれた、と。


「いやいや、ちょっと待って下さい」僕は両手を上げて押しとどめる仕草をしてみせる。「チャンネルが開設出来たからと言っても、生中継はいきなりは出来ません。ライブ配信を有効にしないといけないんですけど、設定してから有効になるまでに結構時間がかかるんです。1日くらいかかることもあるらしいです。もっと早く分かっていれば何とかできたんですけど……」


「あ、そうなんだ……」令佳先輩が顔を曇らせる。


「それに、病院のテレビが YouTube 見られるとは限らないですし……」


 古いテレビだとネットの動画は見られないし、古くないテレビだとしても、そもそも病室にネットが通じているかどうかも怪しいところだ。


「そっか……私、何も知らなくて、安請け合いしちゃったんだね……」


 そう言って令佳先輩が目を伏せると、その場にいた全員も悲しげにうつむいてしまう。まずい。先輩に恥をかかせる形になってしまった……なんとかしなきゃ……


 ……しかし、よく考えれば、YouTubeで生中継する必要、あるんだろうか? 他にもいろいろ方法があるじゃないか。提案してみるか。


「先輩、要するに病院の二人にだけ映像を見せられればいいんですよね?」


「そうね」


「だったら、生中継よりビデオ通話の方がいいと思いますよ」


「!」令佳先輩の顔が一気に明るくなる。「そうか! それ、浜田君できる?」


「ええ。ただ、向こうで誰か通話を受ける人が必要になりますけど」


「それは俺がやるよ」と、良太。「これから速攻で病院に飛んで、通話を受けるから。悠人、スマホで大丈夫だよな?」


「ああ。だけど、スマホじゃ画面小さいよな……」


「俺、スマホにつなぐ HDMI ケーブル持ってるから。病院のテレビだってさすがに HDMI は接続出来るだろ。出来なきゃ仕方ねえ、スマホの画面で見てもらうよ。それでも全然見られないよりはずっとマシだろ?」


「分かった。じゃ、向こうに着いたら LINE で呼んでくれ。LINE のビデオ通話で送るから」


「ちょっと待って」山崎コーチだった。この人は三十代前半で一児の母だが、随分若々しく見える。「浜田君、LINE のビデオ通話って……もしかして、スマホで演技を撮影するつもりなの?」


「え、ええ」


「美羽ちゃんの演技だけ?」


「ええ。ダメですか?」


「……」コーチは黙ったまま顔をしかめていたが、やがてようやく口を開く。「今回、みんなの演技を例の最高級ビデオカメラで撮影するんだったわよね。でも、美羽ちゃんだけスマホになっちゃうの?」


「う……」


 しまった。それは考えてなかった……


「それとも、スマホとビデオカメラ、両方で同時に撮影出来るの?」


「いや……それはさすがに無理です……」


 僕はうつむきながら、呟くようにそう言うことしかできなかった。


「コーチ、スマホで撮影なら、浜田君じゃなくても私たちでも出来ますけど……」令佳先輩が助け船を出してくれた。


「そうね」山崎コーチはうなずくが、表情は変わらない。「でも、あなたたちだって中学の部が終わったらすぐに出番なんだから準備も必要だろうし、撮影している余裕はあまりないんじゃないかしら。それに、やっぱりスマホじゃどうしても写りが悪くなるわよね。それに加えて撮影技術もあなたたちは浜田君に劣るんだから……ブレブレの映像で、下手したら美羽ちゃんのお祖母ちゃんを、気持ち悪くさせちゃうかもしれないわよ?」


「……そうですね」令佳先輩もうつむいてしまう。


「だからそれは最後の手段ということにしましょう。ね、浜田君」コーチが僕に向き直る。「その最高級カメラの映像を、なんとかしてそのまま病院に届けることはできないかしら? たぶん、それがベストだと思うんだけど」


「……!」


 確かにコーチの言うとおり、それがベストだと僕も思う。だけど……そんなこと、可能なのか……?

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