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 片思いの恋があえなく消えても、僕はカメラマンの仕事をやめることはなかった。令佳先輩の顔を見るのが少し辛くなってしまったのは確かだが、その程度のことでこの仕事を放り出すのは、僕の性格が許さなかった。令佳先輩はもちろん部やクラブのメンバーから僕が頼りにされているのは間違いないし、その期待を裏切るわけにもいかない。だから僕は毎週体育館に通った。雨が降っても、雪が降っても。


 そう、季節は冬。毎年、新年早々のこの時期には新体操クラブの演技発表会がある。だけど競技会というわけではないので、点数を評価したり順位を付けたりすることはない。あくまでエキシビションなのだ。と言っても中学生以上のメンバーにとってはこの演技会は競技会の予行演習のようなものなので、うちの部のメンバーも演技会に向けてかなり気合いを入れて練習に取り組んでいる。


 クラブの演技会の観客は原則的にコーチや市の新体操協会の人たち、クラブメンバーの家族といった関係者だけに限られる。それでも今回は了承を得られたクラブメンバーについては、撮影した演技を後日 YouTube チャンネルで公開することになっていた。しかし、果たしてどれほどのメンバーが公開を了承するものだろうか。おそらくそんなにいないんじゃないだろうか。


 と、僕は思っていたのだが……


 ふたを開けてみて驚いた。演技会に参加するメンバー全員から了承が得られたのだ。もちろんメンバーは皆未成年だから、本人だけじゃなくて保護者の了承も必要だが、素晴らしいことにそれも全部クリアされた。裏では令佳先輩と三崎先輩とコーチがかなり動いてくれたらしい。


 というわけで、演技会当日の土曜日。僕は家で昼飯を食べてから、13時過ぎに SONY DT 18-70mm F3.5-5.6 標準ズームレンズを装着したα350と FDR-AX700 をバックパックに詰めて、会場のいつもの体育館に自転車で向かった。


 この標準ズームは叔父さんからα350をもらったときにもともとセットになっていたレンズだ。ただしフードが純正ではなくミノルタ 28-100mm F3.5-5.6 D 用のものになっている。純正フードをなくした叔父さんが中古でフードだけ100円で買ったらしい。だけどこれがなんと純正品かと思うくらいにピッタリとレンズにハマる。ケラレ (撮影画像の四隅がフードに隠れて暗くなる現象)も全くないし。レンズの描写は、まあ、可もなく不可もなしというところか。でも軽くて小さいのでスナップでは重宝する。


 体育館には特に目立つ看板などは置かれてなかったが、玄関に入ると「青野市新体操クラブ 演技発表会」という文字が書かれた立て札があった。今日はいつもの練習場ではなく、アリーナを貸し切りだ。アリーナの床のど真ん中にマットが敷かれている。照明は体操練習室よりも若干明るいので、スチルにしてもムービーにしてもシャッタースピードが稼げるのはありがたい。まあ、今回はムービー主体で、スチルは記念写真だけ、と割り切って標準ズームを付けてきたけど、余裕があったら演技シーンも撮りたいと思ったので、一応アポテレ100-300mmも持ってきた。たぶんそんな余裕はない、とは思うけど。


 現地には既にうちの部のメンバー全員が到着していて、思い思いにウォーミングアップをしていた。別にそのようなシーンまで撮影することもないので、僕は部のメンバーよりは若干遅めの到着でも構わないのだ。しかし、そうは言っても今回は練習場じゃなくてアリーナで行われるので、いつもと勝手が違う。何が起こるかわからない。だから僕も一応開会式の45分前には現地に入るつもりだった。後から考えれば、結果的にその行動は全くもって正解だったのだが。


 そして今日、僕のテンションは、いやが上にも高まっていた。


 競技会でないとは言え練習でもないので、今回はメンバー全員が競技用のコスチュームを着用して演技をするのだ。部費で買ったという、全員おそろいのレオタードを着て。スカート付きで黒基調にところどころスクールカラーの青色の柄が入っている。大人っぽくてなかなかいいデザインだと思う。今回の演技会がそれの初お披露目ということになる。


 だけど、ウォーミングアップの段階ではみなジャージのままなので、残念ながらまだ誰のそれも目にすることは出来ていないが……これはもう、想像するだけでも楽しみだ。ま、僕も男なんだから……それが楽しみなのは仕方ない。これぞまさしく役得ってもんだろう。


 と、ジャージ姿の令佳先輩が、なにやら深刻そうな顔付きで近づいてきた。やばい。鼻の下を伸ばしすぎたかな……


「浜田君、相談したいことがあるんだけど、ちょっと来てくれる?」


「え、何ですか?」


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