第15話 ミリエル・キャンベル―4

 壁紙は剥がれ,調度は壊れ,物が散乱した酷い有様の室内であったが,少なくともベットはきれいにしてミリエル嬢を寝かした。私と姉上は転がっていた椅子を持ってきて二人落ち着けるぐらいのスペースは空けた。二人それぞれの椅子に座った。


「時々恐ろしくなるの」


 しばらくの沈黙の後,姉上はぽつりとそう呟いた。彼女は言葉を続けた。


「自分を押さえ込めなくなって,何もかも壊してしまうんじゃないかって。みんなを傷つけてしまうんじゃないかって。ルシア,私の力は貴方が思っている以上に危険なものなのよ」

「姉様……」

「夢を見るわ。私の魔力が私の言うことを聞かなくなって,大切な人たちを死なせてしまうの。ルシア,夢の中であなたはいつも私を助けようとしてくれる。でも,私の力はあなたを切り刻んで……。血溜まりの中であなたの頭を抱えて私は一人泣き叫んでいるしか出来ない。そんな夢を何度も見るのよ」


 私は絶句した。姉上がそんな悪夢を見るまでに追い詰められているとは思ってもみなかった。


「その場面を鮮明に思い出すわ」

「しかし,それは,夢のことですから」


 姉上は首を横に振った。


「魔力が暴走したのはこれが初めてではないの。あなたはまだ小さかったから覚えていないかもしれないけど,六年前くらいまではちょっとしたことでも制御できなくなっていたわ」


 そんなことは初めて聞いた。六年前といえば,私は三歳で姉上は六歳だ。三歳というとようやく私の意識がはっきりし始めた頃だが,記憶はかなり曖昧だ。覚えていないのは無理ないかもしれない。


「ですが,今までは暴走することもなかったじゃないですか」

「そうね。でも六歳までは全然抑えることが出来ていなかったの。そんな状態なのに,何もせずに突然抑えらるようになった,なんてのはあり得ないのよね」


 その言葉で私はピンと来た。そうか,姉上はすでにもう。


「封印,ですか」

「ええ」


 姉上は頷くと腹部のちょうどヘソの下あたりに手を置いた。


「高名な封印術師に刻印してもらったらしいの」

「らしい?」

「ええ。記憶が曖昧でね。覚えているのは気が狂いそうなほど痛かったってこと」


 封印術は大変な苦痛を伴う。文献にあった通りだが,姉上は実体験として知っていたのか。それも,幼い頃に。


「だから,ジーンから封印の話をされた時,その頃の痛みが蘇ってしまって……。あの子にも酷いことをしたわ」

「彼は無事ですよ。気を失った程度で,体に支障はありません」

「そう,それならよかった」


 彼女は安堵した表情を見せた。ジーンが軽い意識障害を起こしていたことは話さなくてよいだろう。


「すでに封印があるというのに,それでも抑え切れないのですか」

「年々,魔力量が増しているの。それで,六歳の頃の封印では対処しきれなくなって来たのだと思うわ」

「では,封印を新しくするしかないのですか」

「ええ。封印の強化は珍しくないし,よくある術式だから可能よ。でも,問題は私の心ね」

「それは……六歳の頃の苦痛が思い出されて,安定を欠いてしまうため,ですか」


 彼女は小さく頷いた。

 幼い頃の強烈な出来事は心的外傷となって彼女の心に巣食っている。今回の暴走は,ジーンの言葉を切っ掛けとして,幼少期の出来事がフラッシュバックされたために魔力制御を一時的に失ったのだろう。


「こんな状態では施術は危険なの」


 私は落胆を隠せなかった。私とミリエル嬢が探索した限りでは封印は唯一の解決策であった。それが実行できないとなると,もはや八方塞がりである。


「……あなたも封印を考えていたのね」

「ええ。姉上と同じように強大な魔力を持っていた先人も,この方法を取らざるを得なかったとありましたから。ですが,事実上,実行不可能ということなら,もうどうしたら良いか……」

「不可能……ではないわ」

「え?」


 私は一瞬耳を疑った。その可能性は彼女自身が先ほど否定したものではなかったか。


「ミリエル先生の魔力特性を応用すれば可能性はあるわ」

「先生の特性? 感応力が強いということ以外に何かあるのですか」

「その感応力の強さよ。感応が強いということは他者の魔力を取り込んで同調しようとする能力に長けているということなの。ミリエル先生が私の魔力に触れると恐怖感を覚えたり目眩を引き起こすのは,同調しようとする魔力の量が大きすぎて拒否反応が出てしまうのね」

「そういうことでしたか。しかし,それがどうしたというのです」

「ええ。そうした同調特性はね,同調の過程で相手の魔力を整える作用もあるの。私が暴走状態にあったとき,あなたの呼び掛けには反応しなかったのに,ミリエル先生には反応して正気に戻ったでしょう。私の暴走した魔力がミリエル先生の正常な魔力によって安定したのよ」

「では,先生が傍に居れば,施術も可能ということですか!」


 僅かであるが希望が見えて来た。ミリエル嬢の感応力の高さは私も彼女自身も障害にしか思っていなかった。それがここに来て役立つことになるとは思いもしなかった。

 朗報に思わず浮き立つ私であったが,姉上の表情は浮かない。


「もちろん可能ではあるけど……ミリエル先生にとってもかなりの苦痛よ。施術中ずっと私の傍に居なければならないし,暴れそうになる魔力にじかに触れることになる。非常な負担になるわ」


 姉上の現実的な指摘に私は頭を冷やした。目の前に突如として現れた解決策に冷静さを欠いてはいけない。事は慎重を要するのだ。


「私なら大丈夫です」


 とその時,ミリエル嬢がベットから起き上がった。いつの間にか意識を取り戻したようだ。


「先生! 体は大丈夫ですか」


 私は椅子から立ち上がった。彼女の容態を確かめねば。姉上も立ち上がり後に続いた。


 幸い体に支障は無いようだった。軽く四肢を動かしてもらったが異常はない。姉上の魔力に今なお当てられて顔色が悪いが,以前よりかは過剰に反応しないようだ。ベットに腰掛けて,今は平然としている。


 彼女の容態を一通り診断した私と姉上は席に戻った。姉上は,ミリエル嬢が無事だと分かり,ほっとしたようである。


 姉上は椅子に座わると,己を責めるような顔をして彼女に声をかけた。


「ミリエル先生,あの,巻き込んでしまって……」

「いいんです,お嬢様。これは,私の意志でしたことです。お嬢様が後悔することなんて,これぽっちも無いんです」

「先生……」


 姉上は複雑そうな顔して黙り込んでしまった。言葉が無いようである。


「しかし,無茶でしたよ,先生。あの中に飛び込むなんて」


 口を挟んだはいいが,思わず咎めるような口調で言ってしまった。一歩間違えらればミリエル嬢の命も危うかった。それほどまでに,彼女の行為はあまりにも無謀だった。


 ミリエル嬢は私の言葉にむっとした表情をした。


「ルシア様,貴方だって他人ひとの事を言えないでしょう,同じように飛び込んだのですから」


 そう言われてしまえばその通りなので言い返せない。しかし,危険度は感応力の強い彼女の方が高かったのだから,その点は割り引いて考えて貰いたい気もする。まあ,言っても仕方あるまい。私も彼女を避難させなかったし,結局,同罪である。


「それはそうですが……。そういえば,先生。姉上の近くに居るというのに,以前のように怯えたりしないですね」

「もう,話を逸らさないで下さい,ルシア様」


 私は両手を挙げた。


「もう……。以前よりも,お嬢様の魔力を恐ろしいと感じなくなったようです。不思議と今は平気です」

「おそらく,先ほどの件でかなり同調が進んだのね。今よりも濃密な魔力にさらされたためだと思うわ」


 姉上はそう言った。災い転じて福となる,とはこのことか。

 ミリエル嬢も何やら嬉しそうな顔をした。


「それは,なおさら都合が良かったです。……お嬢様。もし施術をおやりになるのであれば,私はその場に付き添わせて頂きます。私のことは気にしないで下さい。私はお嬢様のお傍に居ます」

「だめよ,そんなのは。貴女の負担は相当なものなのよ」

「私の負担なんて。お嬢様のご負担に比べたら軽いものです」


 ミリエル嬢は笑った。

 確かに,彼女の負担はきついだろう。しかし,その苦痛に耐えてでも,叶えたいものがあるのだ。私も彼女と同じ気持ちだ。だから,私は施術のことに関しては賛成も反対も出来ないと思った。もはや,これは,彼女たちの問題となった。私は黙するばかりだ。


「……分からないわ。どうして,そこまで」

「お嬢様。私は,ずっと,こうしてお嬢様とお話ししたかったんです。お手紙は交わして頂いておりましたが,それでも,お嬢様の顔を見て,瞳を見て,言葉を交わしたかったのです。幸運にも,今,こうしてお話し出来て,本当に嬉しく思います。……お嬢様。この幸福を望むのは,私一人だけではありません。ジーンお坊ちゃまやアンお嬢様,マリウス様や奥様,旦那様だって。ご家族だけじゃありません。これからお嬢様が出会うであろう素敵な人々も,貴女の瞳を見つめながら貴女と言葉を交わす幸福を望むでしょう。お嬢様。……お嬢様はお優しい方ですから,もし彼らのその望みを叶えられないとしたら,貴女は酷く悲しまれるでしょう。私はそんな悲しみを貴女にして欲しくはないんです」


 ミリエル嬢は優しく語りかける口調で言った。それは紛れもない彼女の本心だろう。彼女の良い所は,こうした複雑な気持ちを少女らしい感性で素直に言葉に出来る所だ。


 見れば姉上は少し頬を赤らめていた。ミリエル嬢の気持ちを真正面から受けて照れたらしい。


「……先生の気持ちは分かりました。でも,少し買いかぶり過ぎよ」

「そんなことはありません。ね,ルシア様」


 恥ずかしがる姉上に対して,ミリエル嬢は明るい表情でこちらに視線を向ける。さては,姉上と対面で話せるようになって浮かれているな。普段は大人びた顔をして講師然としているのに,こうしてあどけない表情を向けられると驚くので困る。


「……ええ,もちろんです。姉上,貴女は貴女が想像する以上に誰かに気にかけられています。決して,買いかぶりではありませんよ。……施術については,先生の負担もそうですが,姉上自身の負担が大きい。お二人でよく話し合って決心下さい」


 たしかに,ミリエル嬢の存在は心強い。しかし,過去のトラウマを抱えたままの施術である。姉上の精神が耐えきれるかどうかも分からないのだ。

 ミリエル嬢と姉上は,私の言葉に強く頷くと互いを見やった。


「先生。少し時間を頂戴。色々,覚悟しなくてはならないのだと思うから」

「もちろんです,お嬢様。私はいつまでもお待ちします」


 ミリエル嬢はそう言った。彼女の言葉に偽りはないだろう。たとえ,大叔母様の期限を過ぎて,この屋敷を追い出されたとしても,彼女は封印の施術に駆けつけるつもりだろう。


 姉上は,そんな彼女の言葉の裏を悟ったのか「早めに決心するわ」と微笑んだ。どこか肩の荷が下りたような力の抜けた微笑は,普段は忘れがちだが,彼女が十二の少女であることを思い出させる。


 そして,その笑みは,親しい友に向ける親愛の表情だった。


 姉上は友を得たのだ。あの,部屋に引きこもりがちで,内向的で,大人びていて,博識で,本当は心根の優しい我が姉ロゼッタが,ようやく心を許せる友人を得たのだ。


 姉上にとっては大きな第一歩だ。そのことに嬉しく思う反面,私はなんだか寂しくもあった。

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