第12話 図書室での事

 私はミリエル嬢と一緒に姉上の問題に取り組むこととした。しかし,いざ問題に取り掛かってみると,これは大変難しい仕事なのだということを改めて痛感した。


 誰であっても圧倒的な力の前には恐怖して膝を屈するだろう。絶対的な権力者を前にした哀れな木っ端役人のように。姉上を目前にした人々の反応はちょうどその構図に似ていた。我が姉ロゼッタが普段近くに人を寄せ付けないのは,そうした人々の表情を見たくないためもあろう。


 それゆえ,彼女が他人と会話をするのは難しい。相手の反応のためだけではない。姉上自身が恐れてしまっているのだ。私とは例外的に会話をしてくれるが,私以外の者との対面でのコミュニケーションは数えるほどしかない。家族団欒の場にすら顔を出さない彼女だ。一体どうして,赤の他人と気軽に世間話を興じられよう。私はミリエル嬢と頭を悩ませることとなった。


「お手紙を……出してはいるのですが」


 ミリエル嬢が沈んだ表情で言った。姉上へ出した手紙に色よい返事を貰えなかったのだ。


 こうなった以上,本人に事情を打ち明けて方法の模索をして行かなければならない。そう考えた私たちは,姉上に協力を取り付けるべく,依頼の手紙を出したのだ。とにかく,姉上がミリエル嬢と面と向かって会話することが第一の目標だ。テーブルを挟んで和やかにお茶という訳にはいかなくとも,どうにかして話をする事は出来ないか。まだ確かな方法は分からない。


 しかし,距離を取れば顔くらいは見ることが出来るかもしれないし,何か衝立ついたてを置けば魔力の圧も緩和されるかもしれない。試せることはいくらでもあるのだ。しかしながら,どれが効果をあげるのかはやってみないと分からない。だからこそ,姉上の協力が不可欠なのだが……。


「やはり,だめですか」

「ええ……」


 予想はしていたが,姉上は人と対面することにかなり忌避感を覚えるようだ。無理からぬことだが,こうも一方的に交渉を断られては打つ手がない。


「ですが,諦める訳にも行きません。引き続き協力をお願いしましょう。返事を貰えるまでは,姉上の魔力をどうにかする手段を探していましょう」

「……申し訳ありません,ルシア様。お手を煩わせてしまって」


 ミリエル嬢がまた沈んだ表情を浮かべている。ここまで一つの成果も出せていなことを気にしているのだろう。私は一切責めるつもりもないのに,彼女としては,やはり自分の問題に巻き込んだようで心苦しいのだろうか。


「今更ですよ先生」


 だから私はなるべく明るい表情で答えた。意外に弱気な所のあるこの人が少しでも前向きになれるためにも,私が落ち込んでいる暇はないのだから。


 大陸の歴史を紐解いてみると,姉上のように膨大な魔力を持って生まれた人間は何人か居たらしい。長い歴史の中にぽつりぽつりとそれらしき人物が登場している。歴史物語に唐突に現れて独自の逸話を残して消えていく。


 大いなる魔力を秘めた彼ら彼女らの市井の者たちへの関わり方は千差万別であった。ある者はその力で権力を簒奪さんだつして君臨し,恐ろしい魔力で人を意のままに従わせたという。いつしか魔王と呼ばれた彼は,暴虐の限りを尽くしたが,彼を恐れ反旗を翻した人々によって魔王の国はわずか一年で滅亡したという。


 一方で,生涯,その魔力で救済の旅を続けた者もいるようだ。大陸の各地にその者の名が伝説とともに残っている。また中には,官職に就いて後に宰相まで上り詰めた者もあった。戦乱の時代に黒宰相と呼ばれ,ある者たちからは親しまれ,ある者たちからは忌み嫌われた,なかなか味のある人物だったようである。


 私はこの黒宰相のことが気になった。彼の逸話も興味がそそられるが,気になったのはそこではない。公僕として生きたのであれば,それだけ人と接する機会の多かったはずである。姉上並とは行かなくとも,それに近しい魔力量を持っていたのであれば,まともに他人と会話など出来なかったはずだ。


 事実,生まれたばかりの彼の魔力は人の目にも見えるほどだったという。彼はどうにかして自身の魔力を抑えることが出来たのだ。どのようにして魔力を制御したのだろうか。


あいにく,列伝には彼の生涯の概略しか載っていない。詳しいところは彼を専門的に扱った書籍にあたる必要があった。私は日中の大半を屋敷の図書室で過ごすこととなった。


 夏の盛りに図書室にもるというのも,かつて学生だった頃の夏休みを思い出すようで例年のちょっとした楽しみだったのだが,今回ばかりはそうも暢気のんきにしていられない。先生の進退が関わっているのだ。私は気を引き締めて書物の山にあたった。


 しかしながら,膨大な書物の中から目的の人物に関する情報を調べ出すのは容易ではなかった。たしかに,黒宰相に関する書籍はいくつか見つけることが出来た。しかし,目当ての情報の載ったものはなかなか見つからなかった。


戦時での彼の活躍やエピソードを述べるものは見つかったものの,彼が歴史の表舞台に現れる以前の話は全くと言っていいほど見当たらない。図書室を管理している使用人も居るには居るが,彼とて蔵書の全容を把握している訳ではない。心当たりを尋ねて書棚に登りページをめくってみる他やりようがなかった。


「にいさま」


 調べ物がなかなか見つからないので,私はソファで休憩がてらの不貞寝を始めていた。そんな私に,囁きと聞きまごう声を掛けたのは我が妹アンであった。慌てて身を起こして振り返る。彼女は,大型本をその小柄な背丈ゆえに胸一杯に抱えて立っていた。本は植物辞典のようだ。


「恥ずかしいところを見られてしまいましたね。……アンは本を返しに来たのですか?」


 私の多分に誤魔化しを含んだ問いに彼女はコクリと頷いた。どうやら気にしていないらしい。


「随分大きな本ですね。持ってくるのが大変ではなかったですか。使用人を呼べばよろしかったのに」

「ついで,だから」


 それにしては大分苦労そうだ。アンでは書棚に戻すのは大変そうだったので,私は彼女から辞典を受け取って元の位置に戻してやった。


「にいさまは何してたの?」

「調べもの……ですが,なかなか見つからなくてですね。すこし途方に暮れていました」


 途方に暮れる仕方は貴族の子弟としてあるまじきものだったが。見られたのがアンで助かった。これが大叔母様だったらと思うとゾッとしない。


 アンはそのつぶらな瞳を無感情に光らせて私をじっと見つめてきた。何か意味ありげな表情だが,その実,ただ私の言葉を待っているだけに過ぎない。彼女はこう見えて素直なところがある。


「そういえば,アンの持っていた本は随分古そうでしたね。よく見つけられましたね」

「うん,ここの子に教えてもらった」

「ここの子? ……ああ,なるほど」


 彼女の言い方から使用人に聞いた訳ではないことはすぐに分かった。


 私との一件以来,アンは私と共に精霊との関わり方を模索し始めた。もちろん私は精霊が見えないので,ただのアンの相談相手でしかないが,彼女の年齢では難しいような考え方の整理だとか検証の段取りなどは私がやった。結果として,ある程度まで精霊と意思疎通出来るまでになって来た。彼女があっさり言いのけた言葉は,実は,私たちの取り組みのここ最近の結構な成果だったりする。


「本に詳しい子もいるのですか」

「うん,ずっと昔からここにいるって。アンはね,司書さんって呼んでる。図書室にある本を全部読んだんだよ」


 精霊というのは実に多様だ。ほとんど意志を持たない者もいれば,この”司書さん”のように字を読み言葉を操る精霊もいる。そして不思議なことに,意志を持たない者は一生意志を表さないというし,知識ある者は生まれた初めから十分な知識を持つという。彼らには経験という概念はないようである。


 さて,それは横に置いておくとしよう。今大事なのは黒宰相だ。そして,この司書精霊さんの存在は渡りに船だ。


「ところで,アン。実は,お願いがあるのですか……」


 アンはいつもの変化の乏しい表情で首をかしげた。


 図書室の主はすぐさま黒宰相の自叙伝を探り当ててくれた。どうやら一般に出版されたものではないらしい。何故ブラドスキーの図書室にあるのかは不明だが,貴重な一冊ではあるし昔の好事家な当主が集めたのかもしれない。保存状態は悪くないが,なにぶん古い本だから丁寧に扱う必要がある。私は図書室で慎重にページを捲ることにした。


 文章は,痛烈に個人を批判する文もあり,社交界を猛然と罵倒する文ありと,筆者はかなり癖のある人物であったことが伺い知れる。


一方で,綴られる文は格調高く,読んでいて心地よい。性格はともかく文才のある人だったのだろう。しかし,彼の美文に酔いしれている暇はない。自叙伝は年代順に書かれている訳でもなかったので,若い頃の話を探すのには多少苦労した。


それでも,彼が官職に就くことを決意した十八の時の回想を見つけることができた。それは,自身の文才に絶対の信頼を置いて仕官を志した青年を,老年の彼がからかい交じりに回想する文章であった。


 若かりし頃の彼は自身の魔力が人々をおびやかすものであることを知っていた。また,彼の魔力がそのままでは仕官の道を閉ざすものであることも知っていた。それゆえ,魔力を抑えるあらゆるすべを模索した。しかし,結局,取りうる方法は一つだけだったという。彼は自嘲交じりに言う。「初めから分かっていたことだ」と。


 若き黒宰相の取った手段は,私も以前姉上自身から聞いたことがある方法だった。彼女もそうだったのだろうか? 若き彼の人と同じように,他の方法など無いことを知っていたのだろうか? そうであれば,どんなに彼女にとって酷なことだろう。


 の黒宰相が取った方法は”封印”であった。特殊な道具で放出される魔力を強制的に押さえ込む魔法。封印は時間をかけて体に馴染ませる必要がある。


 そして,その施術には,身を裂かれるような残酷な苦痛が伴うという……。

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