第11話 ミリエル・キャンベル―2
「自立してやるって息巻いていたのに,高等学院を出てから行き場がなくなってしまったんです。……次席で卒業したというのに,誰も私を認めてくれなくて。だからといって,故郷に帰るわけにもいかないんです。だめですよね,意地ばかり張って,結局自分の首を締めてしまって……」
泣き止んだミリエル嬢は,せき止めていたものが一気に溢れたかのように,愚痴を吐き出していた。私に涙を見られたので,取り繕う必要がなくなったと言わんばかりである。
「ですが,家庭教師の仕事を得たではありませんか」
「それだって他に選択肢が……。いえ! 今ではこうしてお屋敷で皆様と一緒に居られて良かったと思っています! ただ,当時は自分の望むような仕事ではなくて」
「ははあ,だから,こちらにいらしたばかりの頃はどこか表情に陰りがあったのですね」
「……気づいておられたのですか」
「ええ」
悄然としたミリエル嬢の反応は素直である。先生という仮面を一度外した彼女は,年相応の表情を見せている。まだ十七なのだ。いかに大人びていようと,一人で生きていくにはあまりに世間に慣れていない。こうして,どこか不安げな顔をする彼女を見てしまっては,なんとか力になってやりたくなる。私の悪い癖だろう。
「とにかく,これからどうするかを考えなければなりませんね」
「そうですけど,でも,もうこのお屋敷から出て行くことが決まっていますし……」
「そこです。これは大叔母様の一存で,あの人の意見だけで決まったことです。まあ,それだけ発言力のある人ですからね。ですから,大叔母様の意見を変えさせて,先生を残留させるようにすればよいのです」
「そ,そんなの,無理に決まっているじゃないですか!」
もちろん,私とて簡単に行くとは思っていない。しかし,大叔母様の性格を考えるに,可能性が無い訳ではないと踏んでいる。
「望みはあります。大叔母様の方針は単純で,侯爵家の利となるか否かです。今のあの方の認識では,残念ながら先生は利とはならないと判断されているらしいですが,そこを変えてやればよいのです」
「そうは言っても,そんな簡単には……」
「大丈夫です。私が付いています。一緒に大叔母様へ直談判しましょう。直接話してみなければ始まりません」
「うぅ……」
かなり躊躇している様子だ。しかし,ここは勇気を出してくれなければならない。
私は粘り強く彼女を説得した。恐れ多いと渋っていたミリエル嬢ではあったものの,結局のところ,それしか方法のないことは彼女も理解してくれている。最終的に,大叔母様と面会することを承諾してくれた。
「それで,話というのは」
着席して早々,大叔母様は本題を投げかけて来た。
裏庭のテラスに話し合いの席を設けた。そこに,ミリエル嬢について話があると,大叔母様にご足労願った。本日の家庭教師の仕事を終えて帰宅するまでの僅かな時間を割いてもらったのだ。
この場には,大叔母様の他に私とミリエル嬢としかいない。大叔母様を正面に,私と彼女とで並んで座る形である。
私は付き添いである。今回のホストはミリエル嬢だ。とはいえ,場を設定した人間として口火を切る必要はある。
「お呼び立てして申し訳ありません。ミリエル先生の解雇についてお考え直し頂きたく,この場を設けました。先生には大変お世話になっておりますから,私としては続けて頂きたく思っています」
「なるほど,それでミリエルさんと私とで話し合えと。そういう訳ですね,ルシア」
「仰るとおりです」
大叔母様の表情は読めない。これはなかなか手強い。大叔母様は,内心を一切悟らせない揺ぎ無い態度で,私の言葉に返事した。
「良いでしょう。……ミリエルさん」
「は,はい」
「使用人の立場である貴方が,こうしてわたくしとの交渉の場を持つということは異例のことです。そのことは理解しておりますね?」
それゆえ,この侯爵家の象徴たる婆様はその弱みをまず第一に突いて来たのである。あの勉強部屋で繰り返えされた冷徹な口調での指摘は,ひどく緊張していたミリエル嬢の体を強張らせた。
「も,もちろん理解しております。ですが,それでも,あの」
内心の焦りが彼女の論理を乱した。大叔母様からのプレッシャーと焦りとで,二の句をうまく継げられなくなってしまったのだ。頬は焦りで紅潮し,額にはうっすらと汗が滲んでいる。全身が強張っている。膝上で組んでいた彼女の両の手は固く握りしめられ,血の気が引いていた。彼女は混乱の渦中に飲み込まれ,抜け出せず,もがいていた。
私は,テーブル下で棒のように固定されてしまっている彼女の腕に,そっと触れた。一人ではないのだ。一対一では敵わない相手でも,二対一なら勝算を持てる。
腕に触れた途端,はっとしたかのようにミリエル嬢がこちらを見た。まるで私の存在を思い出したかのように。そしてふと表情を和らげると再び正面に向き直った。一瞬の出来事であった。しかし,その一瞬で,彼女は混乱から抜け出した。もう,体の緊張は抜けていた。
ミリエル嬢は一度深呼吸すると,今度は確かな口調で大叔母様に対峙した。
「分をわきまえない事だと重々承知しています。それでも,お願いしたく思うのです。こうして臨時とはいえ,皆様の教育係の任を賜って,短い間ですが職務に励まして頂きました。その中で,まだまだやり残したことが,あります。ロゼッタお嬢様とは手紙のやり取りの中で,ご令嬢として必要なことをご指導することが出来るようになりました。しかし,手紙だけでは限界があります。対面して話をすることの大切さは,まだお嬢様にお教え出来ていません。アンお嬢様は独特な考えをお持ちな方です。ですから,もっとしっかりと寄り添ってお嬢様のことを理解した上で,必要なことをお教えする必要があると思っています。……時間を頂けないでしょうか。必ず責務を果たします。ブラドスキーのお家のためにも」
ミリエル嬢の言葉には,確かな情熱がこもっている。上辺のものではないことは,大叔母様にも伝わっただろう。しかし,この恐るべき婆様は気持ちだけで可否を判断する人ではない。
「ミリエルさんの気持ちは分かりました。そして,ロゼッタに関しては成果を挙げつつあることも。たしかに,年の近い貴女の方が,彼女たちに寄り添えるでしょう」
「それでは!」
ミリエル嬢の瞳が明るく輝く。しかし,喜ぶにはまだ早い。
「いいえ。それだけではなりません。貴女の価値は貴女自身で誰もが納得出来る形で示さねばいけません」
大叔母様は相変わらずの冷たいしわがれ声で宣告する。たちまち,ミリエル嬢の表情から喜びの色が消えた。しかし,もう怯えを見せることはない。強い決意を秘めた彼女の表情には確かな意思が表れていた。
「貴女が本当に彼女たちの成長に寄与する資質を持つかどうか証明してもらいましょう。ひと月,時間を差し上げます。ロゼッタが人と対面して会話できるようになること。これが条件です」
私は思わず口を挟んだ。
「大叔母様! それはあまりにも――」
今度は彼女の手が私の腕を掴んで制した。無理難題を押し付けるこの妖怪に抗議しようとする私を抑えて,ミリエル嬢は婆様の瞳をしっかり見据えて頷いた。
「感謝いたします」
「なぜ承諾したのですか」
大叔母様が退室したあと,ミリエル嬢を問いただした。あまりにも無謀だと思ったからだ。姉上の対人問題はブラドスキーの家の中で最も困難な課題だろう。少なくとも姉上が生を受けて十二年間,どのような努力も実らなかったのだ。それをひと月で解決しようというのは不可能に思える。
浮足立つ私に対して,ミリエル嬢は平然としていた。
「大叔母様の仰ることは正しいです。私は資格を示さなくてはなりません。そのためには,これぐらいのことは出来なければならないと思ったのです」
「それにしても無茶ですよ」
「無茶かもしれません。それでもやるしか無いんです」
私は思わず息をのんだ。
ミリエル嬢は毅然としていた。たしかに,そこには若者らしい無謀さもあるかもしれない。それでも,他人を寄せ付けないはっきりとした口調で彼女は宣言したのだ。
私はそれ以上何も言えなくなった。それと同時に少し安心もした。打たれ弱いところのある彼女なので,こうしてハッキリとものを言う前に,怖じ気が先にくるかとも思った。しかし,決断は下された。ならば,とやかく言っても始まらないだろう。
「大変な苦労ですよ。先生にとっては,耐え難いことも待っているかもしれません。それでもやるのですね?」
「もちろん,覚悟の上です」
「……わかりました。出来るだけお手伝いします。ですが,無茶はしないで下さい」
「ルシア様……ありがとうございます」
ミリエル嬢は嬉しそうに微笑んだ。
きっと彼女にとっては茨の道だ。初めから無茶なのだ。それでも,突き進むしかないというのだったら,私は最後まで付き合おう。彼女の無謀に苦笑を禁じ得なくとも,そんな人間をどこか好ましく思ってしまうから。
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