第4話 ロゼッタとミリエル―3

 なんとか手紙のやり取りの約束を姉上に取り付けた私は,図書室へと向かっていた。姉上の前ではずっと気を張っていたから少し休憩したかった。彼女の前では平然としていられるが,こうして気が抜けると思いのほか体力を使っていたことに気づく。私もまだまだ,ということだろう。

 書斎に入ると我が兄マリウスが棚の前で何やら立ち読みをしていた。座って読めば良いものを。

 兄上はすぐに私に気づいた。


「ルシアか。おまえも本を探しに来たのか」

「いえ,特別何かを探しに来たわけではありません。休憩がてらです。兄様は?」

「歴史の教師に課題を出されてしまってな。それの調査だ。ルシーカの神話なんぞ調べて何になるのか分からんが」


 ルシーカとは二千年前にこの大陸で栄えた古代帝国である。絢爛たる文化を誇った古代の超大国は,その遺風をこの地域に色濃く残しており,地域の文明の源流となっている。そのため,ルシーカ文化についての知識はこの大陸の知識階級の人間にとっては必須の教養である。たとえば,ルシーカの正当な後継と見なされるフェシリカの言葉は,大陸の知識階級の共通語として尊重されている。


「ほお,ルシーカですか。神話の何を調べよとの課題ですか」

「不動星エリカについてだ。この星にまつわる話は,たしかに興味深いところはある」

「そういえば,あまり不動星の話については詳しく知らないのです。せっかくなので教えてくださいませんか」

「ん? ああ別に構わないが」

 兄上は講師役を気安く引き受けてくれた。


 その昔エリカという若く美しい女神がいた。エリカは親兄弟を冥神ハディーンに奪われたため一人身であった。あるとき,エリカは詩吟の男神アルカリウスと出会う。美しい歌声のこの逞しい神に恋したエリカは,すぐさまにアルカリウスに想いを告げる。


 突然の告白に対して,見知らぬ者とは添わぬ,と返事するアルカリウス。諦めきれないエリカは,どのような相手であれば貴方様は添い遂げるのですか,と食い下がった。アルカリウスは答える,想いを詩にする人なり,と。


 エリカは必死に詩の勉強をして,ついに自身の愛を詩にして,アルカリウスに聴かせた。アルカリウスは詩に込められたエリカの愛に打たれ,夫婦(めおと)となることを承諾した。二人は夫婦となって幸せに暮らした。


 しかし,ある時,悪戯好きの神ペリアティツカが現れてエリカに告げる,アルカリウスはお前の親兄弟を奪った冥神ハディーンの息子だ,と。驚いたエリカはすぐにアルカリウスに真偽を確かめると,彼は本当である,と答えた。エリカは,騙していたの,と叫んで駆け出すと洞窟に逃げ込み入口を巨石で塞いだ。アルカリウスは説得したが,その努力も虚しく,かの女神は洞窟から出てくることなくそのまま洞窟で餓死した。


 これを悲しんだアルカリウスは父ハディーンに頼んでエリカを空に上げて星にしたという。彼女は今も洞窟に閉じ込められたままなので,東天に輝きながら不動の星となったと伝えられている。


「なるほどお,失恋の話なわけですか」

「そうだ。だが,なぜハディーンはエリカの家族を奪ったのか分からぬし,途中で急に登場したペリアティツカの素性も分からん」

「ペリアティツカは他の話には出てこないのですか?」

「登場する話もあるが片手で数えられるほどだ。それも全ての話で,唐突に現れ主人公を悲劇に導くだけの役割だ。どの神から生まれたのかも知られていない」

「ほー。不思議な神もいたものですね」

「ぼくはペリアティツカきらいだなー」


 と突然暖炉前のソファから声がした。背もたれに,のしかかるようにして顔を出したのはジーンであった。居たのか我が弟よ。ジーンにしては珍しく,書斎で本を読んでいたらしい。


「だって,いじわるしかしないんだもん」

「まあ好く人間はいないでしょうねえ」

「そうか? 私は結構この神を気に入っている」


 意外だ。兄上はこうしたキャラは好まないかと思っていたが。


「ええー! にいさま,なんでー!」

「ジーン,大きな声を出すな,みっともない。……そうだな,ペリアティツカはいつも転機に現れて物語の行く末を決定づける。それも唐突に現れ登場人物たちに混乱をもたらすと,役割を終えたとばかりに忽然こつぜんと消えうせる。なにか自身の変えられぬ運命を悟った傀儡のようでもある。神話の中で,もっとも自由な神であるのにな。そこが面白い」


 我が兄はまるで評論家のようだ。しかし,そう言われてみると,なんとなく哀れなキャラクターにも思えてくる。


「にいさま,むずかしいこと言うなあ」


 どうやら弟にとっては難しかったらしい。もはや理解する気もなさそうである。


「しかし,兄様も結構,お好きなんですね。こういう物語などにはご興味ないかと思っていましたが」

「む。私はそれなりに文学も楽しむ。おまえほどではないがな」

「それは意外でした」

「ぼくも物語の本すきー」


 どうやら三人そろって小説好きの兄弟だったらしい。姉上はどちらかと言うと博物学や魔法学などを好まれる学者肌であるし,我が妹アンは動物や植物の本をよく借りている。これは,我ら三人兄弟の間に意外な共通点を見つけてしまった。案外,知らないものである。

 その後しばらく,三人で物語の好みについて話をして時間を過ごした。



「姉様,手紙を持って参りました」

「ありがとう」


 今日はちょうど,テラスで姉上とお茶をする約束をしていたから,そのついでに手紙を届けた。

 姉上は私の渡した文を手に取ると,早々に開いて読み始めた。その表情は実に楽しげであり,なんとも年相応な様子である。


 結果からいうと手紙でのやり取りは成功だった。元々言葉少ない代わりに思慮深い姉上であるから,自分の気持ちは文章にする方が性に合っていたらしい。自身の率直な気持ちを手紙にしたためたようだ。それを読んだミリエル嬢は,多くの点で姉上を誤解していたことに気が付いたらしい。世界最高峰の魔力量を持つ姉様は,腹を割って話してみれば,その実,本が好きで物知りなちょっと内向的な少女でしかないのだ。根本のところでは二人は似たもの同士なのだから調子が合わないはずがない。したがって,今ではすっかり仲の良い文通仲間となっている。


 黙々と手紙を読んでいた姉上だったが,字を追う目線がふと止まると急にクスクスと笑い始めた。こうした表情も最近ではよく見るようになった。


「どうしたのです,姉様」

「ルシア,あなたのことよ。”私たちの天使様によろしくお伝えください”ですって」


 私を指して天使とは,なんだか背筋が寒くなる。


「何ですかそれは」

「先生と私との間でのあなたの愛称よ」


 どういう経緯でそんなあだ名をつけたのか。姉様はときどき言葉が足りない。


「一体全体どうしてそんな大それた名前が付いたのです」

「あら,ひどい言いようね。あなたはいつも手紙を運んできて,私に楽しい時間を与えてくれるでしょう。まるでどこからともなく現れて祝福を授けて下さる天使様みたいにね」

「みたいにねって……私はお二人の手紙を運んでいるだけです」

「それで十分なのよ」


 そう言って姉上は可笑しそうに笑った。私は返事に困った。なんだか,姉上がその年齢に似つかわしい夢見がちな少女に見えたからであった。


 紅茶をすすりながら,姉上が手紙を読み終わるのを待つ。

 ここのテラスは風通りがよい。丁度,長方形の土台に太い立派な石柱をいく本か建てて,上の平たい石材の屋根を支えているような形である。その支柱にはつるが巻き付いて屋根まで伸びており,生い茂った葉が陽を遮るように下に垂れている。それがすだれの役割をして,ちょうど良い日陰を我々にもたらしてくれる。


 心地よい空気の中,考えることは姉上のことだった。


 今は手紙のやり取りだけで良いかもしれない。しかし,今後はどうだろう。彼女は貴族の娘でもう十二になる。それなのに,社交の場には一度だって顔を出したことがない。同年代の仲の良い友達などいるはずもない。それだというのに,来年から学院に通うことになるのだ。一体,どんな苦労が待ち受けていることだろう。私がご一緒できないことが本当に悔やまれる。


 そもそも,ミリエル嬢のことにしても,問題が解決した訳ではない。今はたしかに手紙で親睦を深めつつある。しかし,依然として,ミリエル嬢が姉上と対面することは困難であることに変わりはない。ミリエル嬢が姉上と顔を合わせれば必ず恐怖するだろう。どれだけ両者が親しくなっても,こればかりは変えられない事実なのだ。そのことが,いつか,どんな不幸を引き起こすだろうか。きっと彼女たちは傷つくだろう。悪くすれば彼女たちの間に決して埋めらない溝を作ってしまうかもしれない。そうなったとき,どれほど彼女たちは悲しむだろうか。そのとき,私はどんな顔をして彼女たちに接すればよいだろうか。


「ルシア,どうしたの?」


 姉上はいつの間にか手紙を読み終わっていて,いささか考えにふけりすぎていた私を怪訝そうな顔をして見つめていた。


「ああ,すいません,姉様。少し考え事をしていました」

「ふふ,ルシアは時々そうやって難しい顔をする。私はすこしびっくりするのよ」


 姉上はどこか人をからかうような調子で言った。


「そんな,驚くようなことはないでしょう。考え事くらい私もします」

「そうじゃないのよ。そうやって難しい顔をしているときのあなたを見ているとね,ほんとうは私より三つも年下のはずなのに,まるでずっとずっと大人の人のような気がしてくるの。私はとても不思議に思っているのよ」


 私は,姉上の言葉に,すぐには返事が出来なかった。言葉に詰まって「何を奇妙なことをおっしゃるのですか」と愛想笑いを返すのがやっとであった。

 姉上はそんな私を眺めて,おかしそうに笑うのだった。


 二人だけのお茶会はお開きの時間になった。姉上は自室へと戻って行った。私は「すこし休んでから戻ります」とこの場に残った。


 石柱に巻き付いたツルの葉が風にゆれてかさかさと音を立てている。西日はすでに落ちかけて夕暮れ時である。夕日を眺める場所としては,広いルネス邸の中でも,ここは悪くないスポットだった。

 

 きっと大丈夫だろうと思った。ロゼッタという人は不器用ではあるが,他人を理解しようという意思のある人だ。人や物事に興味を持って,歩んでゆける人だ。我が敬愛する姉上は,私の心配など余所にして,自由に自身の人生を進んでいくだろう。それでよい。それが何よりなのだ。きっと私はほんの少しでも彼女の人生に関わりたいだけなのだから。この世に生を受けて出会った大切な家族だから,やや過保護になってしまっているのだろう。”姉”離れしないといけない。


 さて,差し当たっては,あの落ち込みやすいミリエル嬢のフォローにまわるとしよう。彼女の問題は姉上だけではない。我が愛しき腹違いの妹アンも一つの悩みの種であるだろうから。


 私は息を吐いて席を立ち,夕闇迫るテラスを後にした。

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