竜虎相搏つ
黒虎の左目を失明させて、毒を体内に流すことに成功した。
しかし、猛毒とはいえど、少量だ。未だ致死量には至らない。
黒虎の全身は暑い毛皮で覆われているため、石竜子の力では鉈で傷を与えられる部分は眼球や鼻などの顔中心に限られるのだ。
あと数回は毒入りの鉈を差し込まないと黒虎を追い詰める前に石竜子達が負けてしまう可能性もある。
そこから持久戦に持ち込んで、黒虎の体内に毒を隅々まで巡らせる策である。
石竜子は籠からもう一本の毒を塗った鉈を取り出して、構えた。
「やったな。石竜子くん」
「良い一撃だったぜ」
「狼さん! 狸さん!」
狼と狸が疲労感のせいか、死んだようにぐったりしている。鉈による攻撃が命中したのは彼らのおかげだ。
「俺達は大丈夫だ。だから奴を」
狼が荒い息遣いをしながら全ての元凶に視線を向けた。
黒虎が負傷した目から血を流しながら、石竜子を突き殺すような勢いで睨んでいる。
「殺す。ブチ殺す。八つ裂きにして内臓と血肉をばらまいてやる!」
黒虎の口から怨嗟にまみれた言葉が出て来た。石竜子は怯むことなく、二回目の攻撃に備える。
「お前が奪ってきた無数の命の重みをその体に叩き込んでやる」
「何故殺してはならんのだ。奪うのは自然の摂理だろう?」
「確かに生き物は互いに命を摘みあっている。弱肉強食。避けられない自然の摂理だ。しかし、お前の殺生には悪意が込められている。私利私欲を満たすために命を弄んだ。お前が身勝手に奪って来た命は誰かに愛されるべき命だった」
石竜子の脳裏に親友を姿が浮かんだ。彼と過ごした楽しかった日々。それらを奪われた事が許せない。
「お前は他者を踏みつけにすることによって得たひとときの快楽と引き換えに残された者達からの報復を受けることになる。逃げることは出来ない」
石竜子は鋭い眼光を黒虎に向けた。
「それに僕はたくさんの想いを託されているんだ。ここで負けるわけいかない」
「想いを託す? 亡霊に憑かれているとかの間違いではないか? もしくは寄生虫か? どちらにせよ誇れたものではないわ!」
黒虎が息を切らしながら、石竜子を挑発する。しかし、石竜子にはその挑発が哀れに思えた。石竜子をここまで突き動かしたのは彼自身の力だけではない。
親友である金蛇への想い。自身に稽古をつけて、想いを託してくれた兜虫、自分を信じてくれた狼や狸、ここまで共に歩んでくれた亀や蛙のおかげである。
想いの力が黒虎を追い込んでいると言っても過言ではない。
「そんなものになんの意味がーー」
その一瞬、黒虎の動きが止まった。顔色が先ほどより明らかに悪くなっている。どうやら毒が確実に回っているようだ。
「くそっ!」
猛毒が体内を巡っていることを察したのか。黒虎が踵を返して身を置いていくような速度で石竜子の前から逃げ出した。
「待てっ!」
黒虎が凄まじい速さで逃亡を図る。この先には蛙と亀が待機している川岸がある。
「やっとお出ましね!」
蛙が吹き矢を片手に亀の甲羅の上に立っていたのだ。
針の先端には石竜子の鉈と同じく、鳥兜の毒が塗られている。
彼女が勢いよく針を吹いた。黒虎の鼻先に突き刺さった。黒虎が小さく痛みを覚えたような声を上げた。
「よしっ! 命中した。でもこれじゃああいつを倒すのには不十分ね。もっと飛ばすわ!」
蛙が矢を装填して、再び撃とうとした時、黒虎が耳をつんざくような雄叫びをあげた。
おそらく蛙の放った矢に不快感を覚えたのだろう。
「この下等生物どもが!」
「潜るよ! 蛙さん!」
亀が蛙とともに勢いよく水中に潜っていった。非戦闘員である亀は蛙の身の安全を守るために潜水能力や泳ぐ速さを鍛えていたのだ。
「くそっ!」
黒虎が低いうなり声をあげながら、森の奥に足を向けた。草花や仲間たちの遺体を踏みつけていく。
石竜子は手足に鞭を打って、駆け出した。冷たい風が彼の歩みを妨げようとしても、懸命に四肢を動かした。
すると前方で走っていた黒虎が立ち止まり、踵を返した。
「くどい!」
鋭く尖った爪で地面を削り取り、石竜子に砂をかけてきた。突如、現れた砂の波に対処できず、飲まれた。
「ううっ!」
まぶたの裏に砂が入り込み、ざらざらとした感覚が蹂躙する。
「この俺が貴様ら、小物に負けることなどあってはならんのだ!」
黒虎が声を荒げて石竜子を必死に罵った。石竜子は涙腺から涙を溢れさせて、砂を外に流していく。
「出ろ! 早く出ろ!」
砂を流し終えて涙の地平線が引いていくと、黒虎が狼に噛まれた足首から血を流しながら、ぎこちない走りで距離を徐々に離していた。
「待て!」
石竜子は疲労で鉛がぶらさがったように重い手足を必死に動かした。
本当は今すぐにでもこの傷だらけの足を止めてしまいたい。
しかし、ここでやめてしまえば、もう二度と黒虎を追い詰めることはできなくなる。
何より命落として戦った仲間たちの死を無駄にしてしまう。
邪な感情を置いて行くような俊足で追いかける。絶対に逃がさない。鋼の想いが血流を巡り、手足を動かす動力へと還元される。
すると石竜子の体が後ろから何かにすくい上げられるように、ふわりと宙を舞い、柔らかい何かに着地した。黒い羽毛だった。
「おうおう。兄ちゃん。へばってるやん」
「あなたは!」
声の主はかつて助けたカラスの雛の父親だった。
「にいちゃん。遅れてすまんな。助っ人の参上や!」
「なんでここに?」
「雀がな。トカゲと自分達の仲間が黒い虎と戦うから力を貸して欲しいと頼んできたんや。トカゲには娘を助けられた事があるから手を貸そうと思って来てみたらまさか、にいちゃんのことやったとはな」
鴉が快活な笑い声を上げた。聞くだけで安心感のあまり、力が抜けてしまいそうになりそうだった。
よく見ると黒虎の真上に数羽の鴉が飛んでいる。よく見ると足に石を掴んでいた。
「彼らは?」
「俺のダチ公達よ!」
「娘を助けてくれたやつに恩返しが出来るんや。安いもんやで」
慈愛にも似た優しい言葉に涙が出そうになった。
鴉たちが上から黒虎にめがけて石を次々と落としていく。黒虎自身、予想外だったのか。目を丸くしていた。
「や、やめろ! 畜生どもが!」
黒虎は裏返ったような声で、石竜子を批判したがそんな言葉に聞き耳を立ててはいなかった。
黒虎の真上では今でもなお、鴉達による落石の雨が降り注いでいる。
降り注ぐ無数の石が黒虎に直撃するたびに、怨敵が眉間にしわを寄せていた。
確実に相手を追い込んでいる。
「絶対に逃がさない!」
気力を失いかけた石竜子の瞳に燃え盛る意志が宿った。
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