一矢報いる

 夕暮れが近づいている森の中、石竜子は必死の形相で鉈を持ち、走っていた。


 宿敵である黒虎が戦友である狼の顔を前足で力強く踏みつけていたからだ。


 両者、体の至る所に傷が出来ており、真っ赤な血で体毛が染まっている。


「狼さん。今助けます」


 僅かにふらつく体に鞭を打って、手足を動かしていく。石竜子は力を込めて、黒虎の眼球めがけて鉈を振り下ろした。


 しかし、攻撃を悟った黒虎に身を躱されてしまった。


「狼さん。大丈夫ですか?」


「ああ、このくらいの傷。想定内だ」


 狼が余裕そうな笑みを浮かべているが全身の傷を見る限り、ダメージを負っているのは確かである。


 僕の意識が飛んでいる間に付けられたんだ。石竜子は罪悪感とともに闘志を烈火の如く、燃え上がらせる。


「雑魚がどれほど集まろうと無駄だ!」


 黒虎がけたたましい雄叫びを上げながら、石竜子の方に走ってきた。迫り来る殺意を感じて、心臓の鼓動が急激に早まる。


「行くぞ! しっかりつかまっていろよ!」


 狼がすばやく動くたびにしがみつく体毛が揺れて、強風が石竜子の体を襲う。気を抜いたら飛ばされる。


 石竜子は意識を集中して、振るい落とされないように必死でこらえる。


 狼の実力は凄まじいものだった。黒虎には体格で劣っているものの、俊敏さで対応する術を持っていた。


 黒虎が次から次へと鋭利な爪が備わった前足を振りかざしてくる。しかし、狼が慣れたような動きで華麗にそれらの攻撃をかわしていく。


 そして、狼が隙をついて一瞬で黒虎の間合いに近づいた。


「よしっ! いける!」

 石竜子は狼の攻撃が当たることを確信した。


 そして、黒虎が疲弊したすきに毒が塗られた鉈で眼球か、顔部分を切りつける。これで勝利にかなり近づく。


 すると黒虎が勢いよく地面を削り取り、狼の目に砂をかけてきた。

「ぐっ!」

「狼さん!」 


 狼の動きが僅かに静止した瞬間、黒虎の前足が狼の鳩尾に直撃した。


 狼の体が衝撃で激しく揺れて、安定感を保てなかった石竜子は近くの木まで飛ばされてしまった。


「うっ!」

 石竜子は樹木の表面に背中を強く打ち付けてしまった。体に全く力が入らないせいで、すぐ近くに鉈があるのにそれに前足を伸ばせない。


 動け! 動け! 自身の体に何度も訴える。石竜子はふと、狼の様子が心配になった。黒虎の強烈な前足の一撃を受けたのだから、彼自身も無事ではないはずだ。


 狼の方に目を向けると、なんと黒虎の前足を抑えていたのだ。そして、すぐさ押さえつけながら前足に鋭利な牙で食らいついた。


「狼さん!」


 すると黒虎の背中に何者かが飛んで、しがみ付いた。狸である。全身に傷を負っていて、所々流血もしていた。


「狸さん」


「石竜子! 今のうちだ! 俺達が抑えているうちに一撃かましてやれ!」

 黒虎が背中にしがみつく狸を引き剥がそうと、必死に暴れまわる。


 石竜子は深呼吸を繰り返して、心臓の鼓動を加速させる。血流を巡らせて、筋肉を温めて動けるように促していく。


「くそっ! 離せ! 虫ケラ共が!」

 二頭の獣が自分よりも巨大な怪物を抑えようと必死になっているのだ。


 これも全ては石竜子のことを信じているからこそ可能な捨て身の策である。


 石竜子は鉈を強く握り、駆け出した。走れ! 何度も心に訴えかけながら、手足を動かしていく。


「いけー! 石竜子!」

 血だらけの狼から魂のこもったような叫び声が石竜子の背中を押して、走り続ける足をさらに加速させた。


「うおおお!」

 石竜子は黒虎の意識が狼や狸に向いている隙に左目に鉈を叩きつけた。


「突き抜けろ!」 

 刃が粘膜を突き破り、眼球が潰れた感覚が前足に伝わってきた。


「グアアア!」

 黒虎が鋭利な牙を見せながら、辺り一帯に響き渡るほどの叫び声をあげた。


「なんだ! 痛みの後に目が! 目が沁みる! 貴様、何を!」


「その鉈には猛毒の植物、鳥兜の塊根をふんだんに塗りたくった。時期にその毒がお前の体内を蝕む」


 石竜子の言葉を耳にした瞬間、黒虎の表情が焦りを孕んだように見えた。


 鋭利な牙と爪を兼ね備えた猛獣とはいえ、毒が体内に入ってしまえばそれに対処する手段までは持ち合わせていない。


「ぐっ、貴様!」


「お前が踏みつけにしてきたものが、どれほどの力を持っているのか、骨の髄に至るまで教えてやる。覚悟しろ!」


 石竜子の怒りに満ちた声音が辺りに響き渡る。親友、同じ故郷に住む生き物、手にかけられて来た多くの命。


 全ての無念を晴らすため、罪深き獣に報復の刃を向けた。

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