兜虫

 灼熱の太陽の暑さと蝉達の鳴き声が辺りを支配する森の中、石竜子は蛙と亀とともに森の中を進んでいた。


 脳髄に叩きつけるように連呼される蝉時雨に石竜子はノイローゼになりかけていた。


「みんみんみんみんみんみんみん」

「蛙さんや。石竜子くんがおかしくなってしまった」

「そろそろ休憩にしよう。このままじゃあ私たちもニノマエ」


 石竜子はふらつきながらも、足を進めていると木の根元に何かが横たわっているのが見えた。


 ノコギリクワガタだ。肉食獣の牙を想起させる鋭利な顎といくつも備わって、針のような突起がなんとも特徴的だ。


「死んでいるね」

「うん」


 石竜子は真上の木に目を向けた。すると兜虫が次々と落ちて来た。皆、一斉に足をばたつかせた後、パタリと動かなくなった。


「なっ、何が」

「誰かいる」

 よくみると一匹の兜虫が優雅に樹液を啜っていた。おそらくあの兜虫がノコギリクワガタや兜虫を投げ飛ばしたのだ。


「ちょっと行ってくるよ」

「ちょ! 石竜子くん!」

 石竜子は二匹にそう告げると、ぐんぐんと木を登っていく。目的な兜虫に稽古をつけて欲しいと思っているのだ。


 なにせあの多勢をたった一匹で倒したのだ。相当な実力者に違いない。近づくにつれて、樹液の香りが漂ってきた。


 そして、ついに目的の前まで来た。光沢のある鎧のような体。侍の兜を想起させる頭部。その逞しい外見に石竜子は圧倒されそうになった。


「こんにちは」

「ああ、こんにちは」

 見かけによらず紳士的な対応に若干、驚いた。石竜子に挨拶を返すと兜虫が、再び美味しそうに樹液をすすり始めた。


「下に落ちている兜虫とクワガタは貴方が?」

「いかにも」

 兜虫がさも当然かのように答える。初対面で本来、警戒するのが普通のはずだが彼にはそれを感じさせないほど、余裕が伺える。



「それで何の用かな?」

「稽古をつけて欲しいんです」

 目的を伝えた途端、樹液を舐めていた兜虫の動きが止まった。


「何故?」

「僕には倒さないといけない相手がいる。でもそいつに勝つには武器だけじゃあどうしても足りなくて、僕自身が強くならなくちゃいけない。貴方の強さを見て、驚いた。ぜひ稽古をつけて欲しい。本当に少しでも構わない」


 兜虫が考え込むような素振りを見せる。いきなり出会った相手に強くなる手伝いをして欲しいと頼んで、やすやすと了承することなんておかしな話だ。


「ちなみにどんなやつだ?」

「黒い虎です」

 すると兜虫がおもむろに動揺した。


「奴を知っているんですか?」

「ああ。奴には私の友を殺されている」


 兜虫の周囲から先ほどの落ち着いた空気感から打ち消されて、凄まじい殺気を感じた。石竜子には兜虫の気持ちが痛いほど理解出来る。


 怒りが伝染したように石竜子も鱗が裂けて血が吹き出そうな程、拳を握りしめた。


 私利私欲のために他者の命を蔑ろにする獣を心の底から軽蔑した。


「しかし、そなたとやつではあまりにも体躯が違いすぎる」

「ええ、承知しています。でも僕には仲間がいます」


 石竜子は下に目を向けた。亀と蛙が不思議そうにこちらを見ている。


 死を伴う危険な旅と分かっていながらも、共に歩みことを選んでくれた仲間だ。


 彼らとならどんな相手であろうと立ち向かえる自信が石竜子にはあった。


「よかろう。ただし口答えは許さんぞ」

「はい!」

 石竜子は強く返事をした。弱音を吐く気はない。友の仇が打てるのならどんな苦行にも耐えることが出来る自信があった。


 黒虎に対する執念が灼熱の炎をように燃え上がる。彼の底知れない怒りを察したのか。


兜虫が静かに項垂れた。

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