井の中の蛙

晴れやかな青空の下、石竜子とかげは亀の甲羅の上に乗りながら、流れの緩やかな川を下っていた。亀の甲羅の上に乗るという初めての体験に石竜子は内心、ワクワクしていた。


「ありがとう。助かるよ」

「これくらい朝飯前さー」

 亀が心地好さそうにスイスイと川を進んでいく。水の中に目を向けるとメダカの群れや、鯉が悠然と泳いでいた。この川はどうやら淡水魚達の住処らしい。


 すると石竜子の視線がある一点を向いた。岸の方にひときわ目立つ異様なものが見えた。

「なんだろう。あれ」

「行ってみよう」

 亀が方向転換して水を切りながら岸の方へと進んでいく。


 よく見るとそこにはいくつもの小石が折り重なっていた。石竜子は小石の壁をよじ登ることにした。

 

「ちょっとここで待っていて」

「はーい」

 石竜子は小石に前足を開けると、しっかりと足をかける事ができた。足の指で器用に石の隙間などを捉えて、登っていく。


 一体、この先に何があるのだろう。好奇心と不安感が入り混じるのを感じながら足を進める。


 頂上にたどり着くと石垣は筒状になっていることに気がついた。

「んー?」

 ゆっくりと底の方に目を凝らすと誰かがいるのが見えた。雨蛙あまがえるだった。綺麗な緑色をした雌の蛙が石に囲まれた水たまりの中にいたのだ。


「そこで何をしているのー」

「だっ、だれ!」


 蛙がビクンと肩を浮かせた後、ゆっくりと石竜子の方に振り向いた。すると石竜子の姿を見た瞬間、安心したように深く息を吐き出した。


「驚かせてごめん。でも外を歩いていたら、見つけたから気になったんだ」


「ここ私のお家なのー」

「家なの!?」

 石竜子は目を疑った。筒状に高く敷き詰められたこの石垣が蛙の家だったのだ。


「ええ、素敵でしょ?」

 蛙が快活な態度で言葉を返してきた。口調や雰囲気から雌だと気付いた。


「君はずっとここにいるの?」

「ええ、数週間前からね。外は怖いの」

「なんで怖いの?」


「初めて、水の中から地上に出た時、蝮や獣が私を見つけ来た瞬間、襲いかかって来たの。オタマジャクシの時も鳥や水の中に棲む虫に狙われたことはあったわ。でもそれとは段違いに動きも早くて、凶暴なのよ」


 襲われた事を思い出したのか、体をガタガタと震わせ始めた。石竜子も彼女の気持ちは理解できる。数日前、自身も黒虎という未知の存在に友を奪われた。


「だからこれでいいの。私は。踏み出さなければあの恐怖を味わうことなんてないし、非常事態が起こった時の為に脱出用の穴もいくつか確保しているし、いざという時に逃げることはできる」


「そっか。分かった。ごめんね。時間を取らせて」

「ええ、貴方も気をつけて帰ってね」

 石竜子は蛙に会釈をしたのち、落ちないように石垣を慎重な足取りで降りていく。


「なにがあったの?」

「蛙が一匹いた。それでーー」

 石竜子は蛙の家での一件を亀に話した。亀は終始、興味深そうに頷いたり、考え込むような仕草を見せた。


「つまり、その子は外の世界に対して臆病になってしまったんだね」

「そうなんだよ」


「でもその子の気持ち分かる気がするよ。きっと誰にも助けてもらえなかったんだろうね。僕は野犬に追いかけられた時、君に助けられたから立ち直れているけど、彼女にはそれがなかったんだろう」


「そうだね」

 他者が関わることで自分の運命は良い方にも悪い方にも転ぶ。例え自身に悲劇が降りかかったとしても他者の助けがあった場合、世界の優しさに気づくことも出来る。


 しかし、他者の助けがあったとしても惨劇の印象が強すぎてトラウマとして心に刻んでしまうのだ。


「でも自分で作った壁を超えられるのは自分だけなんだろうな」

 石竜子は石垣の中の蛙を憂いながら、ため息をついた。




 その日の夜。石竜子は満点の星空に目を向けていた。故郷でも他の場所でも星が美しいのは変わりない。


 隣では亀が甲羅に頭を引っ込めて寝息を立てている。


 石竜子は今朝の蛙の一件を思い浮かべていた。自分の何倍もあるような大きな石垣を作り、そこに閉じこもる。


 本人は逃走経路を確保していると言っていたが、他の生物に奇襲された時の事を考えると不安だ。


「亀さんにああは言ったけど」


 蛙の意志は尊重すべきなのは理解している。しかしあの状態で永遠に過ごすのが平和への道とは思えない。何せ外部との情報をほとんど遮断している状態だ。


 予想出来なかった緊急事態に対応できない恐れもある。現状維持は衰退の始まり。決して平行線ではないのだ。石竜子は一抹の不安を抱えながら、瞳を閉じた。

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