第16話 不倫ごっこ

『今日、男性俳優のの〇〇○○さんの不倫が週刊誌で報道されました』

『まさかあの人がねえ、堅実な人で女性人気も高かったのに』

『奥さんはかわいそうですよね』


 風太と七海が朝ご飯を食べていると、テレビからそんなニュースが流れてきた。


「最近、こういうの増えたよな」

「不倫が増えたっていうか、見つかる確率が上がった感じかな」

「そうなのか?」


 七海が興味なさそうにそう吐き捨てた。


「うん。わたしの周りでも○○の彼氏に○○がちょっかいをかけたとか、○○さん、奥さんいるのに〇〇を狙ってるとかよく聞いたもんだよ」

「さすが元女優」


 七海が女優だったころの話をするのは珍しい。

 もちろん、ただ言う機会がないだけということもあるが、七海が本能的に話したくないからという理由が大きい。あとは風太がその話を意図的に避けているのもある。


「ちなみにまだ世に出てない話も知ってるよ? そう、あの有名女優の北条真紀ほうじょうまきが三股してたとか。教えたげよっか?」

「おいやめろー! 具体的なやつを聞かせるな! てかマジか、あの人むかし見てたのに!」


 風太は芸能界にこれっぽっちも興味はないが、自分の知っている人間のそういう話は聞きたくなかった。


「不倫なんてねえ、なんでするんだか」


 七海がふと、そんなことを口にした。


「それはあれじゃないのか? 芸能界にはかわいい人がいっぱいいるから、つい手を出したくなるとか」

「彼氏彼女の関係だったら別れてから手を出せばいいし、夫婦なら手を出したくなる気持ちを完璧に抑える覚悟をしてから夫婦になるべきでしょ?」

「まあ、それはそうだが……」


 まさか七海に論理的な話をされるとは思わず、風太はたじろぐ。


「ま、それ以前に芸能人の不倫なんて興味ないんだけど」

「元も子もねえな」


 七海はテキパキと皿を片付けて流し台に置く。

 ちなみに風太の家では半年前から洗い物は食洗機を使っている。理由は七海が洗い物をしたくなかったからである。


 それはそれとして、風太はこの話はここで終わりだと思っていた。





 昼の時間、つまり風太にとっては仕事の時間だったが、急に七海が言った。


「ねえねえ、不倫ごっこしようよ」

「なんだ、そのおままごとの最終形態みたいなあそび」

「疑似的不倫体験遊戯と命名」

「絶妙にダサい」


 そもそも疑似的に不倫を経験する必要はどこにあるのだろうか。

 ただ七海に理由を聞くというのは愚かでしかないとしっていたので、風太もそこに言及はしないが。


「やだよ、面倒くさい」

「そう言わずにさあ、ほら、職場体験みたいなもんだと思って」

「なんだその職場」

「ほら、小説書くときにそういう経験があった方がいいでしょ?」

「う、まあたしかに……」


 やる気のない風太だったが、七海の一言で風向きが変わる。


「ほら、わたし女優でそういう役とかやったことあるから、結構リアルに演じられると思うよ?」

「むう」


 風太としては小説に生かせると言われるのが一番弱い。

 目の前に自分の小説をよくすることのできるチャンスが転がっているというのにそれを使わないのは、どこか職務怠慢であるような気がするのだ。


「まあしょうがない。やってみるか」

「やったー!」

「配役はどうするんだ?」

「わたしが家で待つ奥さん役をするから、風太くんは不倫をして帰ってくる夫ね」

「俺が不倫をするのか」


 でも不倫をされる側の体験をするより、不倫をして追い詰められる役の方が体験しておきたいと思い風太も文句を言わずにうなずいた。


「じゃあ風太くんは玄関から入ってきて」

「わかった」


 その場の演技だけだと思ったら、意外にも移動してしっかりやるらしい。

 さすが元女優、変なところで手は抜かないらしい。


 そしてそのまま七海に言われるがままに風太は一度家を出て、入るところから始めた。


「よし、じゃあいくぞ?」

「おっけ」


 少し緊張しながら風太は家の鍵を開けた。演技というのは、変に緊張をするものだ。


「ただいま」

「あ、お帰りなさいっ‼」


 そして扉を開けると、普段は見せないような笑顔を見せて出迎えてくれる七海がいた。その自然な演技からか、夫婦ってこんな感じなのかなとすぐさま世界に入り込むことができる。


「お、おかえり」

「遅かったわね、あなた。仕事の方は忙しいの?」


 どうやら夜遅くに帰ってきた設定らしい。

 じゃあ男の方はさしずめ他の女と飲んでから帰ってきたのだろう。


「あ、ああ。ちょっとな」

「そっか、お疲れさま!」


 ただの演技のはずなのに、風太の罪悪感が刺激された。七海のいたいけな笑顔がどこか風太の心に刺さるのだ。


「ご飯はどうする?」

「ご飯? あ、ああ、食べてきたから大丈夫」

「そっか! じゃあ夜ご飯は明日の朝に食べてね!」

「お、おう……」


 グサグサと心に刺さる。たぶん、不倫というのは直接責められるよりも何気ないパートナーの行動によって罪悪感に変わるのだろう。


「あなた、明日も返ってくるの遅いの?」

「う、うん、今は会社も繁忙期だからさ」

「そっか……」


 しゅんとする七海。そんな仕草も風太の心に黒いものを湧かせる。

 七海のことを、恐ろしい女だと風太は思った。


「じゃあ、わたし先に寝るね? お風呂は沸かしておいたから、ゆっくり休んでね」


 かわいい、健気な彼女。いや、奥さん。

 そんな姿を見せられると、自分のしていたこと全てを反省したくなった。


 遅くなるまで他の女の子と遊んでいたこと、浮気気味で自分の妻をほったらかしにしていたこと、優しくしてくれる奥さんを裏切ってしまったこと。


 それらすべてが自責の念に変わり、風太の心を締め付けていた。


 ――そんな事実は一つたりとも存在しないはずなのに。


「ごめんな、ごめんな、七海」


 だから思わず、七海に後ろから抱き着いてしまっていた。


「風太くん、演技だよ。なんで抱き着いてくるの?」


 そしてそこでようやく七海の演技が解ける。

 まるで魔法が解けるかのように。


「――あれ? なんでおれ、こんなことしてるんだ?」


 七海に抱き着いている風太、その手をよしよしとするかのように撫でている七海。

 どうしてこんなことになっているのか、自分でも分からなかった。


「はい、じゃあ録画しておいたから、ちゃんと使ってね♪」


 もう一度言おう。

 風太は、七海のことを恐ろしい女だと思った。


「て、てめえ‼」

「きゃー!」


 そしてそれはそれとして、七海と夫婦になるという想像は意外と悪くないものだと、そう思った。

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半同棲生活~引きこもりの美女を養う〜 横糸圭 @ke1yokoito

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