第13話 担当編集の襲来②
場は騒然としていた。
突然姿を見せた七海に風太は驚きの顔を見せているし、風太の担当編集の長峰は困惑した様子である。
まあその当人の七海が一番緊張をしていたのだが。
(やばい、勢いで出てきちゃった)
七海としても、もちろん姿を見せる予定はなかった。知らない人相手に姿を見せるのは七海にとってはリスクでしかなかったし、それに見合うリターンも全くない。
今だって足はブルブル震えているし背中にはびっしょりと汗をかいている。
昔は当たり前にできていたことができなくなっているのだと、改めて認識した。
ただ、やっぱり引っ込みますとは言えない。それは彼女のプライドだった。
「は、はーい。ふ、風太くんの同居相手の七海遥、でーす」
一応ウィンクをしてみたはいいが、完全に雰囲気をぶっ壊している。というかどう考えてもそんな雰囲気じゃなかった。
長峰はそのくりっとした目をぱちぱちと何度も開いている。相手が有名人じゃなかったら、「こいつ変な奴だ」と認識していただろう。
「お、おま、な、なんで……?」
そして風太の方は、七海の動きには完全スルーを決め込んで自分の聞きたいことを聞いていた。いや、風太の方も動揺でわけがわからなくなっていたのだった。
そんな風太の問いに、七海は言い訳をするように返す。
「い、いやあ……。なんかどうせバレそうだったからさぁ……どうせ見つかるなら自分から出ちゃおう、みたいな?」
「出ちゃおう、じゃなくてだな……」
風太としては楽観できる状態じゃなかった。
なんせ七海遥は1年前に突然失踪した、そのとき世間を賑わせていた売れっ子女優。その姿をテレビで見ない日はないような、そんなレベルの人間だ。
それが風太の家にいる。場合によっては長峰に通報される、あるいは世間にバラされてここに人が押し寄せてくる。そんな状況まで可能性としてはあったからだ。
だとすれば、するべきことは長峰への弁解か。
「ち、違うんです長峰さん‼ 彼女はたまたま家の前で座ってたから、それで保護しただけで……‼」
だがそんな弁解も、長峰の耳には届いていないようだった。
放心状態。そのもそっとしたボブの頭からふよふよと意識がふらついている。
長峰は――この状況を理解できていなかった。
あまりに突然のことに、脳の処理が間に合っていなかったのだ。
だから、数分のあいだ立ったまま停止した後、いきなり。
「ぷしゅーっ」
「長峰さんっ⁉」
と意味の分からない効果音を出して倒れたのだった。
「す、すみません……取り乱しました」
「い、いえ……別に大丈夫ですが……」
長峰は額に乗っている濡れタオルを自分の手でもち上げた後、そんな風に風太に謝罪をしていた。
七海はというと、すっかりドーパミンが収まってしまったようで足の震えが止まらないらしく、それでも長峰が心配だということで遠くの壁から半身を出して風太たちの方を見ていた。
長峰がそれに気が付いて慌てて礼をすると、七海はその8倍の速度で頭を下げてささっと体を隠してしまった。
「体の方は、大丈夫ですか?」
「はい……いきなりのことにちょっと混乱してしまっただけで」
ちょっと混乱というのはあまりに生易しい表現だ、と風太は思った。少なくとも風太は人間が「ぷしゅー」という音を口から吐いた姿を見たことがない。
「その、それで……どうして鈴村先生が七海さんと一緒にいるのか、聞いても?」
「あ、はい」
思いのほか、長峰は落ち着いた様子で質問をしてきた。
倒れていた時に、無意識に情報を整理していたのかもしれない。
「1年前に、家の前に座り込んでいまして。お金もないし身を隠したいということだったので、仕方なく家に上げて……それがきっかけですかね」
「その女性が七海遥さんだということは、気づいていたんですか?」
「ええ、まあ。でもその時は彼女もかなり弱々しい顔をしていたので、一人の女の子にしか見えなかったですけど」
そういうと、遠くで七海の頬が膨らんだ。女の子扱いされるのは嫌らしい。
その一方で、長峰は神妙な顔をしていた。深く考え込んでいるような顔で、その小動物のような柔らかい顔が堅くなっている。
「じゃあお二人は……お付き合いなどはされていないのですか?」
「え? ええ、まあ、はい」
それから意味の分からないことを聞いてきた。風太はとりあえず事実を答える。
というか、さっきから長峰の顔が時々赤くなったりしている。変な妄想でもしているのではなかろうか。
そういうわけで、風太は咳ばらいをするとそこから真剣な目で長峰に向き直った。
「長峰さん。どうかこのことは、黙っておいてもらいたいんです」
まじめな風太の顔に、長峰も妄想の渦から帰ってくる。同じように真剣なまなざしで風太の目を見た。
風太は続ける。
「七海はあんな感じで……ちょっと人前に出るのが苦手になっているので……そっとしておいては、もらえませんか?」
風太の頼みに、長峰はもう一度深く考えるような仕草をした。
ちなみに風太と七海の頭には、「口止め料」のような言葉が頭に思い浮かんでいた。
だが長峰が口にしたのは、もっと別のことだった。
「口にはしませんが…………その代わり、条件、いや提案があります」
ごくり、と息を呑んだ。七海も壁を持つ手に力が入る。
それから長峰はゆっくりと口を開いた。
「鈴村先生と七海さん……二人の話を、小説にしませんか?」
それは思いもよらぬ提案だった。
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