第12話 担当編集の襲来①

『す、鈴村先生……。な、長峰です』

「はい、どうぞ~」


 インターホン越しに、長峰の緊張した声が聞こえる。予想以上に大きなマンションだから、彼女も緊張しているのだろう。


 そしてもう一人、風太の隣で緊張している人間がいる。


「わ、私の痕跡、全部消えたよね⁉ ちゃんと消えたよね⁉」

「なんというか、衝動で殺害をしてしまった後に慌てて証拠隠滅を図ろうとしている犯人みたいだな」


 そういう風に見えるのも、風太が日常的に小説の中で人を殺しているからかもしれないが。


「まあ別に見つかったところで大丈夫だろ。だとバレなければ、何とかなる」

「いやいや、何言ってんの⁉ ダメに決まってるじゃん!」


 七海が一体何を考えているのかは本当に分からなかったが、まあいいか。


「じゃあそろそろ来るだろうから、自分の部屋に行っててくれ」

「ら、ら、ら、らじゃーっ‼」


 びしっと敬礼したうえで、自分の部屋に大急ぎでもどっていく七海。

 意外にも、緊張している弱気な七海の方が風太にとってはタイプなのだなあと、意外な発見を得た風太だった。





「……なんてね。おとなしくしてるわけないじゃないですかぁ」


 わたし――七海遥は、自分の部屋に戻ると予定通り仕掛けていた盗聴器から出ている音をイヤホンで耳にする。

 そして部屋の扉を少し開けて、ダイニングの様子が見えるようにする。よし、これくらいなあの馬鹿な風太くんは気が付くこともあるまい。くっくっく。


 それからピンポーンという音が家に鳴り響いて、わたしはおもわず体をびくっと振るわせてしまう。いやいや、まあこれは反射というか、別にビビってるわけじゃないんだからね? さっきの緊張しているのも、演技だったんだから。


 そして風太くんが扉を開けに向かって、例のターゲットを迎え入れる。


 名前は長峰渚というらしい。ふむ、顔は90点だな。わたしほどじゃないけど……かなりかわいい。

 何より風太くんのタイプみたいな男だ。くそぅ、あの男。売れっ子作家だからって、わざわざ美人を担当にしやがって。わたしという正妻がいながら、許せん。

 誰が正妻じゃ、あほ!


『はい、どうぞ。飲み物はコーヒーでよかったですか?』

『ああ、いえ、えっと……じゃあお願いします』


 そう言って風太くんはけなげにコーヒーを淹れている。……ってあれは昨日わたしが買ってもらったコーヒーメーカー‼ 他の女のために使いやがって!

 まだ私もあれを使って飲んでないというのに、風太(呼び捨て)の初めてを奪いやがったなあの女‼


 というかやっぱり盗聴器を仕掛けて正解だった。そうじゃなければ、中の音が聞こえないところだった。アブネー。


『はい、どうぞ』

『あ、ありがとうございます……』


 見たところによると、あの長峰という女は緊張している様子だった。あれか、男慣れしていないように装って男の優越感を刺激する作戦だな? だが残念、あの男は常にわたしに煮え湯を飲まされているから女相手に優越感など感じることのできない体になっている。


『それで、この家で仕事をなされていると』

『はい』

『ずいぶんとお高いマンションになされたんですね』


 その担当編集の言いたいこととしては、「家で仕事をするだけだったらもっと安いマンションでもよかったのではないですか?」ということらしい。

 まあたしかに、わたしに部屋を持たせるということさえしなかったら家賃はもう3万円くらい安いところにできたはずである。


 だがそれに対する言い訳は、きちんと風太くんも考えていたらしい。


『逆に家賃の高いところにすることで、自分が仕事からサボらないようにしてるんですよ。お金がなければ追い出されてしまいますから』


 さすがわたしの寄生先の男だ。ペラペラと嘘をつきよる。


『ではどうして2DKを? そこにベッドもあるようですし、一つは仕事部屋にしても、もう一つは……もしかしてゲーム部屋とかになってたりしないでしょうね?』


 そこで担当編集の目線がこちらに飛んでくる。やばいと思ってすぐに身を隠す。

 バレてないよね? バレてないよね?


『そこは、こう、あれですよ。仕事仲間を呼んでたまに息抜きする用です』


 風太(呼び捨て)もなんとか言い訳を思いついたようだ。しかし、風太(呼び捨て)には友達がいないことを、この風太(呼び捨て)検定1級を持つわたしは知っている。

 まあ風太くんが飲み会に参加できないの、家にわたしがいるからなんだけどね。……その節はごめんなさい。


 わたしは遊んできてもいいって言うんだけどね。風太がなんかこっちに気を遣ってきちゃうんだよね。


『……まあ分かりました。原稿の締め切りを落としたことのない鈴村先生ですから、こちらが出過ぎた真似をしてしまいました。すみません』


 とりあえずこれで疑いは晴れたみたいだ。よしよし。

 あとは仕事の打ち合わせだろうから、のんびりして、と。


『ところで鈴村先生。このまえ、彼女がいないとおっしゃっていましたが、なんで嘘をついたのですか?」

「――⁉」


 だがいきなり繰り出した担当編集のステルスミサイルに、わたしは思わずびっくりしてしまい扉に足をぶつけてしまう。

 ガンッっていう音が鳴った。まずい。


『…………?』


 案の定、担当編集がまたもこちらをジーッと覗いている。

 数ミリしか隙間がないはずなのに、その間から彼女と目が合っているような気さえしてくる。


 いや、大丈夫だ。もももももも問題はないはず。


 と思ったけどヤバイ、こっちきた! 急いで隠れなきゃ、だけどどこに⁉ っていうかここで急いで音を出してもやばいし助けて風太‼


『ど、どうして! そんなこと思ったんです?』


 彼女が扉まであと半歩というところで、風太がギリギリ声を上げた。

 タッチの差で、ぎりぎり担当編集の意識はそちらに寄せられる。


 担当編集は、独身の笑みを浮かべて言った。


「私、女の匂いとか分かるんですよ。昔、寝取られたことがあるので」

『そ、そうなんですか』


 十分に近づいてきたところで、一気にインドゾウくらい重い話題を入れてきたなこの編集者。

 ただの独身じゃなかったか。


「この匂い、ちょうど1週間ほど滞在したくらいの濃さ……引っ越ししてから同棲されている彼女さんでもいらっしゃるんですか?」


 空気を手で扇いで鼻にいれ、そう断言する担当編集。

 この女、犬かよ。警察犬にでもなった方がいいんじゃないの?


『そ、そうですか~? いやあ、もしかしたら女性ものの柔軟剤を使ってるからかもしれないですねえ~……』


 そしてうちの同棲相手は嘘が絶望的に下手。アドリブだめだめ人間かよ。なんだよ、女性ものの柔軟剤って。香水かよ。


「舐めないでください。これはそういう香りじゃない……言うならば、女性ホルモンの匂いです」


 そしてあんたもやべえよ。女性ホルモンの匂いとか言い出しちゃったよ。パンドラの箱開けちゃってるよ。


『あ、そう、妹‼ 妹がちょっと前までここで寝泊まりしてたんです!』


 風太? なんでそんな喜んで話すんだ? そんなのもう「あ、言い訳見つかった!」ってはしゃいじゃってる無垢な子供なのよ。嘘のつき方が7歳なのよ。


「べ、別にそんなに誤魔化さなくてもいいんです! いいんですよ! どうせ先生は私のことを『独身女の売れ残り』だと思って傷つけないようにしてくださったんでしょうけど、私だって頑張れば、頑張れば貰い手だって見つかるはず……なんですから‼」


 こっちはこっちでどうした。お前は風太に何が言いたいんだ。風太にもらってほしいのか、合コンでもセッティングしてほしいのかどっちなんだ。


 さて、このどうしようもない混沌空間カオスゾーンをどうしようか。

 少し待ってみても全くらちが明かなかったので、考えた結果こっちで終わらせることにした。


 はい、ばーん。


「な、七海……?」

「え?」


 やっほー、七海遥だよーん。ってあれ?


 なんか風太が理解不能という顔で見ている。そりゃそうか、見知らぬ人の前にわたしが自分から姿を見せるのって1年ぶりくらいだもんな。


 そして担当編集の方はと言えば…………こちらを見て信じられない顔をしている。

「うそ……だろ?」みたいな顔。幽霊でも見たような顔だ。


「あ、あなたは……七海遥さん…………ですか? 1年前に失踪した、七海遥さんですか……?」


 おや、そしてどうやら彼女はわたしのことを知っていたらしい。


 現にほら、こんな単語まで出てきちゃった。


「超売れっ子の……女優」

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