第9話 泣く、おねだりする、買わせる。

 引っ越しが終わった翌日は荷物を片すのに丸々一日かかった。


 特に七海の場合は引きこもりであるため、引っ越してきた荷物が多かった。

 パソコン、モニター、キーボードなどのパソコン周辺機器だけでなく、よりよい部屋にするために風太に「おねだり」して買ってもらった空気清浄機、ルンバ、DIYで作った棚、などなど。そのため長く時間がかかっていた。


 しかし、今回問題になるのは、風太が自分の仕事部屋を作らなければいけないこと。


「パソコンはノートのままでいいと思うけど……仕事机に照明、椅子とか買わなきゃいけないものがいっぱいあるな……」


 風太はあまり貯金をしていない。

 貯金をするくらいなら仕送りに回すという精神のためだ。親にも注意をされてはいるが、どうしても余裕があるのが自分で許せないタイプだ。


 だが、今回の場合は困る。まとまったお金が欲しいのに、それが足りない。


「なあ七海。安くておすすめの椅子とかないか?」

「ないね。それなりのものはあるけど、椅子とか自分の健康に直結するようなものはケチるべきじゃない」

「おお、引きこもりのくせに健康意識はたけえな……」

「むしろ引きこもりだからこそ、人より健康に気を遣わないといけないのだ!」


 ふっふっふ、と胸を張って自慢げな七海。でも風太は「じゃあ食事の栄養バランスも考えろよ……」とツッコミを入れたかった。


「でももうすぐ印税入ってくるんでしょ? それで作ったらいいじゃん」

「どうしてお前が印税の入ってくるタイミングを知っているのかまでは聞かないが」


 たしかに七海の言う通り、印税が入ってくるのが3日後。そこまでまてば、ある程度まとまったお金が入ってくる。


「しかしなあ。この3日間仕事をしないというわけにもいかんし、ファミレス行くしかないかあ……」


 風太の半ばあきらめの声。

 しかし、その言葉を聞いた七海は、ピクリと反応した。


「じゃあ、うちの部屋を使えば?」


 七海の気持ちとしては、「せっかく24時間一緒にいられる環境ができたというのに、3日間もファミレスに風太を盗られてたまるか」という精神だ。

 ずっと一緒にいられるという実感がなまじ強くなってしまったばかりに、1日の半分以上もの間風太が家にいないのが寂しく感じられてしまうのだ。


 だからこそ、七海はこんな提案をした。


「は? お前だって自分でパソコン使いたいだろ?」

「大丈夫大丈夫。私は風太くんの仕事風景を眺めてるから」

「はあ」


 たしかに、小説のデータは「icloud」上に保存しているし、ノートパソコンから移すことも可能だからパソコンは七海のものでも問題がない。

 しかし、七海だって年がら年中パソコンから離れないようなパソコン人間だ。そんな七海からパソコンを借り受けるというのはどうも気が進まなかった。


「いいって。1日くらいパソコン使わなくても、死にはしないから」

「あれ? 七海、前に俺がお前のパソコンを売ろうとしたら『お前は私を殺す気かー‼」ってめちゃくちゃ怒ってたような」

「まさか風太くんが臓器売買を提案してくるとは思わなくてね」

「パソコンを勝手にお前の内臓にするな」


 だがたしかに、あのときの七海は死にそうな顔をして懇願していた。だからこそ風太もさすがにパソコンを売るようなことはしなかったが。


「まあ七海がいいって言うなら、貸してもらうとするか」

「おっけー。あらかじめAVのフォルダを開かないように隠しとくねっ」

「それ言ったら隠す意味ないだろ……」


「というか、女子でもAVとか見るんだ……」と素直な発見を得た風太だった。




「え、次どうなるの⁉」

「絶対このおっさん死んじゃうじゃん」

「なんかこのキャラ私に似てる」

「うわー死に方えぐっ……よくこんなの思いつくね」

「――――――――うるせえッ‼‼」


 七海の部屋で執筆を始めてみたはいいものの、まったく集中が続くような環境ではなかった。


「えーでも見てていいって言ったのは風太くんじゃん」

「口出ししないなら、って条件を付けたけどな‼」

「口出ししてないよぉ。感想を言ってるだけ」

「屁理屈言うな‼」


 風太が怒っても、七海はひらりと躱して平然とした顔をしている。

 むしろ怒られているのに楽しそうにしているので、風太としても手ごたえがない。


「ったく……。一刻も早く自分の仕事部屋を作らないと……」

「これはこれで楽しくていいよね」

「楽しいのはお前だけだ‼」


 第一、風太は仕事で書いているのだ。


「お前みたいな引きこもりを相手にしてる場合じゃないんだよ……締め切りも近いし」


 だからつい、厳しい言葉をかけてしまった。


 しかし、風太がそう言うと七海はそれだけで静かになる。

 まあこれくらい言ってやらないと聞かないかと思って、心を鬼にする風太。


 だったが。


「ぐすっ……ぐすっ……。そ、そんなに言わなくてもいいじゃんか…………」


 後ろから聞こえてきたのは、鼻がかかった涙まじりの七海の声だった。

 それにはさすがに風太も焦る。


「いや、ちがっ、そんなつもりじゃなくて」

「私だってさぁ……好きで引きこもってるわけじゃないのにさぁ…………そこまで言わなくたっていいじゃんか……」


 振り返ると、耳元をぐしぐしと拭いている七海の姿があった。

 目元が赤くなっているし、どうやら本気で泣かせてしまったらしい。


「す、すまん……言い過ぎた…………」

「いいよ、どうせ私は厄介なお荷物の引きこもりですよぉ、だっ」


 七海が卑屈になっているといよいよ面倒くさい。

 あの自信過剰な七海がそうなっているということは、よほど傷ついた時だけだ。


「悪かった悪かった。ずっとここにいていいから。な? だから機嫌を取り戻してくれ」

「やだ。やだやだやだ。もーしらない」


 そう言いながら風太の膝の上に甘えてくる七海。

 復調の兆しはある。


 あとはもっと風太が譲歩するだけだ。


「そうだ。次に印税が入ったら、好きなもの買ってやるからさ」

「好きなもの?」

「そう。1万円以内なら何でも買ってやるからさ」

「お詫びなのに、上限があるの?」


 元はと言えばお前が邪魔してきたからなのに図々しい、という反論はしたかったが、そうするとまた七海が機嫌を損ねるので言わない。


「わかったわかった! 3万円以内なら買ってやるから」

「3万円? 5万円じゃなくて?」


 ぴきっと来そうになったが、我慢我慢。


「わかった。じゃあ5万円のやつ買ってやるから」

「……そう? じゃあ……許したげる」


 いつの間にか許される側に回っている風太だったが、まだちょっと膨れている七海が不覚にもかわいかったので許すことにした。


 しかし調子に乗らせてしまった結果。七海には6万円もするパソコンの部品を買わされることになったので、次こそは鬼になろうと決意した風太でった。

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