第8話 引っ越し初日
引っ越し初日の夜、ベッドで一人七海は天井を見上げていた。
前の家が天井が汚れていたこともあり、真っ白な天井というのは逆に落ち着かない。
あとは、眠るときに近くに風太がいないことも、七海にとっては落ち着かない要因だったかもしれない。
「ひっまー」
いつもは眠気が来なかったら来るまでパソコンをいじっていたりしたのだが、今日はそんな気にもなれなかった。
からかう相手が近くにいないし。
時刻は夜の10時。規則正しい生活を送っている風太はもう寝てしまっただろうか。
気になって眠れないというほどではないが、まあ見に行くくらいいいだろう。
そういうわけで自分の中でうまく理由を付けた七海は、部屋の扉をゆっくりと開けてダイニングに忍び込む。
部屋の電気はすでに消えていて、静かな部屋だった。
「風太くん、起きてますかあ~?」
小さく声を出したつもりだった七海だが、思ったよりも響いてしまっている。
「七海か? まだ起きてるが」
そんな七海に、不機嫌そうな声が返ってくる。
「どうした? もしかして一人じゃ寝られないか?」
「や、そんなことはないけど」
とか言いながら、さらっと風太のベッドに侵入する七海。
風太は口で指摘こそしなかったが、少し抵抗した様子があった。
もぞもぞっと布団に入る七海。
そのまま風太の足に両手を巻き付けて抱きしめた。
「何してんだ?」
「いや、広いなあと思って」
前よりも少し広いベッド。
七海がそこまで風太にくっつかなくても余裕のあるスペース。
「いや、ほんとはお前のベッドにする予定だったんだが、サイズ的に部屋を圧迫するからこっちにしたんだ」
「じゃあなんで私のベッドを大きくしようとしてたの?」
「お前の寝相が悪いから、小さいと落ちるかと思って」
七海の寝相の悪さは、1年かけて風太が経験している。七海がベッドから落ちずにすんでいたのは、七海が無意識に風太の体を掴んでいたからに過ぎない。
「女子にそういうこと言う?」
「お前を女子だと思ったことはない」
普段から無防備で接してくる七海は、まあ女子らしさというものが不足しているように思える。別に風太とて七海に「女子らしさ」を押し付けるつもりはないが、きちんと化粧している編集者の長峰渚のことを思ったら、七海は女子感みたいなものがなかった。
「へえ? そう言っている割には、こっちの方は元気みたいだけど?」
「――⁉ 触るな‼」
「ほーれ、よしよし」
「マジで蹴るぞ⁉」
最近七海の下ネタが酷いと思っている風太だったが、よく考えたら元からこんな感じだったか。
「つーかお前だって、どうせ寂しくなってきたんだろ?」
せめてもの抵抗に風太がそう言う。
だが。
「うん、そうだよ?」
「な――っ⁉」
動揺する風太に、七海はけたけたと笑う。
「風太くん、今日弱すぎでは?」
「ち、違うわい。びっくりしただけで、それ以外のことは何もない」
「ふーん?」
いつの間にか風太の顔のところまでやってきている七海が、窺うような目を向けてくる。すべてがバレているだろうと風太も思っているが、意地でも目を合わせない。
「でもさ、やっぱ寂しいね。一人で寝るって」
「一人で寝るのが普通だけどな」
「いやさ、1年間ずっと隣に人がいたから、なんか変な感じなんだよね」
その気持ちは、風太にも少しわかった。寂しい、というわけではないと思うのだが、なんか気持ち悪い。普段眼鏡を付けていると、外した時もまだ眼鏡があるような感覚に陥ると思うが、そんな感じ。あるような感覚になるのに、実際にはないことに違和感がある。
「でも二人じゃ狭いだろ、このベッドも」
「まあそれでも前よりは広いし?」
「大して変わらないと思うが」
そう言いながらも、二人の結論は同じところにたどり着こうとしていた。
お互いに決定的なことは言わないだけ。
「風太としても、隣に美女を侍らせてたほうが良いじゃん?」
「侍らせるって、人聞きの悪い」
「誰も、聞いてないよ?」
窓から、大都会の光が部屋に差し込んでくる。
ここは20階。誰の視線も届かないだろうし、誰もこんな20階の端っこの部屋に耳を傾けてなどいないのだ。
「別に人がいるとかいないとか、そういう問題じゃない。が……」
「が?」
七海が聞き返すと、風太は恥ずかしそうに寝返りを打って七海を背中にしてから言う。
「――まあ、寝るときに人の体温が欲しくなることは、俺にもあるな」
「~~~~っ‼」
遠回しに遠回しを重ねた、了解の合図。
それがなんとも風太らしくて、七海の心にドストライクだった。
だから風太と同じように、笑ってごまかしながら返した。
「ったく、今は夏だっていうのに、風太くんも変な奴だなあ」
「うっせ。高いから、夜は冷え込むんだよ」
そう言われたので、七海は自身の裸足の足を、風太の足の指に絡ませた。
ぎゅっと距離が縮まって、互いの心臓の鼓動がもう一方に聞こえてしまうのではないかというところまで近づく。お互い緊張で少し汗をかいていたが、気にする様子もない。
その距離でも、二人は不思議と落ち着いていた。
そんな似た者同士の二人だった。
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