第7話 引っ越し作業②
「新居って。てか、まだ引っ越し作業を始めて1時間くらいしか経ってなくない?」
「ああ、知り合いの引っ越し業者に頼んで、お金を5倍払うから5倍の人数を動員してくれって頼んだんだ」
「なんでそんなことを⁉」
いつからお前はそんなにリッチになったんだと言いたげな七海に、風太は逆キレするように言う。
「だってしょうがないだろ⁉ お前みたいな1年も家を出ていないような奴が、5時間も外でいられるわけねえじゃんか!」
「そ、それはそうだけど‼」
「認めちゃうんだ⁉」
たしかに、一人でいると鬱になりかけて、さっきみたいに変な方向へ行ってしまう。5時間もしていたら、今頃七海はあの男に好きなようにされていただろう。
「ほら、着いたぞ」
「え、ここなの⁉ めちゃくちゃ高いんだけど!」
「お前……こういうところ住んでたことあるだろ…………」
何をいまさら、と言った顔で風太は七海を見るが、七海からしてみたらずっとちっちゃいマンションに住んでいたのだからかなりのグレードアップだ。
多分30階以上は存在するし、エントランスに入っても中は前のところよりもずっときれいに清掃されている。
「ちょっと高いが、20階にあるからな」
「えーじゃあ景色とか良かったりするの?」
「内見のときに見ただろ……」
「そ、そうだっけ? ああ、見た見た! 綺麗だよねえスカイツリーが見えて」
「スカイツリーは見えない」
はあ、とため息をこぼす風太。さしずめ七海のことだから、自分の部屋とお風呂、トイレだけ見たら満足して適当に返事していたのだろう。
2009と書かれた突き当たりの部屋に向かうと、中で勝手にぶーっという音とともに鍵が開く音がした。
「え、なにそれ?」
「スマート家電というのか、IoTというのかよく知らないんだけど。携帯で鍵が明けられる」
「え、何それめちゃ便利じゃん! やらせてやらせて」
「お前は使うことないだろうが!」
そんなひと悶着をしながら玄関を開けて中に入る。
トイレやお風呂がある廊下を抜けてまっすぐ前にある扉を開けると、中は白一色の部屋があった。まだ段ボールばかりが積まれている状況だったから物寂しさはあるものの、いかにも新居という感じである。
「ここがダイニングとキッチンを兼ねた部屋。俺の寝る部屋でもある」
「ええ、すごいすごい‼ 見てこのキッチン、きれーっ」
「どうだ、ここなら料理できるか?」
「…………」
「そこは自信をもってはいって言えよ‼」
つるつると滑っている七海にそう声をかけるが、七海は気にすることなく周りを見渡して、おいてあった少し大きめのベッドに飛び込んだ。
「あ、そこ俺のベッド‼ なんでお前が俺より先に入るんだよ!」
「いえーい、一番乗り~」
子供のようにはしゃぐ七海に頭痛がしたが、気にすることなく次々紹介していく。
「で、入ってきたところから右にある部屋がお前の部屋。ベッドはもう届いてるからそこで寝てくれ」
「おお、おお‼ 見事なまでの殺風景っ」
「段ボールを開けるのくらいはお前がやってくれよ?」
それから、と風太は今度は入ってきたところからずーっとまっすぐ行ったところを紹介する。
「それでここが俺の仕事部屋。基本的にお前は入るの禁止だからな」
「あいあいさー!」
そう言いながらもうすでに侵入している七海。
何もない部屋なのに、楽しそうに滑っている。
「ねえ、なんでここにベッド置かなかったの?」
「ここは俺の中ではオフィスみたいなもんだからな。オフィスで寝たくない」
「『ダイニングにベッドがあれば、七海も入ってきやすいだろう』とかいう邪な考えではなく?」
「なわけあるか‼」
そうして一通り紹介を終えると、ダイニングテーブルに二人は腰を落ち着かせた。
「どうだ、この新居」
「イイね‼ この家なら一生いられそう……!」
「一生いるんだろうな、どうせ……」
少しトーンを落として風太がそう言うと、それからさらに声を落として、こんなことを言い始めた。
「………………これなら、俺とも住めそうか?」
「へ?」
ぽかーんと口を開けている七海に対し、風太は汗をかきながら続ける。
「だって、あんなクソ野郎みたいなやつに付いて行こうとするなんて……よほど俺の家が住みづらかったんだろ……?」
開いた口が塞がらない、というのはこのことだ。七海はぽっかーんと口を開けて、よだれが垂れそうになって気が付くまで、ずっと口を開けていた。
「ほら、ここならお前の部屋にいたら完全にお前のスペースだし! 疲れたらいい景色も見れるし、な?」
いまいち何を言っているのか理解できなかった七海に対し、風太は「要するに……」と言ってからこうつぶやいた。
「これなら…………俺と一緒にいてくれるか?」
つまりどういうことかというと。
風太の中では、七海があの男に付いて行こうとしたのは、「風太との生活が嫌になったから」だと思ったらしい。
風太との生活を選ぶくらいならあの男に付いて行った方がましだと七海が思った。そう、解釈をしたらしかった。
ようやく20分くらいかけてそのことを理解した七海は、風太に対し一言こう言っていた。
「風太って――私のこと、好きなの?」
しかしそれは風太の思っていた返しではなくて、風太は風太で「は?」という口をしている。
「なわけねえだろ。このだるんだるんにだらけきった女のどこを好きになるんだよ」
「いやだって、現にだるんだるんの女のためにマンションの部屋を貢いでますけど」
「み、貢いでなんかねえよ⁉ これは、その、あれだよ、子供によりよい環境をプレゼントしたい、みたいなやつで」
「え、なに、私と子供作る予定なの?」
「は、はあ――⁉」
お互いに会話がかみ合っていない。
ただ、いつもあれだけ誘惑してくる七海が風太のことを汚らわしいものを見るような目で見て、自分の胸とか股の間を押さえていたのは風太にとっては心外だったが。
「正直に言っていい? 風太くん、わけわかんない」
「いや、俺だってわけわからんが⁉」
大事な話をしていたはずなのに、すっかりどちらも言いたいことが分からなくなってしまった。
そんな空気を感じ取った風太が、ぼそりとこぼすように言う。
「だから、お前が生きやすいように俺も頑張るからさ……他の男のところになんか…………行くなよ」
その言葉を聞いて、七海はぽっと顔を赤らめてしまう。
明らかの不意打ち、しかも久しぶりの外出で傷心していたところにきたその言葉は、深く響いた。
――かっこいい、そう思ってしまっていた。
だが、こんな男にそんなのは認めたくない。さっきまで漏らしそうになっていた男に惚れさせられるなんて、そんな不名誉なことはない。
そう思った七海は、冗談めかしてこう返していた。
「――やっぱ、私のこと好きなんじゃん」
「だから、そんなんじゃねえって‼」
こうして無事に、引っ越しが完了したのだった。
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