第6話 引っ越し作業①

 引っ越し当日。


「じゃあ荷物を運んでもらうために業者を呼んだから、お前はその辺うろついてろ」


 そう言って風太は七海に1万円札をぴっと渡した。


「え、引っ越しの手伝いしなくていいの?」

「どうせ荷物運び出して近くに持って行ってもらうだけだから、お前は必要ない」

「そっか」


 とはいいつつ、本当は七海が人と会わないようにするために配慮しているのだということに、彼女自身も気が付いている。

 だが、不細工なかっこつけかたをする風太は嫌いではなかった。


「ふう、何年ぶりの外だろ~」

「1年ぶりくらいだ。そんな経ってねえよ。ほら、早く行け」

「あいあいさー」


 久しぶりに外に出る、しかも風太なしに一人で外に出ることに七海は少し不安を感じたが、さすがにここで風太の迷惑になるわけにもいかない。


 そう思った七海は、カンカン照りの外にぶらっと繰り出していった。





 七海の服は野暮ったいぶかぶかのシャツにゆるいカーゴパンツ。

 できるだけ自分のスタイルが見えないようにすることで、ナンパなどを避けようという狙いだ。


 顔も、マスクに丸眼鏡と冴えない格好をすることによって、できるだけ目立たないようにする。


 暑いのは仕方がない。ファミレスに入って5時間もすれば風太が迎えに来てくれるはずだ。


「って言っても、外で5時間かあ」


 やることがない。

 風太は七海の携帯の料金も払ってくれていて月に30ギガまで使えるようになっているというお節介をしていたが(というのも七海は外に出ない)、今日この日だけは助かる。


 ユーチューブを見てのんびりと過ごすことができるのは七海にとっては救いだった。


「でも、面白いユーチューバーは見つくしちゃったんだよな~」


 だが、それも全く続かない。


 周りの視線が気になってしょうがなかったのだ。

 誰もこっちを見ていない。それなのに、どうしても自分が見られているような感じがして七海は落ち着かなかった。


 人のお金でのんびりして人の汗水たらして稼いだお金を一方的に貪り食う。

 ろくでもない生活を送っているという自覚がそうさせるのか、周りのお客の視線がどうしても自分を咎めているように見えてしまうのだ。


「無職、ニートで何が悪い」


 誰も何も言っていないのだがそういう言葉が出てしまうのは、七海自身が無職でニートであることを気にしているからだ。


 辛い。家という守りがないと、七海遥という人間はまともに何かをすることすらできない。


 ふと、視界にサラリーマンが映った。

 平日の14時過ぎだというのに、どうしてかファミレスに来ていて一心不乱にキーボードを叩いている。


 どんな職種か七海にはわからなかったが、唯一分かるのは彼も仕事をしているということ。

 資料を作っているのか誰かにメールを送っているのかは分からないが、彼も立派なサラリーマン。


 ――なんて自分はちっぽけでクズなんだろう。


 ふと、七海はそんなことを考えていた。


 いや、社会に貢献しようとかそんな大層なことを思ったことはない。仕事をしていた時だって、そんなことを思ったことは一度もなかった。


 それでも――周りの人間には迷惑をかけないように生きていたつもりだった。

 働きすぎで心配をかけたことはあっても、金銭的に、社会的に迷惑をかけたことは一度もない。

 一度もなかった。


「だけど私、風太くんに迷惑かけてばっかりだなあ」


 風太は自分のことをどう思っているのだろう。


 邪魔な同居人くらいに思っているのならまだいい。一番つらいのは、「七海が死ぬまで絶対に面倒を見なきゃ」と思っていて七海が風太の枷になっていることだ。

 何かをしたくても自分がいるからできない、みたいなことになってやしないだろうか。


 そんなことを考えていると胸が痛くなる。


「いっそ代わりに誰か拾ってくれたらいいのに」


 他の誰かのお世話になるのは正直怖い。何をされるか分からない。みんながみんな、風太みたいに代償を求めることもなく家においてくれるわけじゃない。というか、普通は体を求められたりするだろう。

 だけど、一方で風太にずっと迷惑をかけ続けるのもつらかった。風太が優しいからこそ、風太にだけは迷惑をかけたくないという気持ちがある。


 と、そんなことを考えていた時だった。


「お、かわいいねーちゃんがいるじゃんか」


 声をかけられたのが自分だとわかり思わず顔を上げると、そこには金髪の男が立っていた。

 20代くらいだろう。ガタイはそこまでよくないが、身長が高い。そして見下ろされていると、体が思わずすくむ。


「ねーちゃん、一人なのか? じゃあ俺と一緒にいいとこいかねえかァ?」


 ナンパ、あるいはもっと劣悪なものだ。そう瞬時に分かった。


 男が下心丸出しの下卑た顔をしていたし、その笑顔には見覚えがあった。


「ご、ごめんなさ……」


 だが、そこでさっき考えていたことを思い出す。

 この男に言って、家に泊めてもらうことはできるのではないだろうか。


 たぶん体を許すことにはなるのだろうけど、だけどそれでも確実にこの男なら飽きられない限りは家に置いてくれそうだ。


 だからこそ、七海は覚悟をもって、さっきの言葉を取りそうとして。


「やっぱり、行きま――」

「馬鹿なこと言ってんじゃねえよ、七海」


 男に伸ばした手を、寸前で止められた。

 誰でもない、風太に。


「あ? 誰だおめえ?」


 いいところだったのに、とでも言いたげな金髪の男が風太にがんを飛ばす。

 だがそれを、風太は目だけで制した。


「ちょっと黙ってろ。俺は今、七海に用事があるんだ」

「――っ⁉」


 風太のことが男の目にどう映ったのかは分からないが、風太のことを見ると途端に逃げ出した。


 そして残されたのは七海と、その手を掴む風太。


 先に口を開いたのは、七海だった。


「あの、あのね? 違くて、そういうことじゃなくて」


 七海の手は震えていた。

 風太に誤解をされていたらどうしよう。さっきまであんなに風太に頼りたくないと思っていたのに、今ではこの関係がこれで終わってしまったらどうしようと七海は気が気でなかった。


 ――だがしかし、七海の手が震えていたのは、それを握っていた人間の手が震えていたからだった。


「…………こ、こええぇぇえええ」

「へ?」


 その瞬間に力が抜けるようにして七海の方に倒れこんだのは、風太だった。


「え? 風太くん?」

「やばい、怖すぎて漏らすかと思った……」

「だ、ダサい…………」


 すっかり毒気が抜かれてしまった七海は、風太を安心させるように手を握る。

 すると風太はちょっと落ち着いたようで、席に腰を落ち着けると「ふう……」と息を吐いていた。


 それから上を向いて、遠くの方を見ながら風太は一言、簡単に言った。


「まあ話はあとでしよう。まずは、新居に行くぞ」


 そこでまた七海の緊張の糸がぴしんと張ったが、なんとなく風太の方が変な誤解をしているような気がしていた。

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