第4話 担当編集
鈴村風太は売れっ子の作家である。
ペンネームは『鈴村風香』
そのペンネームから女性ではないかと巷では思われているが、見ての通り男である。
もともとはライトノベルでデビューをした風太だったが、その高い文章力、特に頭に情景を思い浮かぶようなそのとつとつと描かれる文章に目を付けられ文芸の方で今は売り出されている。
ミステリ、群像劇、青春など様々なジャンルにスポットを当てて書いているが、どの作品もそれぞれ売れている。
中には『風香軍』と呼ばれる固定のファン層もいる。
そんな風太には、女性の編集者が付いていた。
「それで鈴村先生。プロットのここなんですが」
長峰渚。くりっとした目と膨らみのあるボブ。
仕事の時は眼鏡を付けていて、いかにも小動物というか多分遺伝子的には人間よりもハムスターの方が近い。
ほっそりと華奢な体とは裏腹に胸には七海よりも豊満な胸があり、なんともバランスの悪いかわいさだった。
「ああ、実は僕もそこで悩んでまして……」
そんなかわいげのある雰囲気の持ち主だったが、腕は間違いなく立つ。
27にしてすでに編集部の中でも認められているらしく、現に売れっ子作家の「鈴村風香」の担当編集になっている。
プロットでもつまらなかったらその穏やかな人柄からは思いもよらないほどバッサリ切り捨てるし、面白かったらさらに面白くする案を考えてくる。
だから風太もかなりの信頼を置いていた。
「ところで先生。わたし、いつもと違うところがあると思うんですけど、分かりますか?」
そんな長峰が、ふとそんなことを聞いてきた。
意味が分からない風太だったが、とりあえず長峰の服装を見てみる。
スーツに赤ぶちの眼鏡、片耳だけつけている星形の銀色のイヤリング。小物での違いは見られない。
じゃあ化粧品か、とか思い風太が唯一違いが分かる口紅に目を向けてみるが、いつもの桜色の唇だ。
形の良い三日月のつやつやとしたピンクがそこにあるだけ。
「いや……分からないですが……」
「はあ、まあ先生に期待してもダメですよね。打ち合わせにファミレスばかり指定するような先生では」
どういう意味か分からなかったが、なんとなく馬鹿にされていることは分かる。
だがそれでも彼女の違いに気づけなかったのだから、甘んじてその評価を受け入れて問う。
「それで、何が違うんですか?」
「本当に分かりません? におい、においです。香水を変えてみたんですよ」
「はあ」
そういって抑えめに空気を吸ってみる。
たしかに、以前の植物系の匂いではなく、どちらかと言えば柑橘系の匂いがする。
「ああ、たしかに違うような」
「鈴村先生の彼女は苦労しそう……」
「まあ彼女なんていないんで」
風太がそう返すと、長峰は呆れていた様子から少し笑みをたたえる。
「あ、そうなんですね。てっきり、先生の顔なら彼女の一人や二人くらいいると思いましたが」
「性格はダメみたいな言い草……。まあたしかに僕はこういう性格なんで彼女の一人もいたことないですよ」
そのくせして同居人はいるのだが、という言葉はもちろん口に出さない。
相手は成人した女性とはいえ、下手に口にしても厄介に首を突っ込まれるだけだ。
「え……じゃあ先生まだ……いえ、なんでもありません」
「?」
何か自分の下腹部を見られながら何か言われたと思ったが、気にすることもしない。
だが、そのあと長峰が言った言葉は、無視するわけにはいかなかった。
「先生、わたしみたいな女性はどうですか?」
「え?」
純粋な瞳で、ちょっと潤んだ瞳で長峰が風太にそう聞いてきたからだ。真剣な口調で。
もともと長峰は冗談を言うタイプではない。だからこそ、風太は余計に困惑してしまう。
真っ白な肌、ほんのりと上気した頬、何か物欲しそうな顔をしている。
机の下には肉付きの良い脚が畳まれているだろう。なんなら性格も含めて風太のタイプと言っても差し支えない。
「えっと……」
それだけに、風太は言い淀んだ。
返す言葉の正解が見つからなかったからだ。
――いや、違う。頭の中に、なぜかもう一人女性の顔が浮かんでいたからだ。
「たぶん……長峰さんのような女性は…………僕では釣り合わないかと」
だから、結局そう返していた。
逃げの答えだったが、それ以上に気の利く言葉は返せなかった。
誰かと付き合う、それはつまり家にいる同居人を追い出すということだ。
その未来を想像したら、どうにも風太は怖くなった。想像したくなくなった。
微妙な返事をしてしまったことに申し訳なさを感じつつ、そーっと顔を上げると、長峰は驚いたような顔をしていた。
「どうされたんですか?」
その表情にさっきまでの試行を漂白されてしまった風太は、逆に聞き返す。
「あ、いや、えっと。まさかそんなことを言われると思ってなかったので」
なぜだか照れたように話す長峰。
「あ、えっと、社交辞令っていうのは分かってるんですよ? それでもまさか、そう返されるとは」
「いや、だって、長峰さん美人というか、かわいいですし」
「か、かわいいだなんて‼」
ぽかぽかと赤くなっていく顔。
それから慌ただしく時計を見て、
「もう時間なので、失礼しますね!」
とだけいってお店を出て行ってしまった。
時刻は夜の9時を回っていたので、風太もお金だけ払って家に帰ることにした。
「おーそーい‼」
「悪い悪い」
家に帰るとすっかりご立腹の七海がバンバンと風太の頭をたたいてきた。
どうやらお腹が空いているらしかった。
「――む?」
そんな七海が一刻も早くご飯を食べたいのか、風太のスーツを脱がしている途中にふと何か気が付いたような表情をする。
「なんか、女の匂いがする」
それから「まさか?」みたいな顔でぎぎぎぎと風太の方を見てきた。
「風太くん、まさか私がご飯を待っている間に他の女とデート……」
「してない‼ 編集の人だよ、ほら、○○社の! まず、『他の女』ってなんだよ!」
全力で否定しておくと、七海はふーんという顔をして、
「まあ女ができたら言ってよね。私もさすがに出ていくから」
急に真剣なトーンで口にした。
だからこそ、風太も同じように返す。
「彼女なんか作るわけないだろ。ただでさえ忙しいのに」
「忙しくなかったら作るんだ?」
「作らねえよ。お前が家にいる限り、作らねえよ」
真顔でそう言う風太に、七海はまた「ふーん」と返す。
「なんだよ」
「別に、なんでも?」
「疑問で返すな」
言えるわけがない。
「作れねえよ」じゃなくて「作らねえよ」って言ってくれたことが嬉しかったなど。言えるはずもない。
自分の優先順位が彼女を作ることよりも上だったことに、七海は嬉しさを隠せないでいた。
「変な奴だな。じゃあご飯作るから待っとけ」
「待たせた罰として、今日ははんばーぐね‼」
「面倒くせえなあ」
そう言いながら、きちんとタネに玉ねぎが入っているタイプのハンバーグを風太は作っていた。
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