贈り物にまつわるエトセトラ(3)

「そうだ、これ」

「?」


 いつものようにお忍びでの買い物に付き合わされ、執務室に戻って来たところで、殿下から紙袋を押し付けられる。

 はて。裾がほつれていた騎士団の制服はこの前直して返してもらったし、何だろうか。


「また作りすぎてしまってね」

「……マフラーですか」


 袋を開けてみると、中身は白い毛糸で編まれたマフラーだった。


 網目が非常に細かく、何をどうやったらそうなるのか想像もつかない、立体的な幾何学模様を描いていた。

 上等な糸を使っているようで、手触りは滑らかでふわふわとしている。


 おお。これは普通にありがたい。珍しく実用品だし、ユニセックスな見た目だ。ヒラヒラもフリフリもしていない。

 防寒はもちろん、顔周りに白を持って来ると顔が明るく見えて盛れる。そういう意味でもありがたい。


「寒くなって来たし、良かったら使って」

「ありがとうございます」


 ふと、気になってマフラーの裏を確認した。

 よかった。どこにも王家の紋章は入っていないようだ。


「どうしたの? 編み目が気になるところでも?」

「いえ、見事な出来栄えですが。先日、ロベルト殿下にいただいた剣帯に彼の紋章やら何やらが刻印されていたことが分かって、アイザックにちゃんとしろと怒られたので……念のため確認をと」

「は?」

「え?」


 殿下が珍しく虚を突かれた顔をした。そして不機嫌そうに眉を顰める。

 最近はロベルトともそれなりに仲良くやっているように思っていたのだが……どうだろう。

 ロベルトが一方的に懐いているだけなのだろうか。


「ロベルトが、きみに?」

「はい。ああ、でも本人は、何やら意味があるのを知らなかったようで」

「そんなわけが…………いや、あり得るな」

「でしょう」


 殿下もご納得いただけたようで何よりだ。ロベルト、ある意味で信頼されている。


「愚弟が迷惑をかけたね。私が新しいものを用意させよう」

「いえ、革が馴染んできたところなので」

「……きみ、愚弟と婚約を解消したんだよね?」

「しましたとも」


 何を言っているのだ、この人は。

 結果的に私の父である公爵からの陳情とロベルト本人の意思で解消となったが、私が婚約解消を望んでいることを陛下に伝えてくれたのは殿下のはずである。


 そこでふと思い至った。


「そういえば、その件でまだ殿下にお礼を言っておりませんでしたね。陛下にもご奏上いただいたとのこと、その節はありがとうございました」

「いや、それはいい。私にも利のあることだったから」


 私の謝辞を手で制し、殿下が言う。

 「礼を聞いていないぞ」という催促かと思ったのだが、違ったらしい。


 しかし確かに、結果として殿下にも利のあることだったろう。

 弟の嫁が私では、殿下の仕事も増えそうなものだ。

 お父様が以前言っていたように、私に王子妃など務まらないことは殿下も承知のことだろう。


 殿下は眉間を指で押さえながら、ちらりと私に視線を向ける。


「愚弟に未練でも?」

「未練? ……どういう意味でしょう」

「あいつのことが、好きなのかと」

「はぁ?」


 能天気にキラキラを飛ばしてくるロベルトの顔が脳裏に浮かんで、消えた。

 仲が良いか悪いかで言えば、悪くはない。だが好きか嫌いかで言えば、弟子である。

 それ以上でも以下でもない。


 さっきから、何を言っているのだろう。

 殿下、もしかして頭でも打ったのではないか。

 平和な国で一生過ごしていきたいので、出来れば殿下には有能な王様になってほしいところなのだが。


「失礼ながら申し上げます。すぐに何でもかんでも好きだ嫌いだと色恋沙汰に結び付けるのは感心いたしません。そんなことばかり考えていて許されるのは女子学生だけです」

「きみも女子学生だろう」

「まともな女子学生は自分の好みのタイプくらい把握しているものです」

「……説得力があるね」

「お褒めに預かり光栄です」

「褒めていないよ」

「分かっております」


 嫌味の応酬を経て、ため息をついた殿下に私は肩を竦めて見せる。


「だいたい私にそういった感情があれば、わざわざ婚約の解消を望んだりしないでしょう。わざわざ好いた相手との婚約解消を望む者がどこにいますか」

「……それは、そうだけれど。そうではない人間をたまたま、見たことがあったから」


 どんな人間だ、そいつは。

 殿下が見かけるくらいなのでやんごとない立場の人物なのだろうが……やっぱりこの国、ダメかもしれないな。


「じゃあ、どういう理由で使っているの?」

「裏側だから見えないし、いいかと」

「……ギルフォードは何て?」

「今の殿下のような表情をしていました」


 殿下の眉間の皺がますます深くなった。

 眉を顰めているだけで悩ましげで色気がある表情に見えるので、美形というのは本当に得だな、と思った。


 今度は私がため息をつく番だった。


「そういった慣習は、贈った側にその気持ちがあって、かつ受け取る側にそれを理解する教養があって初めて成立するものです。今回はその両方が欠けているわけですから、ただの品物にすぎません。物に罪はありませんので」

「……」

「誰かさんが贈って寄越したドレスと同じですよ」

「……それは受け取る側に問題があるんじゃないか」


 低い声で呟く殿下。


 着用しないという意味では、確かに私に問題があるかもしれない。

 だがそれは予測できたはずの事態だ。だとすればやはり、贈る側にも問題があるだろう。


「リジー。私がきみにドレスを贈ったのは――」


 部屋にノックの音が響いた。

 やや間があってから、殿下が入室の許可を出す。


「エド。少しいいかな?」


 ドアを開けて入ってきたのは、お兄様だった。

 今日も今日とて、ふくふくもちもちの幸せボディである。


「お兄様!」

「あれ、リジー? どうしてこんなところに?」


 聞かれて、一瞬言葉に詰まった。さりげなく手に持った紙袋を隠す。

 ちらりと殿下に視線を送ると、小さく頷いた。お兄様にも内緒ということで間違いないらしい。


 たとえ殿下に乙女チックな趣味があったとて、お兄様はそれによって態度を変えるような人ではないと思うのだが……まぁ、お兄様は隠し事が苦手なので、秘密を抱えさせないに越したことはないだろう。


「私が呼んだんだ」

「君が?」

「学園のことで、少しね」


 殿下がそれらしいことを言って誤魔化す。

 私の嘘はたいていお兄様にバレるので、殿下が引き受けてくれて助かった。


 ……いや、そもそも殿下に呼びつけられて来ているのだから、隠したいなら誤魔化すくらいしてもらわないと困るのだが。


「それより、きみはどうしたの? 今日は休みのはずだろう?」

「調査を手配していた件で報告があって。先にそれだけ知らせておこうと思って」

「助かる」


 お兄様と殿下が仕事の話を始めたので、手持ち無沙汰になってしまった。

 殿下の執務室を見渡す。整頓されてはいるが、書類がわんさか積まれていた。


 ゲームをやっているときにはあまり感じていなかったが、学園に通った挙句王太子としての公務もこなし、さらに生徒会長の業務までというのは明らかにオーバーワークである。

 いつ寝ているんだ、この人。


 お兄様も、殿下の補佐に領地経営にと飛び回っているので、休みらしい休みというのは少ない。

 まともな王侯貴族というのはどうもそういうものらしい。

 持つものの義務、というやつなのだろうが、つくづく「持っていなくて良かったな」と思ってしまう。


 騎士の方がよっぽどホワイトな労働環境だ。

 私が警邏でお世話になっている第四師団などは騎士団内でも有名なホワイト師団らしいので、もし就職するならあそこがいい。


 少し待ってみたものの、長くなりそうなので先に抜けることにした。

 そもそも私の用事はもう済んでいる。


「殿下、お兄様。お話中失礼します。お邪魔になってもいけませんので、私はこれで」

「え? ああ、ごめん。僕の方が後から来たんだから、気にしないで」

「そうだよ、リジー。すぐに終わるから、待っていて」


 二人に引き留められた。

 いや、もう私はさっさと帰るので、ゆっくり国の展望でも話し合ってくれたらよいと思うのだが。


「あれ?」


 ふとお兄様が首を傾げる。


「君、僕の妹のことをそう呼んでいたっけ?」

「結構前からこうだったと思うけれど」

「二人でリジーのことを話すときは、いつも「きみの妹」って呼んでた気がしたから、少し驚いちゃったな」


 おかしそうに笑うお兄様。


 私の話とはいったいどういう話なのだろう。

 殿下から学園でのあれやこれやがお兄様に伝わっているのではないかと思うと、背中を冷たいものが伝う。


 殿下に視線を向けると、彼は何やら頬を染めて、気まずそうに私から目を背けた。

 何だ。何をバラされているんだ、私。


「仲が良かったんだね」

「殿下は誰にでも、分け隔てなく接してくださいますから。可愛がっていただいておりますよ」

「ふふ、よかったね」

「……はい」


 この場合の「可愛がる」は主に相撲部屋的な「可愛がり」の意味を指すが、まぁ、嘘ではあるまい。

 お兄様がほっとしたように微笑んで、殿下に視線を向ける。


「エド、リジーと仲良くしてくれてありがとう。これからも仲良くしてくれたら、僕も安心だな。ちょっとおてんばなところがあるけれど、心の優しい子なんだ」

「…………」


 殿下が一瞬宇宙人を見るような目を私に向けてきた。

 「誰が、何だって?」と顔に書いているが、澄ました顔で気づかないフリをする。


 お兄様にとって私はいつまで経っても「ちょっぴりおてんばな可愛い妹」らしいので、私に文句を言われても困る。


 お兄様はぷにぷにのほっぺを緩ませてにこにこ嬉しそうに笑っている。

 その顔を見ると、誰でも毒気が抜けてしまうのだから不思議である。


 殿下も険しかった表情を綻ばせて、お兄様に微笑みかける。


「私も仲良くなれてよかったと思っているよ。リジー、これからもよろしくね。……末永く」


 抜けたはずの邪気が、最後の一言でちらりと戻ってきた気がした。

 社交辞令で微笑みながら、私はさりげなく執務室のドアへ向かう。


「すみません。次の約束がありますので、これで」

「? リジー、その袋は?」


 退出しようとしたところ、お兄様が私の抱えた紙袋を見つけて声を掛けてきた。

 お兄様。残念ながらこれはお菓子の紙袋ではありません。


 中は殿下のお手製マフラーである。どう説明しても何かしらの嘘はつかねばならない。

 お兄様がどこまで騙されてくれるか、賭けに出るには少々分が悪かった。


 結果、私は考えることを放棄した。

 だいたい、内緒にしたいのは殿下なのだから、言い訳を一生懸命考えるべきなのは殿下だ。

 自分の責任を他人任せにしてはいけない。


「……秘密です。ね? 殿下」

「え?」


 唇に人差し指を当てて、にっこり笑っておいた。

 ついでに殿下に「あとはよろしく」のウインクを投げて、颯爽と踵を返す。


「気になるなら、詳しくは殿下がご存知ですよ。それでは」


 捨て台詞とともに全てを殿下に丸投げすると、私は一礼して執務室を後にした。

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