閑話 ロベルト視点(3)
俺は浮かれていた。
一時は隊長がリリア嬢を愛していて……それで彼女が幸せになるならばと身を引くことも考えたが、それが杞憂であったことが分かったのだ。
つまり隊長は今、フリーなのだ。
ライバルはいるが……兄上もギルフォードも、誰も彼女を射止めていない。
となれば、俺が彼女に相応しい男になって、思いを告げればよいだけの話だ。
そう思うと、自然に訓練にも身が入る。隊長も訓練場に顔を出してくださる頻度が増えて、俺は熱心に鍛錬に打ち込んでいた。
すべてが順調だった。その、はずだった。
「ワタシはアナタに一目惚れしましタ! どうかワタシと結婚してくだサイ!」
東の国からの留学生、ヨウが彼女に求婚するまでは。
東の国の第6王子で、少し前から国賓として王城に滞在していたので、俺も挨拶程度には話をしていた。
だが、まさかこんなことになるとは思わなかった。
そこで俺はやっと理解した。
たとえ彼女がリリア嬢を選ばなかったからと言って、隊長ほどの人を周囲が放っておくわけがない。
俺が追いつくまでに、誰かが彼女を攫って行ってしまうかもしれない。
リリア・ダグラスの言葉を思い出す。
きっと、このことを言っていたのだ。
でも俺は、自分で決めたのだ。
この気持ちを告げるのは、彼女に勝てるくらいに強くなってからだと。
それを曲げるような男に、自分で決めたことすら守れない男に、彼女が守れるだろうか。
結局俺に出来るのは、今まで以上に鍛錬に打ち込むことだけだった。
◇ ◇ ◇
ある日、とうとう訓練場にヨウが着いてきてしまった。
ここは俺と隊長の場所なのに、と思うと何となく、面白くない。
ヨウは隊長にまとわりつきながら、隊長に手合わせを申し込んでいた。
ヨウの次は俺も相手をしてもらおうと眺めていると、ヨウはにっこり笑って言った。
「では……ワタシが勝ったら、ワタシと結婚してくだサイ」
「なっ」
思わず声が出てしまった。
何故、ヨウが、それを。
だって、それは、俺が、ずっと。
「いいぞ」
「た、隊長!?」
予想外の返事に、頭より先に身体が動いた。隊長とヨウの間に割り込もうとしたところを、隊長の腕が制する。
どうして止めるんですか。
どうして、「いい」なんて言うんですか。
隊長はちらりと俺に視線を送ると、試合の際の定位置に歩いていく。
「まぁ、見ていろ」
隊長はそう言った。
行ってしまう。
俺はその背中に、掛ける言葉が見つけられなかった。
どうしよう。もし、隊長が、ヨウのことを……
そう思う間もなく、ヨウが瞬く間に隊長に伸された。
俺でも太刀筋を追えないような、早業だった。
「で?」
隊長がヨウを見下ろし、笑う。
凛と立っているその背中はもちろん、剣を払う仕草までもが美しく、俺は彼女に見惚れてしまった。
「お前が勝ったら、何だって?」
「な、何かの間違いデス! もう一回!」
「いいぞ、気が済むまでかかってこい」
まったく相手になっていないヨウを見て、俺はほっと胸を撫で下ろす。
そうだ。俺たちの隊長がそう簡単に負けるはずはない。
そこからは安心して見学していたのだが……だんだんと、隊長が妙に楽しそうに笑っているのが気になって来た。
試合の時は楽しそうにしていることが多い人だが、今日は何となく、いつもよりも楽しそうに見えた。
また、不安がむくむくと頭をもたげる。
隊長、どうしてそんなに、楽しそうなんですか?
相手が、ヨウだからですか?
へたり込んだヨウに立ち上がるよう急かす隊長。その姿に、また咄嗟に身体が動いた。
彼女の腕を引いて、制止する。
「隊長、隊長!」
「ん」
隊長はぴたりと動きを止めると、俺に視線を向けた。
俺は次の言葉を考えていなかったのだが……隊長は一瞬はっと息を飲むと、咳払いをする。
「悪い。つい私怨が」
「楽しそう……ですね」
「否定はしない」
そう答えた隊長の唇には、堪えきれない笑みが浮かんでいた。
その表情に、また何となく「面白くない」という気持ちが生まれる。
ああ、俺はこの人が好きなんだ、とそう思った。
誰にも渡したくないくらいに。俺にだけ、笑ってほしいくらいに。
面倒なものだと思っていた、俺には分からないと思っていた恋というものが、徐々にその輪郭を表してきたようだった。
「隊長」
「うん?」
「俺とも一戦、お願いします!」
俺の言葉に、彼女はこちらを向いて、にやりと笑った。
結局その日、俺は隊長に勝つことができなかった。
けれど、隊長はこう言った。
「10年早い」
その言葉に、俺は1年生の時のダンスパーティーを思い出した。
エスコートを断られたあの日。何度も夢に見るくらい、忘れられない衝撃を受けたあの日。
彼女は俺に言ったのだ。「私のエスコートなど百年早い」と。
思わず彼女の手をぎゅっと握り込んだ。
訓練場で出会ったばかりの頃……兄上に初めて勝った頃、握った隊長の手は、もっと大きく思えたのに。
今では俺の手の方が、ずっと大きくなっていた。あの頃は、俺の方が背も低かった。
いつの間にか、身長も、手の大きさも、俺は隊長を追い越していた。
「10年経ったら、追いつけますか?」
気づいたら、口から言葉が零れだしていた。
俺が自分に課した条件は、いつ越えられるのか分からないくらい、どこまでも高い壁で。
だけど、それを曲げるようでは、俺は彼女に相応しい男とは、胸を張って言えないから。
「俺が追いつくまで……待って、いてくれますか?」
きっと俺は、相当切羽詰まった顔をしていたのだろう。
隊長は不思議そうに、首を傾げていた。
俺だって……恋をすることがこんなに苦しいものだなんて、思わなかった。
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