第157話 原作改変というやつですね(リリア視点)

 ぱちりと目を開けた。

 視界がぼんやりとしています。何となく、後頭部が痛い、ような。

 目の前に広がるのは、見慣れない部屋でした。古びたお屋敷と言った風情です。


 じわじわと思い出してきました。

 自分の部屋にいたら、突然知らない人が何人も入ってきて、それで……たぶん、殴られたか何かで、気を失ったのでしょう。


「気がつきましタか」


 くすくすと笑う声がして、目を向けます。

 思った通り、そこにいたのはヨウでした。狐目を細くして、にやにやと笑っています。

 エリ様の言ったとおりだな、と思いました。その笑い方は、ゲームの中のヨウとは全く違っていて……明らかに、悪役の笑みでした。


 身体を動かそうとして、後ろ手に縛られていることに気づきます。ま、縛られていなかったところで、わたしにこの状況をどうこうできるとは思いませんけれども。


「こ、ここは?」

「ワタシたちの拠点デス。見てのとおり今は使われていない屋敷デスし、街の中心からも離れていマス。騒いだところで助けは来まセンよ」

「ど、どうして、わたしを?」

「エリザベス・バートンを誘き出すためデス」


 彼の黒い瞳が、僅かに見えました。黒々とした、光の無い目でこちらを見下ろしています。


「バートン家には何度も煮え湯を飲まされましタ。次期公爵がウィルソン伯爵家の悪事を糾弾したせいで、伯爵を懐柔して銃火器を持ち込む計画に遅れが出ましタ。エリザベス・バートンとその義弟が密猟を妨害したせいで、資金稼ぎに影響が出たばかりか、拠点の場所がバレて襲撃を受けましタ。聖女をこちらに引き込む予定でシタが、常にエリザベス・バートンがべったりで付け入る隙がありまセン」


 後半2つに心当たりがありました。ちなみに最後の1つはエリ様がべったり、というより、わたしがべったり、なのですが。


「バートン公爵家で一番邪魔な存在が、エリザベス・バートンデス。一人で一個師団にも匹敵する戦力……アレがいるだけで、バートン公爵家には手を出しにくい。逆にあいつさえいなければ、攻め落とすのは容易い」


 そうなのでしょうか? わたしは内心首を捻ります。

 エリ様はそれはそれは強いですけど、公爵家の中では植木の次ぐらいの発言権しかないと言っていました。


 男爵家の末席に過ぎないわたしの耳にも入ってくるような人望の公爵家の逸話は、エリ様とは関係のないものばかりです。

 この国の貴族であれば、誰も「攻め落とすのは容易い」なんて、思わないでしょう。


「公爵家を落とし、聖女を手に入れる。そしてそれを足掛かりに、この国に攻め入る。ワタシが、それを成すのデス。ずっと見下してきた奴らに、目に物を見せるのデス。ワタシを、母を……身分が低いと見下して、駒のように扱ってきた奴らに……」

「ああ、そこはゲームのとおりなんですね」

「は?」

「あ、い、いえ。こちらの話です」


 なるほど、と思いました。ゲームのヨウを悪役ナイズしているわけですね。

 第6王子、しかも妾腹。黙っていては回ってくるはずもない王座を餌に、スパイの真似事をさせられている。

 ゲームでは自分と母の身を守るため仕方なく、と言うことでしたが、この世界ではそれが野心にマイナーチェンジされているようです。


 原作改変というやつですね。……わたしから見れば、改悪ですけど。

 ヨウは、純粋さを残しているところがよかったのに。


「ねぇ、見えてるんですよね?」


 わたしは語り掛けました。

 ヨウにではありません。ここにいるし、どこにもいない。そういった、普遍的な存在へ。


 ヨウが怪訝そうな顔でわたしを見ます。


「何を言っているのデス?」

「あなたには言っていませんよ。世界の意思すら教えてもらえない、可哀想な操り人形さん」


 ヨウをあからさまに見下して、ころころと笑って見せます。これでは、わたしが悪役令嬢みたいですね。


 あるタイミングから――エリ様のルートに分岐したあたりから、わたしは自分の「運命力」が高まっていくのを感じていました。

 それは、聖女としての力の根源です。聖女の力というのは、運命を捻じ曲げる力だと、わたしは理解しています。


 たとえば、死ぬ運命にある人を生かしたり。怪我をなかったことにしたり。恋に落ちるはずがなかった人を、魅了したり。

 「こうなるはずだった」という運命を捻じ曲げて、結果を変える。それが聖女の力のからくりです。


 その力が、どんどんと高まっていました。もう、この身に抑えられないほどに。

 それは、主人公としての力が高まっているからだと思っていましたが……どうやら違ったみたいです。


「あなたたちはエリ様の――エリザベス・バートンの『原作改変』を恐れた。世界の『運命』を変えさせないために……わたしに『運命力』を過剰に与え続けた。……その身を削ってまで」


 彼女のことを思い出します。きっと手違いでこの世界に転生させられた彼女が、どれほどの血の滲むような努力を経て、そこに立っているのか。

 どれほどの運命を捻じ曲げて、どれほどの運命をなぎ倒して、そこに立っているのか。


「ある時気がつきました。わたしの『運命力』の源が、世界ではなくわたしの内に移っていることに。この意味、分かりますか? わたしの運命力は、この世界の創造主であるあなたたちを凌駕した」


 わたしは話しかけます。ヨウを通して、この世界の創造主に。世界機構そのものに。神と呼ばれる存在に。


「あなたたちも力があるんですから、分かるでしょう? それとも、そんな実力差もわからないくらいに耄碌してしまったんでしょうか」


 どこか遠くで、花火の音がします。何でしょう、お祭りでもあるのでしょうか。

 でも、もう深夜といって差し支えのない時間帯です。それでもご近所迷惑にならないほど、ここは王都から離れているということでしょうか。


「もうわたしは、あなたたちの手に負えるものではなくなった。もう、この世界の権限はわたしに委譲されています」


 自分の手のひらを見つめます。使いこなせている感じはあまりしませんし……結局、エリ様だったら捻じ曲げられてしまう程度の力なのでしょうけど。


「今更あなたたちが外野から何をしようとしても、無駄です。転入生を1人滑り込ませるのが関の山だったはず」


 目の前のヨウを見ます。世界を原作どおりに戻すために、改悪されてしまったキャラクター。

 わたしにとって、敵ではありません。恋敵ですらありません。ただ、可哀想なだけのひと。

 わたしは原作のままのヨウの方が、好きでした。二推しでしたし。


 原作に戻すために原作を捻じ曲げるなんて、やぶれかぶれというか、本末転倒と言うか。


「そんな力では、わたしに……わたしの望む運命には、勝てない」


 わたしは笑います。大好きなあのひとの真似をして、口角を上げて、不敵に笑います。


「自らが産んだ化け物に、あなたたちは食い殺されるんです」

「先程から、誰と話しているのデス!? ついに頭でもおかしくなったのデスか?」

「わたしは正常です」


 地鳴りがします。まるでわたしの怒りに反応して、地面が震えているようでした。


「おかしいのはあなたたちです。わたし、こんなふうにしてくれなんて頼んでません。美少女に、聖女に、主人公ヒロインに産んでくれなんて。頼んでません。あなたたちのせいで、わたしがどれだけつらかったか。どれだけ虚しかったか。やっと、やっとそのつらさを、虚しさを埋めてくれる人と出会えたと思ったのに。それが、筋書きと違ったからって今更文句を言ってくるなんて。わたしのエリ様に手を出そうとするなんて。分かります? わたし、怒っています」

「ノー! おかしくなったのでショウ。己の身が害されるという恐怖で! 泣いて許しを乞うのなら……そうデスね、ワタシの愛人として迎え入れてあげないこともないデスよ! アナタは見た目だけは良いデスから!」

「ふふ」


 小悪党然とした様子で高笑いをするヨウを見て、わたしはまた唇で弧を描きます。


「笑わせないでください。わたしは主人公ヒロインですよ」


 がしゃん、がしゃん。どこかで何かが壊れるような音がします。何かが崩れるような音がします。


主人公ヒロインのピンチにはね……王子様が助けに来るって、相場が決まっているんです」


 音がだんだんと近づいてきます。ヨウが音のする方へ――壁へ視線を向けました。

 瞬間、轟音がして壁が吹き飛びます。


「ああ、やっと来た」


 降り注ぐ瓦礫と砂埃の中、立っていたのは。


「わたしの、王子様」


 エリザベス・バートンその人でした。


「な、何故、そいつが……!」


 驚いた表情で彼女を見るヨウ。

 エリ様は、特に気負った風もなく当たり前のようにそこに立っていました。

 よく見るとどこか怪我をしているのか、顔の右側が血で染まっていて、右目が開いていません。服もぼろぼろだし、何故かびしょ濡れだし、砂埃で汚れていました。


 その姿を見て、ぎゅっと胸が締め付けられます。やっぱり、来てくれた。「命の危険がなければ」なんて言っていたのに。

 その気持ちに答えるように、わたしは胸を張って、ヨウに向き直ります。


「わたしは主人公ヒロインですよ? 悪役令嬢の1人や2人、コマせないとでも?」

「えーと? どうも、コマされた悪役令嬢でーす」


 エリ様がよく分かっていないような顔をして、そう言いました。

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