第121話 ざまぁみろ、乙女ゲーム。

「隊長!」


 聞き覚えのある声がした。


「姉上! と、……く、くま!!!!??」

「はは、ははは」


 なるほど、そうだな。


 私は乾いて貼りついた喉で、笑う。

 口の中は血の味だし、砂でざらざらしていた。


 私が目指しているのは、確かに主人公ヒロインに私を攻略してもらうことだ。


 だが私が進みたいのはあくまで友情エンド。そうであるのならば。

 最善は、主人公の助けなしに、試練を乗り越えることだ。

 今まで友情を培ってきた、仲間たちの助けを得て。

 

 それが「友情エンド」への伏線でなくて、何だというのだろう。


 もう瞼を上げる事すら一仕事だ。しかし、やるしかない。

 瞼を開ける。私を助け起こすクリストファーの顔がぼんやりとだが視認できた。


 かわいそうに、蜂蜜色の瞳は涙で濡れている。

 私の瞳が彼を捉えたことに気がつくと、彼はまた私を呼んで、涙の雨を降らせる。


 わずかに視線を巡らせると、倒れている羆に一番近いところで、ロベルトが緊張した面持ちで剣を構えているのが見えた。

 私やその背後のリリアたちを守るように、立ちはだかっている。


 ゆっくり上体を起こす。体が軋んで悲鳴を上げている。

 耳元でまたクリストファーの不安げな声がするが、片手を上げてそれを制した。


 反対側に首を巡らせると、王太子殿下が剣を構え、リリアを後ろに庇っていた。

 そうしていると、乙女ゲームのスチルのようだ。

 だが、私の知るゲームの彼よりも今の殿下は精悍でたくましく、剣を構える姿にも儚さよりも力強さを感じる。

 守られている側のリリアが完全に困惑しきった顔をしていなければ、だが。


「バートン」


 足音とともに近づいてきた声に、視線を上げる。


 アイザックが水筒を差し出し、私の口に押し付けた。

 やや手つきはぎこちないが、窒息しない程度の水が、私の唇を湿らせる。

 勝つまで負けないこの友人は、私が諦めるなどとは思っていない。

 言葉を発する体力さえ惜しい。アイザックの瞳を見て、頷いた。


 立ち上がる。

 筋繊維の切れる音がする。血管も切れているかもしれないし、どこか骨折していたっておかしくない。

 痛いし、重いし、視界もぼんやりしている。


 それでも私は、立ち上がった。

 誰も、なにも言わなかった。


 私は足を……身体を引きずるように、歩を進める。

 ロベルトの横を通って、羆のすぐ傍まできた。

 ロベルトの表情までは窺い知れなかったが、彼も私を止めなかった。


 腰を落とす。

 そして、こちらを睨み舌を出してぜえはあと荒い呼吸を繰り返している羆の胴に、腕を回す。

 わずかに羆の手が動き、じたばたと抵抗を始める。

 だが羆も相当に消耗しているようで、私を止めるには至らなかった。


 私は足を踏ん張り、体全体を使って、羆を持ち上げた。

 よろけそうになるほどのその重みを利用して、遠心力に任せて巨体を振り回す。

 ぐるん、ぐるんと回転して、勢いをつけて。


 私は羆を、ぶん投げた。


 羆の身体は高く舞い上がり、そして放物線を描きながら森の上を飛んでいく。

 木々に隠れて姿はすぐに見えなくなったが、バキボキと木々の折れる音と、巨大な何かが地面に落下した轟音が遠くで響き渡る。

 どうやら木の上で眠っていたらしい鳥が、騒がしく鳴く声がした。


 羆を放り投げた勢いのまま倒れ込んだ私は、瞼さえ開けられずに地面とチークダンス状態だ。

 今度こそ指の1本さえ動かせない。もう痛いとか、そういう次元ではない。

 ただ、とにかく体が重くて、そして眠かった。


 それでも、清々しい気持ちだった。

 やりきった。

 これが最良の展開だという自信があった。


 ざまぁみろ、世界。

 ざまぁみろ、乙女ゲーム。


 地面の振動と誰かの声を遠くに聞きながら、私は意識を手放した。

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