第105話 捕まえたよ、私のウサギちゃん

 歩き始めて、またかちりと小さな音がしたかと思うと、今度は風を切る音がした。

 飛んできた矢を三本まとめてキャッチし、真っ二つに折って地面に捨てる。


 この地域の人はずいぶん密猟者に迷惑していたらしい。先ほどからいくつも罠が作動している。

 時折えさの入ったかご型の罠や落とし穴のようなものもあるので、密猟者がうさぎを捕るための罠を仕掛け、その密猟者を捕らえるための罠を近隣の街の住人が仕掛けた、という二重構造になっているようだ。

 知らずに旅人が入ってしまったら悲惨だ。


 首尾よく罠をかいくぐりながら進んでいたのだが、だんだんとクリストファーが遅れがちになる。

 彼も訓練場に通っているので、少なくともリリアよりは体力があるはずだ。

 このペースについてこられないのはおかしい。


「クリストファー?」


 声を掛けながら歩み寄ると、クリストファーの顔は青白く、脂汗が浮かんでいる。


「どうした?」

「えと、……足が……」

「足? 見せて」


 彼が庇うようにして歩いていた右足を、ブーツを脱がせて確認する。

 足首の辺りが見て分かるほど赤く腫れ上がり、じんじんと熱を持っていた。


「さっき、罠を避けたときに挫いたみたいで……」

「そういうことは早く言いなさい」

「ごめんなさい……」


 ただでさえ俯いていたクリストファーが、さらに小さくなってしまった。

 やはり私はお兄様のように優しく叱るのは無理だったようだ。


「……ほら」


 何か言えば言うほど弟に泣かれそうなので、私はさっさとしゃがんで彼に背中を見せた。


「……あの」

「乗って。私が負ぶったほうが早い」

「で、でも、その」


 クリストファーはちらちらとリリアを気にしている。どうやら恥ずかしいらしい。

 彼も思春期。女の子の前でお姉ちゃんにおんぶされるのは避けたいだろうが、そんなことを言っている場合ではない。

 思春期は時と場所を選んで発揮してくれ。


「早く」


 私が急かすと、クリストファーは渋々私の背に乗った。


 余談だが、生まれてこの方「足を挫く」という経験をしたことがない。

 前世でもしたことなかったんじゃないかと思う。

 そのため「足を挫く」というのは一種のファンタジーというか、少女漫画の世界かそれこそ乙女ゲームの世界で、主人公にのみ発生する特異な現象かと思っていたくらいだ。

 いるんだなぁ、本当に。


 ……こういうのは主人公ヒロインの役回りじゃないだろうか。



 ◇ ◇ ◇



 歩いていると、遠くに人の声が聞こえた。声と言うより、怒号である。

 先ほどの一団のうち何人かが近くまで来ているようだ。

 リリアも気づいたらしく、不安げな瞳でこちらを見上げている。


 クリストファーを背負っているくらいではハンデにもならないが、このまま移動している最中に多勢で襲われたら、リリアに危険が及ぶかもしれない。

 怪我などさせてはドキドキどころの騒ぎではなくなってしまう。ここは慎重を期すべきだろう。


 密猟者を一網打尽にするよりも、リリアとクリストファーを無事に連れ帰ることが優先だ。

 私にとってはそのほうが難易度が高いかもしれない……イージーとノーマル程度の差だが。


 ちょうど、少し開けた場所に出た。大きな木が近くにあり、3、4メートル程度の崖のような地形もある。ふむ。

 リリアに向き直り、私は計画を彼女に伝える。


「追手が来ているみたいだ。移動中に襲われるとこちらが不利になるかもしれない。一度ここで迎え撃つ」

「えっ」

「リリアはうさぎと一緒に安全なところに身を隠していて」


 一旦クリストファーを降ろして、今度はリリアを抱き上げた。

 手近なところにあった木に登り、木の枝に彼女を座らせる。


「いい子で待っていてね」

「ふぁい」


 ぱちんとウインクを投げると、リリアの瞳の中にハートマークが浮かんだ。さっきまで怯えていたのに、現金なものである。


 木から降りて、クリストファーを背負い直した。

 降ろしておいて人質にでも取られたら面倒なことになるので、この方が都合が良い。


 特に息を潜めることもなく突っ立っていると、がさがさと茂みをかき分けるような音がした。


「動くナ!」


 男の声だった。訛りがひどいが、何とか聞き取れる。

 幸い、相手は1人だ。こちらに銃を突き付けているが……この距離で、これだけ遮蔽物が周りにある中で、まだ銃で戦おうというのだろうか。

 道具も悪いが、使い手にも問題がありそうだ。


「お前、何者!? 銃、効かなイ、何故!」


 男の怒鳴り声を聞いて、首を傾げる。これは訛りどころではない。片言と言っていい。

 もしかして、他国の者だろうか。最初の叫び声が聞き取れなかったのも、私の知らない言語だったと思えば辻褄が合う。


 他国の者が、銃を使ってうさぎ狩り。何ともきな臭い話である。


「目的、言エ! 何を――」


 言葉の途中で、瞬間、一気に距離を詰める。

 男の視線がこちらに向く前に、ぽーんと顎を蹴り飛ばした。


 男の身体は勢いよく跳ね上がり、きりもみ回転しながら崖下に落ちる。

 崖下を見下ろすと、積み上がった腐葉土の中に上半身が沈んでいた。

 悲鳴も文句も聞こえてこないので、どうやら気絶したらしい。


 こちらは早く帰りたいのである。特に話すこともない。


「あ、姉上……どこの手のものか確認しなくて良いんですか……?」

「それは衛兵がやるだろう。今の私の仕事はお前とリリアを連れて一刻も早く安全なところに行くことだよ」

「で、でも、このままだと、また追手が」

「ふむ」


 確かにまた追手が来るかもしれないし、今の男が逃げて、仲間を連れて来るかもしれない。

 とりあえず今蹴落としたやつを縛って、衛兵が見つけやすいようにしておくか。


 男を蹴落とした崖を飛び降りる。

 柔らかい地面に少々足を取られたが、難なく着地する。


 適当な木の蔓を使って、気絶している男を拘束し、木に吊るしておいた。

 これで目を覚ましても簡単には逃げられまい。


「見せしめに、密猟者へのメッセージでも書いておいた方がいいかな? 『ニンゲン……カエレ……』的な」

「それは街の人も怯えるんじゃ……」

「そうかな? じゃあやめておこう」


 どのみち、馬を預かってもらっている街に戻らなくてはならない。

 衛兵を探して報告すれば、おそらく回収してもらえるだろう。

 衛兵より先に仲間が助けに来た時のことを考えて、近くにあった作動済みのトラバサミをいくつかこじ開け、もう一度設置しておく。


 クリストファーを一旦地面に降ろすと、リリアに呼びかけた。


「リリア! もう大丈夫だよ」


 崖の上を見上げて彼女の姿を探す。木の隙間からリリアとうさぎが姿を現した。

 私は両手を広げて、彼女に呼びかけた。


「ほら、おいで」

「え?」

「大丈夫、ちゃんとキャッチするよ」


 崖といっても大した高さではない。下もふかふかの腐葉土だ。

 クリストファーを早く医師に見せないといけないので、ショートカットできるところはショートカットしていきたい。

 ついでにリリアを合法的にお姫様抱っこできるので、一石二鳥だ。


 リリアは意を決した様子で、うさぎを抱き締めたまま私の腕に飛び込んできた。

 彼女の身体をしっかりと抱き留める。

 やはり、羽のように軽い。


「ね?」


 ぎゅっと目をつぶっていたリリアだが、私の声に恐る恐ると言った様子で瞼を上げた。

 至近距離で、抱き上げた彼女の瞳を見上げる。


「捕まえたよ、私のウサギちゃん」


 リリアを抱いたまま、くるりと一周した。彼女は赤面して、口をはくはくと開け閉めしている。

 ふむ。少々クサかっただろうか。

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