第104話 ピッチャー第一球。投げました。

 しばらく三人で風と陽だまりを感じていると、だんだんと、自然に溶け込んでゆくような気がした。

 気配を消すときの感覚と似ている。


 ふと、頬に何かが触れる感触がして、目を開けた。


 ばたーん!


 その瞬間、顔のすぐ横で、何かが勢いよく倒れた。

 咄嗟に身体を起こすと、私の顔があったあたりに小さなふわふわの小動物が倒れていた。耳が少々短いが、フォルムからしてうさぎだろうか。


 しかし四肢を投げ出して倒れているところを見ると、なんだか違うような気もしてくる。

 そもそも急に倒れるとは、何かやばい病原菌でも持っているんじゃなかろうか。


「わぁ、かわいい!」

「あっ」


 止める間もなく、リリアがうさぎを抱き上げた。

 どう考えても死後硬直みのあるうさぎを見て「かわいい」は、無理があるのでは。リリアの表情も若干引きつっているような気がする。


 うさぎはしばらく固まっていたが、やがて鼻をひくひくと動かしはじめ、緊張を解いた様子でリリアの腕の中に納まった。

 よかった、生きているらしい。


「うさぎって、死んだフリするんですね」

「死んだフリ?」


 クリストファーも起き上がって、リリアの腕の中のうさぎを眺めていた。


「きっと先輩に獲って食われると思ったんですよ」

「失礼だな……」

「先輩、動物に好かれたためしがないじゃないですか」


 私は沈黙する。

 何故だか分からないが、昔から動物――小動物は特にだ――に嫌われるのだ。

 私がただの「エリザベス・バートン」だった頃からこうだったのかは分からないが、少なくともこの10年は続いているので、もう一生こうなのだろうと諦めている。


「ば、バートン様、動物が苦手なんですか?」

「苦手というより、向こうに嫌われる性質なんだ」

「へぇ……何だか意外です」


 リリアが抱いていたうさぎを膝の上に降ろした。うさぎは大人しくその場に落ち着いて座っている。


「バートン様にも苦手なものがあるんですねぇ」


 苦手ではないと言ったつもりなのだが、まぁ、いいか。

 膝に乗せたうさぎを撫でているリリアは非常に絵になる。インスタにアップしたいくらい映えていた。


「かわいいなぁ」


 クリストファーがリリアの膝の上で丸まっているうさぎを覗き込む。

 その微笑みは非常に無邪気で、天使のようだ。うさぎも立ち上がって、クリストファーの顔にひげを当てている。


 彼も非常に可愛らしい顔つきをしているので、現状私から見る画角には可愛いものしか収まっていない。

 何とも癒される光景だった。


 クリストファーが妹だったらよかったのに。

 そうであれば、私も彼を攻略対象として警戒することなく、もっと手放しで可愛がれたかもしれない。

 今から男の娘にギアチェンジしてくれたっていいぐらいだ。


「あれ。このうさぎ、なんだか耳が短いですね」

「あ」


 リリアが小さく声を漏らした。その声に、私もある確信を得る。

 これはアイザックルートのイベントだ。


 絶滅の危機に瀕している珍しいうさぎ――いったい何ミノクロウサギがモデルなんだろうな――を密猟者が追っている場面に出くわしてしまい、アイザックが森に仕掛けられた罠を利用して密猟者を一網打尽にする、というイベントだ。

 リリアの「かわいいですね」に対して、「僕は、お前のほうが……いや、なんでもない」とか言うのである。

 あの朴念仁がである。


 ゲームのときは素直にきゅんとできたが、アイザックと友達になった今では何だかくすぐったく、「へぇ~あの馬鹿真面目がねぇ~?」と揶揄いたい気持ちになる。


 のんびりするのも良いが、密猟者を一網打尽。私好みの展開だ。

 罠などなくとも密猟者程度に後れを取ることもない、簡単だろう。


 ターンッ!

 破裂音がした。


 一瞬後、咄嗟にかざした腕の辺りで甲高い金属音が響く。

 腕を見ると、カフスボタンがひしゃげていて、鉛だか鉄だか分からない金属の塊がめり込んでいた。

 間近で見るのは初めてだが、おそらく銃弾だろう。


 この世界では銃火器の類はあまり普及していない。

 1発ずつ弾を込めないといけないし、命中率や威力もその手間や価格に見合っていないからだと、グリード教官が言っていた。

 

 確かに話を聞くにつけ、弓のほうがはるかにコストパフォーマンスが良いだろう。

 カフスボタン程度も貫通できないのだから、威力のほうはお察しである。

 速度も弾道が肉眼で十分捉えられる程度で、軌道を見てからでも余裕で対処が間に合った。


 使用しているのは一部の裕福な猟師か、もっと良い銃火器の開発を目論んで実験を繰り返している、脛に傷のあるような組織の連中くらい、という話だ。

 珍しいうさぎを狙ったのか、私たちを狙ったのかは分からないが、どちらにしろただの裕福な猟師ではなさそうだ。


 辺りを見渡し、手のひらサイズの小石を拾う。

 攻略対象というものは、銃を相手にしたくらいでひるんでいては、務まらない。


 振りかぶって、ピッチャー第一球。投げました。


 投げた小石が、銃弾の軌道をそっくり辿って飛んでいく。一拍置いて、ギャッと小汚い悲鳴が聞こえた。

 狙い通り、デッドボールだった。


「よし」


 まだ意識があるかもしれない。もう一発いっておこう。

 屈みこんでもう少し大きい石を探していると、石を投げ込んだ茂みの方から人の声が聞こえてきた。

 訛りがきつくて何を言っているのかは聞き取れないが、声からして4、5人はいそうだ。


「先輩!」

「人数が多そうだ。森に入って撒こう」


 リリアの手を取って、草原を突っ切る。たいした威力でないとは言え、わざわざ的になってやる必要はない。

 後ろを振り向くと、私たちが立っていたあたりで小さく土煙が上がっている。


 うさぎを抱いているリリアの顔色が青くなっていた。ゲームではアイザックの頭脳で乗り切ることが出来たが、今ここにアイザックはいない。

 私は正直負ける気はしていないのだが、リリアは不安になっていたっておかしくない。


「バートン様、さっき、じゅ、銃弾が……!」


 と、思ったら違う心配をしてくれていたらしい。


「わ、わたしたちを守って、お怪我を……」


 リリアはぜぇはぁ息を切らしながら、そっと私の左腕に触れてきた。

 森の中に分け入ったところで、リリアのために少しスピードを緩める。


「大丈夫。運よくボタンに当たったから、何ともないよ」


 答えてから、しまった、と気づいた。

 これは、リリアを庇って肩に怪我をしたアイザックへの台詞だ。

 怪我をしておいたほうが、イベント上都合がよかったかもしれない。


 ふと気づいたのだが、現在のアイザックは剣術の稽古も頑張ってはいるがその腕前は平均以下で、身体能力も高くない。

 リリアを庇って銃弾をかわすような芸当が出来るとは思えなかった。


 ゲームの中では、おそらく相手が狙いを外したのだ。

 これがイケメン攻略対象補正の成せる技だとしたら、その補正のない私は……イベントをなぞろうと思ってわざと銃弾を食らっていたら、普通に死んでいたかもしれない。

 先に思い出さなくてよかった。怖い怖い。


 森の中を早足で歩いていると、ほんの僅かに金属の触れ合うような音がした。


「クリストファー!」


 叫んで、クリストファーの腕を強く引く。彼は咄嗟に横っ飛びして、地面に倒れこんだ。

 クリストファーが足を下ろしかけていた地面で、ばくんとトラバサミが空を噛む。

 リリアが驚いて悲鳴を上げた。


「きゃっ」

「これは、うさぎ向けにしては大きすぎるね……密猟者を捕らえるための罠かな。大丈夫かい、クリストファー」

「は、はい。大丈夫です」


 クリストファーも顔を青くして、冷や汗をかいている。


「気をつけて進んだほうがよさそうだ」


 私の言葉に、二人とも真剣な顔で頷いた。リリアに抱かれたうさぎはのんきな顔で、鼻をひくひくさせていた。

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