第106話 女性に財布を出させるつもりは毛頭ない
このまま抱いて歩いても良かったのだが、本人が歩きますと言うのでそっと地面に降ろしてやった。
だんだん麻痺してきた気がするが、誰かを負ぶった上で別の誰かを抱き上げて移動するのはあまり一般的ではない。
クリストファーを背負い、リリアを気遣いながら歩いていると、だんだんと木々の密度が下がり、太陽の明るさが十分に感じられるようになってきた。
森の出口が近いらしい。
時々森の奥から悲鳴が聞こえるが、誰かが密猟者向けの罠にでも掛かっているのだろうか。
見つける都度仕掛け直してきたので、そこそこ効果があったのかもしれない。
ふと気配を感じて、茂みに目を向ける。人間よりずっと小さく、軽い生き物の動く音だ。
「あ」
ぴょんと、一羽のうさぎが私たちの前に姿を現した。
リリアの抱いているうさぎとよく似ているが、2回りほど大きい。親うさぎだろうか。
「よかった。仲間がいたんですね」
リリアがしゃがみこみ、そっとうさぎを地面に下ろしてやる。
2羽のうさぎは近寄って鼻を突き合わせたあと、やがて連れ立って森の中へと走っていった。
余談であるが、うさぎのしっぽというのはどうしてあんなに可愛らしいのだろうか。
丸かと思いきや、どちらかと言うと三角形に似ているのだ。
罪深くすらある。いや、うさぎに罪はないのだが。
罪のないうさぎによからぬことをするとは、許しがたいことである。
今度ジョギングがてら、密猟者の殲滅に来てもいいかもしれない。
街に着いて、まず入り口付近の詰め所にいた衛兵に密猟者のことを伝えておいた。
やはり街の人は密猟者に迷惑していたようで、すぐに衛兵が森の中へと走っていった。
街を改めて見渡すと、うさぎのみやげ物やうさぎ見物ツアーなどの看板が出ている。
この街にとって、あのうさぎは貴重な観光資源であるらしい。
次に、馬を預けていた厩舎に向かう。
怪我をしているクリストファーを馬に乗せるわけにも行かないし、かといってリリア一人では馬に乗れない。
厩舎で相談して、最終的に馬車を借りる手配をした。
乗ってきた馬は別で公爵家に届けてもらうよう頼んでおく。
私一人なら辻馬車だっていいのだが、クリストファーの怪我のことも考えると馬車を借りるのが正解だろう。
グレード高めの馬車を借りたので、ノーブルでファビュラスな公爵家アピールもばっちりだ。
「わぁ、ぼく、現金って初めて見ました」
……と思ったら、もっと上を行くお坊ちゃん発言をされてしまった。
クリストファー、若干の幽閉時代はあれど、基本的には私よりよっぽど真っ当な公爵令息として育っている。
高位の貴族というのは、普段は現金を持ち歩かない。
貴族向けの店でも、「請求はバートン公爵家に」のようないわゆる「ツケ払い」が基本だ。
それが出来ないような店にはあまり立ち寄らないし……立ち寄ったとして、従者が一旦立て替えて支払うのだろう。
ちなみに、学園に入った頃から、私が表立って出かけるときにも「護衛」やら「従者」やらがついてくることはほとんどなくなった。
理由は簡単である。いる方が足手まといだからだ。
ごくたまに尾行がつくことはあるが、私が簡単に撒けることを家の者は皆知っているのではっきり言って無駄である。
「無駄なことをさせる」というのは、働く者のモチベーションを著しく削ぐ行為だ。
人望の公爵様は労働者ファーストなので、そのようなことに人的リソースが割かれることはめったにない。
「先輩、手馴れてるんですね」
「……時々街に出かけることもあるからね」
にっこり笑って受け流しておいた。
弟は時折私の振る舞いにお小言をくれるのでまた何かあるかと思いきや、彼はしょんぼりと肩を落としている。
「すみません、ぼく持ち合わせがなくて」
「わ、わたしも……」
「そんなことは気にしないでよろしい」
肩透かしを食らって、拍子抜けしてしまった。
リリアも一緒になってしょげているが、私は女性に財布を出させるつもりは毛頭ないので安心してほしい。
何のためにバイトをしてきたと思っているのだ。
リリアには手を、クリストファーには肩を貸してやって、馬車に乗り込む。
リリアの隣に座ると、私の隣にクリストファーが腰を降ろした。
「……クリストファー? 向かい側が空いているよ」
「え? えーっと、あ、ほら、もう馬車が出ちゃうので」
クリストファーが曖昧に笑うと、ごとりと馬車が揺れた。ゆっくりと馬車が進み出す。
せっかく広い馬車を借りたと言うのに、何故ぎゅうぎゅうになって座っているのだろう。
まぁ、動き出してしまったものは仕方ない。バスだって運転中のお席の移動はご遠慮くださいと言われるくらいだ。
況や馬車をや、である。
少しの間話をしていたが、2人とも疲れているのだろう、だんだんと口数が減っていった。
馬車が小さく揺れた拍子に、リリアの頭がこてんと私の肩にもたれかかってくる。
おお、これはあざとい。違和感のない見事な身体的接触だ。
心の中で拍手をしながら彼女の様子を窺うと、普通に寝ていただけだった。
静かになったと思ったら、これである。
伏せられた長い睫毛を見下ろす。さらさらの髪が私の首元にかかって、少々くすぐったい。
主人公っぽい行動をしようと一生懸命頑張っているようだが、こうして計算抜きの仕草のほうがぐっと来るような気がする。
問題は、彼女から主人公らしさとあざとさを取ると、残るのが挙動不審のオタクであるというところか。
リリアの普段の様子を思い浮かべて苦笑いをしていると、反対側の肩にも重みを感じた。
振り向けば、クリストファーも私の肩に頭を預けて、寝息を立てていた。
リリアと見比べても遜色のない長さと密度の睫毛に、すべすべの肌、控えめな寝息。
今私が見ている光景を切り取って「これが主人公ですよ」と言って見せたら10人中10人が信じてしまいそうだ。
姉の欲目を差し置いても、やはり攻略対象の顔面はチート級であると言わざるを得ない。
しばらくしげしげと弟の顔を観察していたが、やがて手持ち無沙汰になった。
両側からもたれかかられているので動けないし、話し相手もいない。
よし。私も寝る。
そうと決めたら一瞬だった。さすがに高い馬車だけあって公爵家の馬車並み……とまでは言わないが、クッションも柔らかく、僅かな振動は却って眠りを誘う。
もともと寝つきは良い方なのである。いつでもどんな状況でもしっかり眠れなければ、騎士は務まらない。
おやすみ三秒だ。
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