第101話 思春期男子、お姫様抱っこで往来を行く
「おい、アイザック! そっちは植え込みだ!」
「む」
「アイザック! 足元を見ろ! そこは用水路だ!」
「む」
「アイザック!!」
あ――――もう!!
イベントを阻止するため、翌朝学園に行く時にアイザックを拾っていったのだが、馬車を降りて3歩進む度にやれ植え込みだ用水路だに向かっていくので私は早々にキレた。
最近はリリアの手前我慢しているが、本来私は気が短いのである。
「もういい、私が運ぶ。君は大人しくしていてくれ」
「は?」
彼の膝の裏に腕を差し入れ、ひょいとアイザックを横抱きに抱き上げた。
細身なだけあって、この身長の男子としては軽い方だろう。殿下といい勝負かもしれない。
「え!? は!?」
「文句を言うなよ。この方が早い」
私の顔と周囲に交互に視線をやるアイザックに、私はふんと鼻を鳴らした。
この調子で彼を自由に歩かせていたら、教室に着く前に日が暮れてしまう。
「大丈夫。殿下もよく抱き上げられているから」
「どうしてお前が王太子殿下を抱き上げる事態になるんだ?」
眉根を寄せるアイザックに、私は沈黙で返した。
どうしてかは私が聞きたい。
アイザックを抱いて廊下を進んでいくと、人並みが割れていく。気分はモーセである。
この学園、誰かが抱かれているときは道を譲らなくてはならない校則でもあるのだろうか?
まだ始業には時間があるが、廊下や教室にはそこそこの生徒がすでに集まっている。
雑談をしていた生徒たちは皆私たちに目を向け、何やらざわざわと騒いでいた。
「……いっそ殺してくれ……」
アイザックは両手で顔を覆っている。耳まで真っ赤だ。
このまま教室に行ったらどのみち誰だか分かるわけだし、顔を隠してもあまり意味はないと思うのだが。
「仕方ないだろう。これが一番効率が良い。好きだろ、効率的」
「効率とかの話じゃない……」
「恥ずかしいと思うから恥ずかしいんだ。堂々としていたら気にならないぞ」
「恥ずかしくない方がおかしいんだ!」
力説された。
まぁ、アイザックも思春期男子、お姫様抱っこで往来を行くのは恥ずかしいのかもしれない。
お兄様だっていつの頃からか「誰かに見られたら本気で婚期が遅れる気がする……」とか言って緊急事態以外は背負われてくれなくなったしな。
「……分かった、じゃあこうだ」
アイザックを地面に立たせると、彼の手を取る。
「え」
「手を引いてやるからついてこい。これならいいだろ?」
「あ、ああ」
「ちゃんとついてこいよ。次に何かあったら今度は担いで行くからな」
よほど恥ずかしかったのか、アイザックはまだ顔を赤くしている。握った手も熱いし、何よりじっとりと湿っていた。
「君、手汗がすごいぞ」
「今それどころじゃない」
教室に着くと、すでに登校していたご令嬢が私たちを見てはっと息を呑んだ。
誰も声を掛けて来ないが、ご令嬢たちの何とも言えない生暖かい視線がアイザックに向いている。
詳しい事情は知らないが、何故かアイザックはクラス内で寂しがり屋の愛されキャラ認定をされていて、友達と仲良くなることを応援されているようなのだ。
彼は視線から逃げるように、頭を抱えて俯いていた。
なるほど。彼にしてみればこれは確かに恥ずかしいかもしれない。
リリアはまだ登校してきていないようなので、それまでに収拾がつくなら私は何でも構わないのだが。
◇ ◇ ◇
「……どうしてギルフォードは隊長に担がれて……?」
「さっきロッカーに荷物を取りに行こうとして間違えて窓から出ていきかけたからだ」
「ば、バートン様、力持ちですね……?」
授業中はノートと顔が近いくらいで大人しかったのだが、昼休み早々にやらかしたのでもうアイザックは担いで移動することに決定した。
いつもはアイザックが私の世話を焼いてくれる方だが、逆になってみてそのありがたみに気付く。
アイザック、ものすごく面倒見が良いらしい。私には誰かの面倒を見続けるのは無理だ。
「たい……バートン卿、俺もご一緒してもよろしいでしょうか!」
「構わないけれど……行こうか、リリア」
「は、はい!」
リリアは黙って担がれているアイザックを横目にチラチラ見ながら、隣に並んでついてきた。
ロベルトも反対側に並ぶ。
最近、妙にロベルトがまとわりついて来る気がする。殿下が帰ってきて公務代行から解放されたからだろうか。
アイザックは私の肩の上ですっかり意気消沈していた。あと一歩で窓から転がり落ちるところだったのだから、こちらとしては感謝してほしいくらいだ。
食堂に着いたところで、彼を降ろしてやる。食事をする場で靴が高いところにあっては周囲の迷惑になるからな。
「アイザック、私の服の裾でも掴んでついてこい」
「……分かった」
担がれるよりはいいと思ったのか、アイザックは渋々頷いた。
……が、一瞬目を離した隙に手を放し、間違えて他の女子生徒の服の裾を掴んでいる。
「ロベルト、回収してきてくれ」
「は! 分かりました!」
「ん? お前、誰だ?」
アイザックが女子生徒に顔を近づけて覗き込んでいる。相手のご令嬢は赤面して一時停止してしまった。
アイザックは殿下と違って自分の顔の良さに自覚がないタイプだ。
自分の顔の威力を理解していない上に、今は眼鏡がないことで――一部の宗派の方相手を除いては――破壊力が増している。
ロベルトに回収を任せて、私はリリアと一緒に席取りに向かった。
やれやれ。やっと二人きりになれた。
「あ、先輩!」
息つく間もなく、クリストファーがこちらに気づいて駆け寄ってきた。
空気の読めない弟である。
「ぼくも一緒に食べていいですか?」
聞きながら、返事を待たずに私の隣にお盆を置く。
アイザックの回収を終えたロベルトも戻って来た。
「バートン卿、Aランチなんですね! さすがです!」
いつも通り尊敬のキラキラを飛ばしてくるロベルト。
もう何でもいいんじゃないか、お前。
リリア、人見知りなせいで人が増えるとどんどん霊圧が消えていく。
縮こまっている彼女に声を掛けようとしたとき、ぽんと肩に手が置かれた。
「賑やかだね」
穏やかに優しく笑う王太子殿下が、こちらを見下ろしていた。
おお、攻略対象揃い踏みである。
リリアを含め、登場キャラクター全員が集まったのを見るのは初めてかもしれない。ゲームのパッケージみたいだ。
こうして改めて見ると顔面偏差値がものすごいことになっている。
すっかり萎縮しているリリアを横目に、ふと思った。
昨年まで、こんなに攻略対象が集まってくるようなことはなかった気がする。当たり前だ。主人公がいなかったのだから。
主人公が現れた途端、こうして攻略対象たちは彼女を中心に集まってくる。まるで花に集まる蝶のようで……そして、乙女ゲームのようだった。
ゲームの中に、こんな風に食堂に一同が集まるような共通イベントは存在しない。
最近の出来事を思い浮かべてみる。生徒会室、剣術大会、下校イベント。
私とリリアが二人きりになる機会が邪魔され、どれも攻略対象の誰かが割って入る格好になっている。
見たところ、彼らの中にリリアへの好感度がそれほど高い者はいないようだが……彼ら自身は無意識なのかもしれない。
私という異分子と主人公が結ばれることを防ぎ、あるべき形に戻ろうとしている世界の働きなのかもしれない。
これがこの世界の……乙女ゲームの強制力だろうか、と、私は見えない世界機構へ思いを馳せた。
まぁ、世界機構が相手だとして、負ける気はさらさらないのだが。
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