第100話 ライバルが減るのは、私としては大歓迎

 リリアを送ったあと――私の気分としては先にアイザックを放流したかったのだが、レディファーストである。やむを得まい――アイザックを家まで送って行くと、以前と同じ執事が私たちを出迎えた。


 今日はアイザックと一緒だからか、初手からものすごく腰が低い。是非お茶を飲んでいけとしつこく言うので、頂いていくことにした。

 サロンに案内されて、前回ここでアイザックの兄その1、2に絡まれたことを思い出した。

 あの時も昼間っから暇そうにしていたし、もしかしてまた現れたりするのだろうか。


 さすがに目の前で弟を馬鹿にするようなことは……聞いた話ではしかねない。

 最悪うるさかったら窓から投げてしまって、後始末もアイザックに丸投げしよう。


「どうした、難しい顔をして」

「ん? ……君、見えてるのか?」


 周囲を警戒しつつお茶を飲んでいると、アイザックに問いかけられた。

 私と彼は向かい合って座っている。先ほどリリアに顔を近づけていたところを思うに、その距離では表情は見えていないと思ったのだが。


「お前がどんな顔をしているかくらい、見えなくたって分かる」

「私はそんなに分かりやすいかな」


 あまりに自信ありげに言われたので、苦笑してしまう。

 自分ではポーカーフェイスはそこそこ上手いと思っているのだが、もしかして声や雰囲気に出ているのだろうか。


「君の兄さんたちは?」

「ああ。今は領地で下積みからやり直しをさせられている」


 直球で聞いてみれば、アイザックはこともなげに言った。


「は?」

「婚約者たちから聞いていないのか?」


 私が聞き返すと、アイザックも疑問形で返してきた。

 家に届いている手紙の山を思い出し、私は笑って誤魔化す。


 卒業式に渡された手紙もまだ全部は開けられていない。

 長いこと文字を見ていると眠くなるし、極論卒業生とは会う機会も減るので、会う機会の多いご令嬢の手紙から優先して対応しているのが現状である。

 アイザックの兄の婚約者たちからも手紙をもらったような気がするが、読んだ覚えはない。


「相手は父が見つけてきた、我が家の今後の繁栄には必要な家の娘たちだった。身分も、父が宰相であるために……伯爵家の嫁としては、破格の相手だったが」


 ちらりと、彼が私に視線を送った。


「どこかから漏れた醜聞で、彼女たちは婚約を白紙にしてほしいと言ってきた。父が一旦保留としているところに、僕が兄たちの膨大な愚行の証拠を、耳を揃えて突き出した」

「わぁ」


 他人事のように驚いておいた。

 途中までの進捗は知っていたが――ご令嬢たちが婚約破棄に向けて意気込んでいる様子は見ていたし、そうなるだろうことは薄々予想していた――、そういう結果に落ち着いたのか。

 ゲームでも最終的にはアイザックが伯爵家を継ぎ、次期宰相となる。原作回帰というところだろうか。


「結果、兄さんたちは見限られて、領地で反省するまで下働きだ」

「さて、反省するかな」

「どうだかな」


 私がとぼけてみせると、アイザックも紅茶を飲みながら白々しく言った。

 少し間があって、彼は先ほどまでより幾分真剣そうに、ぽつりと呟く。


「先日の試験で、僕は初めて兄さんたちの点数を超えた。……昔の、父さんの点数も、だ」

「すごいじゃないか」


 素直に称賛した。


 アイザックの父である現宰相の有能さは、お父様やお兄様からも聞いている。

 ゲームでもたびたび、アイザックの壁として立ちはだかった。

 自分に厳しく他人にも厳しい、ずーっと主席しか取ったことのないような完璧超人であるらしい。

 そうでもなければ、伯爵家の身分で宰相まで登りつめることはできなかっただろうが。


「君の父さん、すごく実力主義だろう? 君が爵位を継ぐのもあり得るんじゃないか?」

「ああ。父から打診があった。兄たちが戻ってくるのを待つより、その方が利があると見たのだろう」


 アイザックがカップを机に戻そうとする。位置取りがどうも不安だったので、そっと受け取って私が戻しておいた。

 きっとお客様用のカップなので、割れると個数が半端になって使用人が泣く。毛足の長い絨毯の後始末も大変だろう。


「……それで? 君はどうしたんだ?」

「試しに、言ってみた。僕は伯爵家を出てもいい、と」

「え?」


 アイザックは妙に晴れ晴れとした顔をしていた。

 今の彼は眼鏡もなければ、眉間の皺もない。伏し目がちにしていると本当に睫毛が長いのがよく分かる。何とも羨ましい限りだ。


「投資した鉱山が大当たりで、かなりの配当金が入った。伯爵家を出ても、僕は一生困らず暮らしていける。学園を出てから、研究機関に勤めてみるのもいいとずっと思っていたんだ」


 アイザックの言葉に、思わず彼をじっと見つめてしまう。


 伯爵家を出る? アイザックが?

 それは、ゲームのどのルートにもなかった展開である。

 だが、彼は非常に頭が良いけれど、人付き合いは得意ではない。

 貴族同士の騙し合いの手練手管が求められる宰相職よりも、研究職の方が向いているかもしれなかった。


 彼がノーブルでファビュラスでなくなれば、攻略対象でなくなるかもしれない。

 ライバルが減るのは、私としては大歓迎だ。


「そうしたら、父が僕に頭を下げた。僕が本気でそうしてもいいと思っているのが分かったんだろう」


 アイザックはふっと笑った。

 端から見て分かるくらい嬉しそうで、それでいて少し、意地の悪そうな笑顔だった。ゲームの中でよく見た冷笑とも、主人公に向ける微笑みとも違う。


 言ってみれば、共犯者に向けるような顔だった。


「『アイザック、お前の勝ちだ』と」

「そりゃ、痛快だ」


 彼の言葉に、私もつられてにやりと笑った。

 その調子なら、宰相職だって問題なくこなせるかもしれないな。


「僕としては、この家自体にたいした思い入れはないが……爵位には興味がある。父の申し入れを受けることにした」

「意外だな。そっちの方が興味ないのかと思っていたよ」

「例えば僕が次期宰相になるようなことがあれば……侯爵に上がることも視野に入るからな。そうなれば……」


 じっとアイザックがこちらを見た。

 眼鏡がないので、表情は見えていないはずだが……はて。彼は私の表情を探って、どうしようというのだろうか。

 今特に、どうという顔をしている自覚もないのだが。


「今、私はどんな顔をしている?」

「……特にどうということもない顔をしている」


 試しに聞いてみると、アイザックがため息混じりに答えた。当たりだ。


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