第99話 何だ、友達に向かってその睫毛は
「ふ、降ってきちゃいましたね……」
「朝から降りそうだったからね」
校舎を出たところで、傘を差す。リリアも自分の傘を差して、私の隣に並んだ。
「今日はうちの馬車で送るよ」
「えっ、やった」
言いかけて、はっとリリアが自分の口を塞いだ。送っていくだけで喜んでもらえるとは、送り甲斐があるというものだ。
「あ、ありがとう、ございます」
頬を染めて、リリアが俯く。だいぶ普通に接してくれるようになったと思うのだが、すぐ俯いてしまうところは変わらない。
歩きながら、下校イベントはゲームにもあったなと思い出した。
イケメンというものは一緒に帰るというだけでイベントになってしまうらしい。改めて考えるとすごいことだ。
そういえば、登校イベントがある乙女ゲームも多いが、このRoyal LOVERSにはなかった。
たいていの移動が馬車なので、偶然一緒になる、というのが起こり得ないからだろうか。
万が一食パンをくわえて攻略対象とぶつかろうものなら、人対馬車のただの交通事故である。
ばしゃばしゃと背後から足音が近づいて来る。振り向けば、傘を持たないアイザックがこちらへ走ってきたところだった。
「悪い、入れてくれ」
「いいけれど、君、傘は?」
「出掛けに忘れてきたようだ」
アイザックは私の傘に入ると、眼鏡を外して忌々しげにレンズについた水滴を拭っている。
私とリリアは「その手があったか!」という顔になってしまった。
何を2人してちゃんと傘を持ってきてしまっているのだ。相合傘チャンスを逃してしまったではないか。
「じゃ、じゃあアイザック様はわたしの傘、使ってください! お2人では狭いでしょうから!」
「お前はどうするんだ」
「わ、わたしは、その、バートン様の傘に入れていただきますので……」
リリアの言葉に、アイザックが怪訝そうに眉根を寄せた。
「いや、それには及ばない。肩の高さから考えても僕がバートンの傘に入る方が効率が」
「いいや、こういうのは効率の話じゃないぞアイザック」
傘の下でやいのやいのとやっていると、アイザックの手からぽろりと眼鏡が落ちた。
足元に眼鏡が転がる。
「あ、リリア。ちょっと待っ」
「え?」
ぱき。
「あ」
「え」
嫌な音がした。
恐る恐るリリアが足を退けると、そこにはすっかりひしゃげた眼鏡があった。レンズも割れてしまっている。
地面に落ちたアイザックの眼鏡を、リリアが踏んづけてしまったのである。
「え、え――――っ!? ご、ごめんなさい、アイザック様! わたし」
リリアが慌てて眼鏡を拾い上げ、眼鏡に向かって謝罪をする。
リリア、それはアイザックの本体ではない。
「いや、私がきちんと注意しなかったからだ。リリアのせいじゃないよ」
「弁償! 弁償します!」
「出来るのか? 言っておくが、高いぞ」
アイザックが身体を屈めて顔を近づけ、リリアを睨む。眼鏡がないので、そうしないと見えないのだろう。
その瞬間、リリアがひっと息を呑んだ。
そこでふと思い至った。まずい。これはまずい。
そう思った瞬間、リリアの鼻からたらりと血が垂れた。
「り、リリア! 血が!」
「へ?」
慌ててハンカチを取り出し、彼女の鼻に当ててやる。ついでにアイザックから引き離した。
アイザックは何が起きたのかよく見えていないようで、不思議そうに首を捻っている。
いつもの眼鏡がなくなったアイザックの顔面は、もはや凶器であった。
あまりにも顔が良いのである。彼の顔を見慣れている私ですら、新鮮な驚きを覚えるほどに顔が良い。
もともとの作りが良すぎるのだろうが、鼻の高さと柳眉の形の良さ、彫刻のような顎のラインが相まってまるで芸術作品を見ているような気分になる。
何だ、友達に向かってその睫毛は。
至近距離で食らってしまったリリアが鼻血を出すのも無理は――いや、年頃の女の子が興奮して鼻血を出すというのはさすがにどうかと思う。
フォローしきれない。
眼鏡キャラが眼鏡を外すことを絶対に認めない派閥もあると聞くが、リリアはそうではないらしい。
さりげなく、リリアをアイザックから遠ざけて間に入る。
「怖い顔をするなよ、アイザック。私が弁償するから」
「いや、僕は」
「いいから、いいから」
なおもリリアに言い募ろうとする彼に、ずいと顔を近づけて圧を掛ける。
ゲームの中にも、主人公が彼の眼鏡を壊してしまうというイベントがあった。シチュエーションは違うが、このまま進むとそのイベントに突入してしまう恐れがある。
眼鏡が無いせいで何もできないアイザックに、主人公が「責任を取ります!」とか何とか言って付きっきりで手取り足取り面倒を見てやる、というイベントだ。
乙女ゲームの主人公諸君に告ぐ。女の子は、気軽に「責任を取ります」とか言ってはいけない。「何でもします」もだ。
「お兄様からも言われているんだ、君に重々お礼をしておくようにって」
「は?」
「ほら、君も一緒に送っていってやるから」
呆然としているリリアと怪訝そうなアイザックを半ば引きずるようにして、私は公爵家の馬車へと歩みを進めた。
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