閑話 ロベルト視点(2)

「っは!?」


 がばりと身体を起こす。寝巻きがびっしょりと汗で濡れていた。

 いつもと変わらない寝室をぐるりと見回し、ほっと息をつく。


 ああ、良かった。悪い夢をみていただけのようだ。

 そうだ、さすがに、こんなことが現実のはずがない。

 まさか、隊長が……エリザベス・バートンだったなんて。


 婚約者の顔を思い出そうにも、まったく記憶がなかった。

 一緒に社交の場に立ったのだって、婚約して最初の俺の誕生日パーティーだけだった。


 手紙も書いたことがないし、贈り物だってしたことがない。

 全部誰かに任せて、放置していた。興味もなかった。


 その相手が、自分が誰より尊敬して、敬愛していた相手だということにも気づかずに。


 部屋を見回すと、ひどい有様だった。

 昨日行き場のない気持ちを抱えて、部屋中のものに当り散らしたことを思い出した。

 結局、俺はそれが現実だったことを受け止める羽目になった。



 ◇ ◇ ◇



 目を開けた。

 うとうとしていたようだ。


 嫌な夢を見た。

 隊長が、俺の婚約者だと知った日の夢だ。


 やっと寝付けたと思ったのに、また目が冴えてきてしまう。

 ベッドに寝転がって、天井を眺める。


 あの日に戻れたなら、俺はもっとうまく立ち回れただろうか。そうしたら、ちゃんと彼女をエスコートさせてもらえたのだろうか。


 いや、もっと前に戻れたなら。隊長としての彼女に出会ったばかりの頃に戻れたなら。

 彼女と婚約したばかりの頃に戻れたなら。

 彼女の隣で笑っていたのは、俺だったのだろうか。



 ◇ ◇ ◇



 本当はずっと、知っていた。

 バートン家から婚約解消の申し入れがあったことも。

 父上も、兄上もそれを受け入れるべきだと思っていたことも。


 だが、踏ん切りがつかなかったのだ。



 打ちのめされて、完敗して、やっと踏ん切りがついた。

 いつかもっと強くなれたら。隊長に相応しい自分になれたら。

 俺の夢を一緒に叶えてほしいと、そう言うつもりだった。


 俺の夢は、隊長と一緒に騎士として生きることだった。

 俺にはたいした力はないけれど、王族の端くれだ。現役の騎士にも勝ち越せるくらいの実力も身についた。

 俺が騎士として生きるのは、そう難しいことではない。


 だがそのとき、共に戦うのは……背中を預け合うのは、隊長がいい。俺のすぐ隣に、隊長にいてほしい。

 たとえば、隊長が師団長で、俺が副師団長だったりとか。そういう関係になりたい。ずっとそうして、生きていきたい。


 隊長ほどの人が、性別などと言う些末な理由で騎士になれないなんて、馬鹿げている。

 候補生も、教官たちも、みなそう思っている。


 踏ん切りがついて、彼女に婚約の解消を告げて。やっと清々しい気持ちで前に進めるような気がしたのに。



 婚約を破棄してからのほうが、隊長と過ごす時間が増えた。

 学園にいるときの隊長は、訓練場のときよりもやわらかい雰囲気で、気さくで。また、隊長の印象が少し変わった気がした。


 誰かと冗談を言い合って笑う姿を見たりして。

 頼られるばかりでなく、誰かを頼る姿を見たりして。

 やさしく誰かの手を引く姿を見たりして。

 俺もそうなりたいと思ってしまった。


 もっと隊長と一緒にいたいと、隣で笑い合いたいと。

 いつかではなく、今もそうでありたいと、思うようになった。



 そして、隊長の隣に立つリリア・ダグラスを見て……羨ましいと感じるようになった。

 聖女だから、男爵家の養子になったばかりだから。

 それだけの理由とは思えないほど、隊長が彼女に向ける視線はやさしかった。

 隊長はやさしい御方だけれど、その中でも特別に、やさしく接しているように感じられた。


 そんなことに気づいてしまうくらい、隊長のことを見ている自分がいた。

 きっと、隊長が特別に目をかけるだけの何かがあるのだろう。

 たとえば、一流の武術の使い手であるとか。そうに違いないと、俺は自分を納得させていた。



 それなのに。


 「た、隊長は……その者が強くなる見込みがあるからそうして目をかけているのではないのですか!?」

 「え? 違うけれど……」


 衝撃だった。隊長が誰かを特別に扱う理由なんて、他に思いつかなかったからだ。

 では、何故、隊長は。

 俺が問いかけると、隊長は少し考えるような素振りをする。


「何故、か。改めて言われると、私にもうまく説明出来ないけれど……」


 隊長はリリア嬢にちらりと視線を向けて、微笑んだ。

 それは今までに見たことがないくらいやさしい笑顔で……リリア嬢に向けるその瞳には、俺の知らない何かが宿っていることを本能で理解した。


「不思議と、放っておけないんだよ。頑張り屋さんで一生懸命な彼女のことを。ついつい目で追ってしまうんだ」


 頑張り屋さん?

 一生懸命?


 それが何だというのだろう。

 俺だって頑張って来たし、一生懸命やってきた。そんなやつ、俺に限らずごまんといるはずだ。

 なのに、それが理由で、リリア嬢を特別に扱うのか?


「た、隊長は、強い者よりも、弱い者が大切なのですか?」

「……騎士とは、そういうものだろう」


 隊長は、何を言い出すのだ、とでも言いたげな表情だった。

 自分でも分かっている。弱いものを守るのが騎士だ。それでも俺は止められなかった。


「でも、……隊長の隣に並ぶために……俺は……

「ロベルト」


 隊長が俺の名前を呼ぶ。いつもだったら嬉しいはずのそれが、その時は嬉しくなかった。


「君と私とは一緒に戦う仲間だ。国のため、王のため、そして国民を……弱き者を守るために戦う騎士だ。そしてリリアは守るべき国民であり、この国にとって必要な聖女の素質を持つ女の子でもある」


 隊長の、冷たい青色の瞳ががまっすぐに俺を見る。強い目だ。

 いつも、いつも。

 この人は、まっすぐで、強い。


 耐えられなくなって、俺は目を逸らす。


「私が君たちと共にあることと、リリアと共にあることは、両立するはずだ。違うか?」

「そう、ですね……その、はずなのですが……」


 俺は、そう絞り出すのがやっとだった。



 ずっと、隊長の背中を追いかけてきた。

 追いつきたかった。隣に立ちたかった。

 ずっと一緒に、背中を預けて戦えるような、そんな存在になりたかった。


 何故だろう。俺はずっとそれを目指してきたはずなのに。

 認められてうれしいはずなのに。

 そうではないのは、何故だろうか。


 認められて、共にある仲間で。それが俺の望んだことで。

 それが今、もうすでに叶っているとしたなら。

 俺は、あの場所には立てないということだろうか。


 リリア嬢に向けるような視線を、俺に向けてはくれないということだろうか。

 そう思うと、とたんに足元が揺らぐような心地がした。


 これは何だ。

 俺は、何が不満なんだ。

 疑問が頭をぐるぐると回る。


 やがて出た答えは、「俺だけが特別でありたい」と思っているからだという、何とも子どもじみたものだった。

 何故俺が、隊長の特別になりたいのか。それは分からなかった。


 誰だって、特別扱いは嬉しいものだろう。

 でも、俺は隊長がいい。他の誰からでもなく、隊長にそう思ってほしい。

 俺だけが、隊長の特別になりたい。

 その根元にある感情が、「尊敬」ではないことは、俺にも何となく、分かっていた。



 兄上が公務で教会の星詠祭に行くという話を聞いて、俺は同行を申し出た。

 あまり信心深いほうではなかったが、神様と言うものに聞いてみたくなったのだ。これは何なのですか、と。

 そしてどこか後ろめたいようなこの感情を、誰かに聞いてほしくなったのだ。


 ちょうどいいことに、懺悔室を見つけた。遠慮する兄上を連れて中に入る。

 今日の護衛の人数は、俺と兄上が別行動を取ることは想定していない。

 もし俺の我儘で二手に分かれ、何かあっては兄上にも彼らにも迷惑が掛かる。


 俺が兄上に比べて出来が悪いのは、兄上も承知のはずだ。

 どうせ俺の悩みなど、兄上にとっては些末なことだろう。



「それは恋ですね」



 懺悔室で、神父――いや、女性のようだからシスターだろうか?――に言われた言葉に、俺は雷に打たれたような衝撃を受けた。


 こい?

 来い?

 鯉?

 ……恋?



 考えたこともなかった。


 つい先日まで婚約者がいた身だ。恋愛などする必要がなかった。

 訓練場は男ばかりだし、学園でも特に親しい女子生徒はいない。

 婚約を解消した後、何度か手紙が机に入っていたことはあったが「お慕いしております」と書いてあっただけだ。特別何をどうするというものではない。


「恋? ……これが、恋……なのか……?」


 口に出してみても、実感がない。


 恋というものは、もっと面倒なものだと思っていた。

 訓練場の仲間たちからそういった話を聞くたびに、何故わざわざそんな面倒なことを考えているのだろうと思っていた。


 やれ、彼女は自分に気があるか、だの、婚約者がいるのに別の女性を好きになった、だの、友達と同じ相手を好きになってしまった、だの。

 俺にはよく分からなかったし、分かろうともしていなかった。


 俺が隊長に抱くこのあたたかな感情も、恋なのか?

 言われてみれば、ただ隊長の背中を追いかけていたときよりも、面倒なものになっている気はする。


 だが、いつから?

 俺はずっと隊長のことを尊敬しているし、共にありたいという気持ちにも変化はなかったと思う。

 根っこのところは、何も変わっていないはずだ。


 それなのに、いつからか、尊敬が恋に変わったというのだろうか。

 恋というのは、落ちると言うぐらいだから、もっと劇的に、「これが恋だ!」と分かるようなものではないのか?


 ぐるぐると頭の中で疑問が巡る。頭がついてきていない気がする。

 もしかして俺は、何か重大な勘違いをしていたのだろうか。

 それを見落としたまま、気づかないまま、ここまできてしまったのではないだろうか。


 しかし、兄上の声が聞こえてきて、さらに混乱することになった。


「神よ、どうかお許しください。私は……弟の婚約者を愛してしまいました」


 ◇ ◇ ◇


 その時の兄上の表情を思い出す。真剣な目をしていた。あんな兄上は初めて見たかもしれない。

 冗談でも、まして俺への当てつけでもないことは、すぐに分かった。

 

 天井を眺めながら、考えてみる。


 たとえば。

 兄上は王になる人だ。頭もいいし、貴族としての振る舞いもしっかりしている。

 次期国王としてみんなから期待されていながら、傲慢なところがなく誰にでも分け隔てなく接する人格の持ち主だ。

 俺が兄上に勝てることなど、剣の腕と体力ぐらいだろう。


 隊長が強さ以外の部分で相手を選んでいるとするなら、兄上は間違いなく俺より優れている。


 では、俺は。

 自分より優れている兄上が相手だからと言って、身を引くことが出来るだろうか。


 そう考えてみると、すぐに答えは出た。

 そんなのは、無理だ。


 恋かどうかは分からない。

 でも、俺は隊長が好きだ。

 この気持ちだけは、誰にも負けない。



 俺は衝動的に部屋を飛び出して、走り出す。勢いに任せて、兄上の私室まで行ってドアを叩いた。

 護衛が止めようとして慌てていたが、一応俺も王族だからか、力づくで止められるようなことはなかった。

 止められたとして、力で負けるとは思わないが。


 少しして、中から兄上がドアを開けた。寝間着姿で、怪訝そうに俺を見上げている。


「兄上!」

「……ロベルト……今何時だと思っているんだ」

「兄上が隊長のことを愛していることは分かりました! でも、俺も隊長のことが好きです!」


 俺の言葉に、兄上が目を見開く。そして徐々に、不機嫌そうな表情になっていった。


「俺、兄上にも負けません! だから、正々堂々勝負しましょう!」

「……そんなことを言うために、私を叩き起こしたのか?」

「それもありますが」


 兄上はため息をついた。よく見る呆れ顔をしている。


「いいか、ロベルト。きみにとっては朝かもしれないけれど、世間ではまだ深夜……」

「ここに来たのは、兄上からの預かり物をお返しするためです」

「預かり物?」

「これ。兄上から託されたと、隊長から預かりました」


 首を傾げる兄上に、隊長から預かった包みごと手渡す。

 受け取ったその包みをほどいて、兄上はまた目を見開いた。そして驚きの表情のまま、呟く。


「……何故きみが」

「え? 隊長が、俺が持っているべきだと」

「は?」

「え?」


 どうも噛み合わない。俺が隊長から聞いている話と違ったらしい。


 しばらく沈黙の後、兄上が握り締めた拳で壁を殴った。

 華奢な腕からは想像できないような、大きな音がした。


「あいつ……何を考えている……!」


 王太子として人前に立っているときの微笑とも、俺にいつも向けている呆れたような表情とも違う。

 一目見ただけで、怒っていることがわかるような顔だった。


 その日、俺は初めて兄上が怒っているところを見た。

 とてもじゃないが、恋をしている相手のことを考えているときの顔ではなかった。

 兄上も人間なのだなと思った。


 同時に何となく悟った。自分より優れている兄は、きっと自分よりも彼女との関係が進展しているものと思い込んでいたが……そうでもないらしい。


 やはり、隊長の言うとおりだ、と思った。

 今からでは遅すぎるということなど、ないのだ。



 ◇ ◇ ◇



 隊長。


 俺の夢は、貴女と共にあることです。貴女の隣にいることです。

 俺は絶対に貴女に相応しい男になります。


 だからそれまでに、もっと貴女のことを教えてください。

 貴女と一緒に過ごさせてください。


 そしていつかきっと、俺は貴女に勝ってみせます。

 俺は、貴女にも負けません。


 だから……その時は、俺と結婚してくれますか?




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