第97話 懺悔室 その4

「……神はあなたを赦すでしょう。共に祈りましょう。礼拝堂へどうぞ」


 リリアの声が若干疲れていた。その気持ちは分かる。

 何だろうな、胸焼けすると言うべきか。他人様のドロドロした話は、メンタルになかなかのダメージを与えていく。

 ゴシップとか好きなタイプの人には天職かもしれない。いや、そういうタイプには守秘義務があるのがデメリットになるのだろうか。


 それにしても、懺悔室が意外と盛況なようで驚いた。

 自分だったら、と想像してみるが……まったく興味を惹かれなさそうだ。

 そもそも、神に許しを請わなければならないような罪を犯していないので、懺悔の必要がない。


 もしもリリアを騙しきって私のルートに引き込むことが出来たなら……その時は懺悔が必要かもしれないが。

 聖女を騙したとかそんな話をされた日には、神父様は胃痛どころの騒ぎではないだろうな。


 がたがたと音がする。また懺悔室に迷える子羊がやってきたらしい。


「まず始めに言っておくが、僕は神という物を信じていない」


 先ほどから迷える子羊の癖が強い。


 無神論者が来た場合はどうすればいいのだ。異教徒として排除していいのか。

 そのあたりのマニュアルをきちんと作って分業制にしないと、神父様の胃が穴だらけになりそうである。


「僕は守秘義務がある第三者に話をしたいだけだ。自分の中で整理を付けるために話がしたい。もちろんその分寄付をしていく」


 ならいいか。

 その言葉に浮かせかけた腰を下ろした。

 やはり異教徒を徹底排除するような宗教は今日び流行らないだろう。きちんとお金を払うならお客様だ。話ぐらいは聞いてやろう。


 リリアに視線を送ると、彼女もこちらを見てこくりと頷いた。


「どうぞ」



 ◇ ◇ ◇



 僕は、友人の婚約破棄を喜んでしまった。


 彼女が望んだ婚約ではなかったとはいえ、貴族令嬢にとって婚約破棄というのは喜ばしいことではない。

 それも理解したうえで、彼女が婚約破棄をしたと聞いたとき、僕はチャンスだと感じてしまった。

 やっと彼女に、心置きなく手を伸ばせると思ってしまった。

 友人だなどと笑わせる。僕にとって彼女はずっと、初恋の女の子だったんだ。


 だが、彼女がずっと話していた「運命の相手」というやつが現れた。

 夢物語だと思っていたが……その相手といるときの彼女は本当に幸せそうで、愛おしそうで……横恋慕している自分が馬鹿らしくなってくるくらいだ。

 ……馬鹿らしくなっても、それでも好きでいることをやめられない。


 いや、やめたくないし、諦めたくない。

 婚約者がいた時だって諦められなかったんだ。「運命の相手」ごときで諦めるものか。


 彼女は僕を強いと言ってくれた。だから僕は強くあれた。

 努力を続けることが出来た。折れかけた僕がまた立ち上がれた。

 今の僕があるのは彼女のおかげだ。彼女が僕を強くした。


 彼女が誰を選ぼうと、誰を追いかけていようと、僕も彼女を追い続ける。努力は得意だ。

 一度や二度の敗北で折れるような、柔なもので僕は出来ていない。

 彼女が責任を取ってくれるまで、諦めない。


 これは懺悔ではない。「運命」とやらへの宣戦布告だ。



 ◇ ◇ ◇



「…………」

「…………」


 言うだけ言って、壁の向こうの男はさっさと出ていった。

 私とリリアは沈黙してしまう。


 感情としては「何だこれ」一択である。

 誰か教えてくれ。これ、どうするのが正解なんだ。さっきから初心者向けの懺悔が一つも来ていない。

 「きょうの懺悔ビギナーズ」ぐらいの難易度のやつをお願いしたい。

 イベントだと喜び勇んだ私の感情をどうしてくれるか。


 何とも言えない空気が満ちている懺悔室のドアが、また開かれた。


「こんにちは。えーと。話を聞いてもらいたいんですけど」


 聞き慣れた声がした。狭い部屋の中で、思わず立ち上がりそうになる。

 隣のリリアは、これまでと同じように告げる。


「どうぞ」

「ありがとうございます。懺悔というより、お悩み相談みたいになっちゃうんだけれど」

「はい、大丈夫ですよ」


 改めて注意深く聞いても、聞き慣れた声だ。

 聞いているだけでほっとするような、蓄積したメンタルへのダメージが癒されるような声だ。


 いや、聞き間違いという可能性もある。向こう側の声は少し反響して聞こえる気がするから、似た声の人というだけかもしれない。


「僕、今年で22になるんですけど、まだ婚約もしていなくて。家督を継ぐのに未婚はどうなのか、という話も出てきていて。でも僕としては正直、妹や弟たちの後でいいかなと思っているところで……」


 私は顔を手で覆って俯いた。壁の向こうに聞こえない程度に、長い長いため息をつく。

 私の異変に気付いたのか、リリアが心配そうにこちらを覗き込んだ。


 私は低く小さく、呟いた。


「……兄だ」


 リリアが目を見開いた。


 そう。壁の向こうにいるのはお兄様だった。

 他の誰の声を聴き間違えたとしても、私がお兄様の声を聴き間違えるはずがないのである。


「すまない。ちょっと、これを聞くのは人としてまずい。外で待っているよ」


 私は音を立てないように立ち上がると、気配を殺して懺悔室を後にした。

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